「神父の言葉」まで飛び出した河井克行被告語録
元法相・河井克行被告(58)の東京地裁での被告人質問で、無罪主張から一転、買収容疑を認める発言を始めた。現金を受け取って出廷した広島の県議や市議たちのほとんど(100人中、94人)が、渡されたカネが買収目的だと感じたと証言したため、もう無罪を主張するには無理筋だと判断したようだ。
さらにこのまま無罪を押し通せば、実刑判決を言い渡されてしまうため、情状酌量を狙い、温情作戦を展開し始めたようだ。
公判では「神父の言葉」が飛び出すほど念入りに弁護士と打ち合わせをしているとみられ、克行被告の計算高さがうかがえる。克行被告は「3月3日に保釈を許して頂き、それから間もなくして、20年以上親身になって指導頂いている教会の神父さまから激励の電話を頂戴した」と打ち明け、反省の態度をアピールした。
これらの克行被告の語録を時系列でまとめてみた。
【3月23日】神父の言葉がきっかけ
一転して選挙買収を認め、反省の弁を口にした。懇意の神父に電話で諭されたことが決め手になったと話した。言葉に詰まったり、声を震わせたりする場面もあった。午前10時半すぎ。紺色のスーツに議員バッジを着けた克行被告は、弁護側、検察側、裁判官に向かってそれぞれ一礼した後、証言台の前に着席した。「裁判長、おはようございます」とあいさつした後、起訴内容について現在の考えを話し始めた。
弁護人から地元議員らへの現金提供について問われると、「一人一人に固有の理由や趣旨、事情があり、あからさまな投票依頼を行ったことはない。その上で…」と数秒沈黙。「全てが買収目的のみであったのでは断じてないが、全体的に選挙買収は争わない」と述べ、議員辞職する考えも明らかにした。
認否を変えた背景については、「100人と言われている、お金を差し上げた皆様、お一人お一人によって、時期、狙い、買収金額、私の長年の関係性、100通りの事情があった」「一括して選挙買収と断ぜられることも納得できなかった」と述べました。その上で、「私は東京拘置所に259日間収容されておりました」「毎日自問自答を繰り返しました」「認めるべきことは認めることが、後援会の皆様や支援者の皆様に対し、私なりの政治家としての責任の取り方だと考えるに至りました」と述べた。
「支援者や妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきた」と説明した。しかし、家族同然だったという後援会関係者の証人尋問が続き、「拘置所で毎日(買収の意図がなかったか)自問自答していた」と振り返り、長年親しくしてきた神父から「自分の内面と誠実に向き合ってください」と電話で諭されて選挙買収を認める決意を固めたと述べた。
「私は東京拘置所に259日間収容され、この法廷に、数えると46回出廷して、多くの証人の皆さんの証言をこの法廷で聞きました。後援会の三矢会の皆さんは、家族同然です。平成2年に県議に出るため、政治の世界に入ってから30年間、お支えし続けてくれました。私は世襲でも、官僚出身でもありません。普通の青年でした。そんな私を自分の子や孫、弟のようにお支えし続けてくださったのが後援会の皆さんです。30年経ち、ほとんどが高齢者です」と述べた。
「その皆さんが証言されている姿を拝見し、夜、拘置所の独房で自問自答を繰り返しました。本当に、案里を参院選に当選させたいという気持ちがなかったのか。家族同然の後援会の皆さんが証言されている姿を見て、連日深く自省しました」と述べた。
【3月24日】広島政界でひとりぼっち
議員バッジを外して出廷した河井被告は、「バッジがなくても、政治家の仕事はできる」と話したうえで、「公正公平な政治活動に不必要な萎縮効果が生じてはならない。政治活動は自由であるべき」と述べた。
地元議員らに金を配った理由について、「広島政界で長年ひとりぼっちで政治活動していた。地元で一緒に歩いてくれる人を作りたいと思った」と、時折、言葉を詰まらせながら述べたうえで、「妻をだしにしてお金を差し上げてしまった。本当に申し訳なく思っている」と説明した。
