2020年の世相、東京は「頭狂」、広島は「卑賂四魔奸児唐眼」

2020年も、もうじき終わりを迎えるときがきた。この数年、広島社会で繰り広げられた政治家たちの不祥事や新型コロナウイルスの感染拡大、さらに、いい加減で節操のない会社経営者たちや問題社員たちを目の当たりにしてきた。その結果、この言葉が今の広島にふさわしいと考えた。

「卑賂四魔奸児唐眼」(ひろしまがんじがらめ)とは、勝手に作った”当て字”、”造語”で、「広島雁字搦め」の発展形だ。最初は、「広死魔奸児唐眼」の7文字にしようと思ったが、いまひとつインパクトに欠けるため、8文字にした。

「雁字搦め」の意味は、「束縛が多くて自由な行動がまったくとれない」という意味だが、「奸児唐眼」という当て字は、アルバム「頭狂奸児唐眼」を参考にした。

この「頭狂」の意味は、多分「東京」の意味だろう。今の東京は「頭狂」にふさわしいと言える。

アルバム「頭狂奸児唐眼」は、40年くらい前にリリースされたが、閉塞感と不満だらけの日本社会に生きる中で、今にも爆発しそうな民衆の気持ちを現代社会においても色あせることなく、うまく表現している楽曲だ。

このアルバムは、当時、演奏しているバンドの最高傑作のひとつと言われているが、AKBや米津なんとか、さらに星野なんとかを聞いてキャーキャー言っている人たちにはとても理解出来ないレベルの内容となっている。


ここで、今の広島にふさわしい「卑賂死魔奸児唐眼」の意味を詳しく解説してみたい。

「卑」(ひ)は行いが下品。「卑怯者」などと使う。

「賂」(ろ)は金品を贈る。「賄賂」などと使う。

「四魔」(しま)は、心身を悩まし乱す煩悩魔、身体の苦悩を生じる五蘊魔、生命を奪う死魔、善行を妨げる天魔。

「奸」(がん)はおかす。みだらな異性関係をもつ。「奸夫」「奸婦」 などと使う。

「児」(じ)は幼い子ども。わらべ。「児童」「幼児」 などと使う。

「唐」(から、トウ、タウ)は中国の王朝の名前だが、デタラメという意味もある。「荒唐無稽」に唐か使われている。「荒唐無稽」とは、言説に根拠がなく有り得ないという意味。

「目」(め)はみる、まなざし。その状態にある様。


直訳すると、

「下品な者が金品を贈り、心を悩まし乱し、悪の道に引き入れ、みだらな行為を見た子どもがあり得ないと眺めて見ている」というふうになるが、ここでは単に“当て字”“造語”として考えたものだから、単に「広島が束縛や不満が多くて自由に生きていけない様子」と思ってもらえばいい。

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