「日本はもう駄目だ」終戦前から庶民は感付いていた

戦争に勝つための最終兵器「原子爆弾」の開発に明け暮れていた米国、日本、ドイツだったが、1945年の終戦の年には日本はすでに瀕死の状態だったようだ。その事が「特集 終戦の日に寄せて」(中国新聞)から読み取れる。戦争の結果を知っているだけに、当時の庶民は敗戦に感付いていたと思われる。

投稿者は高齢者だが、当時のことを鮮明に記憶しているようだ。その中から一部引用してみたい。


兵士が「もう日本は駄目だ」
野戦病院から武漢に戻った後、8月6日に広島が壊滅したことを知らされた。その年の春ごろ、兵士から「もう日本は駄目だ」と勝ち目がないことを聞いた。(97歳女性)

「年の者」の招集
父は42歳で招集され、「わしらのような年の者が戦争に行くようでは日本はもう駄目だ」と言っていた。(87歳女性)

「まだ戦う」と言う軍人も
爆撃が終わって壕から出ると「戦争は負けない。まだ戦うぞ」と、長い軍刀を振り回して怒鳴る軍人がいて怖かった。(90歳男性)

燃料に「松根油」
母は動員された呉海軍工廠に赴き、寮生活をしていた。食べ物が粗末で少量しかなく、体を壊す人が多かったという。航空機の燃料にするため、山に松根油を取りに行ったそうだ。母は「そんなものを使うようでは日本は負けると思った。口に出すと憲兵に連れていかれるので言えなかった」(71歳女性)


こんな状況の日本だったが、その頃の米国は何をしていたのか。当時の記事から米国の原爆開発を日本と比較してみる。


原子爆弾、「真珠湾」以前に準備
1945年8月16日(朝日)

トルーマン大統領は6日に行われた広島に対する爆撃に最新式爆弾を初めて使用した。この爆弾はポツダム宣言を拒ばんだことに対するアメリカの答えだとしている。

トルーマンによると、この爆弾の生産に20億ドルを費やし、12万5千人の労働者が働いており、補助工場に6万5千人が働いている。

この2年半の間、完全に秘密が保たれてきた。

爆弾はTNT2万トンよりもさらに強力であり、歴史上最大の爆弾たる英国のグランド・スラムの2千倍以上の爆発力を有する。

これは原子爆弾である。

1942年迄は我々はドイツ人が原子エネルギーを猛烈に研究していたことを知っていたが、彼らは失敗した。真珠湾事件に先立ち1940年に結ばれた米英協定の結果、原子爆弾の研究が開始された。


原資爆弾投下


2010年8月5日 日本の原爆開発と広島原爆投下を振り返る
日本の原爆開発と広島原爆投下を振り返る

2015年11月1日 NHKスペシャル「原爆・スパイ戦の真実」恐怖の均衡を願った科学者がいた
NHKスペシャル「原爆・スパイ戦の真実」恐怖の均衡を願った科学者がいた


関連記事

スポンサーリンク

コメント 0件

コメントはまだありません

コメントをどうぞ