「地元政界で長年孤立し、仲間が欲しかった。参院選を好機と捉え、金を配って関係を強化したかった」と明かした。
「広島に戻ると自分は一人ぼっち」「一緒に歩いてくれる人を地元において作りたかった」などと語り、時折、沈黙する場面も見られた。
さらに、「県連の運営に汗をかく用意があります」と言ったにもかかわらず、聞き入れられず、当選7回を重ねても県連会長になれないことへの恨み節も聞かれた。
地元・広島県の自民党県連から長年、役職などで冷遇されていたと語り、「自分が県連会長になるための布石として、地元議員に現金を渡した」と明かした。
2019年の参院選に限らず、地方議員に領収書を交わさずに現金を配っていたと述べた。広島市議の石橋竜史氏、谷口修氏の2人からは「領収書の発行を拒まれた」と語った。両氏は克行氏が地盤とする衆院広島3区内の安佐南区の選出。夏と冬に慣行として出す「餅代、氷代」だったという。
克行被告によると石橋氏は「領収書の発行だけはこらえてください」と要請。谷口氏は領収書発行を克行被告の秘書が持ち掛けたが「そんなことをするならたたき返す」と言ったという。石橋氏は1月の克行被告の公判で「(自分が)領収書を発行すると述べた」と証言していた。
【3月25日】万死に値する 議員辞職願を提出
事務所を通じて「所感」と題したコメントを発表
河井被告は「このような形で衆院議員を辞職することに言葉に尽くせぬ深い悔悟を抱いている。皆様の信頼を裏切ってしまったこと、万死に値すると考える。お金で人の心を『買える』と考えた自らの品性の下劣さに恥じ入るばかりだ」とコメントした。
大島理森衆院議長宛てに議員辞職願を提出した。
【3月26日】最終的な責任はすべて自分にある
「政治的に責任を負うべきは、私、河井克行以外にはいない。最終的な責任はすべて私にあります」と述べた。
陣営スタッフ3人に渡した現金の趣旨について、自由民主党広島県参議院選挙区第7支部の職員としての給与や、党勢拡大活動の報酬だと述べた。
さらにこのまま無罪を押し通せば、実刑判決を言い渡されてしまうため、情状酌量を狙い、温情作戦を展開し始めたようだ。
公判では「神父の言葉」が飛び出すほど念入りに弁護士と打ち合わせをしているとみられ、克行被告の計算高さがうかがえる。克行被告は「3月3日に保釈を許して頂き、それから間もなくして、20年以上親身になって指導頂いている教会の神父さまから激励の電話を頂戴した」と打ち明け、反省の態度をアピールした。
これらの克行被告の語録を時系列でまとめてみた。
【3月23日】神父の言葉がきっかけ
一転して選挙買収を認め、反省の弁を口にした。懇意の神父に電話で諭されたことが決め手になったと話した。言葉に詰まったり、声を震わせたりする場面もあった。午前10時半すぎ。紺色のスーツに議員バッジを着けた克行被告は、弁護側、検察側、裁判官に向かってそれぞれ一礼した後、証言台の前に着席した。「裁判長、おはようございます」とあいさつした後、起訴内容について現在の考えを話し始めた。
弁護人から地元議員らへの現金提供について問われると、「一人一人に固有の理由や趣旨、事情があり、あからさまな投票依頼を行ったことはない。その上で…」と数秒沈黙。「全てが買収目的のみであったのでは断じてないが、全体的に選挙買収は争わない」と述べ、議員辞職する考えも明らかにした。
認否を変えた背景については、「100人と言われている、お金を差し上げた皆様、お一人お一人によって、時期、狙い、買収金額、私の長年の関係性、100通りの事情があった」「一括して選挙買収と断ぜられることも納得できなかった」と述べました。その上で、「私は東京拘置所に259日間収容されておりました」「毎日自問自答を繰り返しました」「認めるべきことは認めることが、後援会の皆様や支援者の皆様に対し、私なりの政治家としての責任の取り方だと考えるに至りました」と述べた。
「支援者や妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきた」と説明した。しかし、家族同然だったという後援会関係者の証人尋問が続き、「拘置所で毎日(買収の意図がなかったか)自問自答していた」と振り返り、長年親しくしてきた神父から「自分の内面と誠実に向き合ってください」と電話で諭されて選挙買収を認める決意を固めたと述べた。
「私は東京拘置所に259日間収容され、この法廷に、数えると46回出廷して、多くの証人の皆さんの証言をこの法廷で聞きました。後援会の三矢会の皆さんは、家族同然です。平成2年に県議に出るため、政治の世界に入ってから30年間、お支えし続けてくれました。私は世襲でも、官僚出身でもありません。普通の青年でした。そんな私を自分の子や孫、弟のようにお支えし続けてくださったのが後援会の皆さんです。30年経ち、ほとんどが高齢者です」と述べた。
「その皆さんが証言されている姿を拝見し、夜、拘置所の独房で自問自答を繰り返しました。本当に、案里を参院選に当選させたいという気持ちがなかったのか。家族同然の後援会の皆さんが証言されている姿を見て、連日深く自省しました」と述べた。
【3月24日】広島政界でひとりぼっち
議員バッジを外して出廷した河井被告は、「バッジがなくても、政治家の仕事はできる」と話したうえで、「公正公平な政治活動に不必要な萎縮効果が生じてはならない。政治活動は自由であるべき」と述べた。
地元議員らに金を配った理由について、「広島政界で長年ひとりぼっちで政治活動していた。地元で一緒に歩いてくれる人を作りたいと思った」と、時折、言葉を詰まらせながら述べたうえで、「妻をだしにしてお金を差し上げてしまった。本当に申し訳なく思っている」と説明した。
「地元政界で長年孤立し、仲間が欲しかった。参院選を好機と捉え、金を配って関係を強化したかった」と明かした。
「広島に戻ると自分は一人ぼっち」「一緒に歩いてくれる人を地元において作りたかった」などと語り、時折、沈黙する場面も見られた。
さらに、「県連の運営に汗をかく用意があります」と言ったにもかかわらず、聞き入れられず、当選7回を重ねても県連会長になれないことへの恨み節も聞かれた。
地元・広島県の自民党県連から長年、役職などで冷遇されていたと語り、「自分が県連会長になるための布石として、地元議員に現金を渡した」と明かした。
2019年の参院選に限らず、地方議員に領収書を交わさずに現金を配っていたと述べた。広島市議の石橋竜史氏、谷口修氏の2人からは「領収書の発行を拒まれた」と語った。両氏は克行氏が地盤とする衆院広島3区内の安佐南区の選出。夏と冬に慣行として出す「餅代、氷代」だったという。
克行被告によると石橋氏は「領収書の発行だけはこらえてください」と要請。谷口氏は領収書発行を克行被告の秘書が持ち掛けたが「そんなことをするならたたき返す」と言ったという。石橋氏は1月の克行被告の公判で「(自分が)領収書を発行すると述べた」と証言していた。
【3月25日】万死に値する 議員辞職願を提出
事務所を通じて「所感」と題したコメントを発表
河井被告は「このような形で衆院議員を辞職することに言葉に尽くせぬ深い悔悟を抱いている。皆様の信頼を裏切ってしまったこと、万死に値すると考える。お金で人の心を『買える』と考えた自らの品性の下劣さに恥じ入るばかりだ」とコメントした。
大島理森衆院議長宛てに議員辞職願を提出した。
【3月26日】最終的な責任はすべて自分にある
「政治的に責任を負うべきは、私、河井克行以外にはいない。最終的な責任はすべて私にあります」と述べた。
陣営スタッフ3人に渡した現金の趣旨について、自由民主党広島県参議院選挙区第7支部の職員としての給与や、党勢拡大活動の報酬だと述べた。
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