広島の”あらいぐま”が捕獲されるまで

広島の”あらいぐま”(河井克行衆院議員)がとうとう捕まった。そこで、捕獲されるまでの”あらいぐま”の波乱に満ちた人生を、簡単に振り返ってみたい。あらいぐまは三原市本町に生まれ、ミッション系の広島学院に通学して慶応に進学した。あらいぐまは1991年に広島県議になったが、いきなり国政に出ると言い、1996年に衆院選に初当選した。


1991年 広島県議に初当選したとき
1991年 河井克行議員


地元民によると、国政に進出すると発表したとき、何のあいさつもなく、ドカッと座って「国政に出るけえ」などと言い放ったという。その態度のデカさに住民は驚いたという。

1999年には秘書に対して暴行事件を起こしたことを週刊誌に書かれたが、この時は辛くも逃げ切った。地元では、週刊誌に書かれる前からこの事件のことは有名で、安佐南区以外の地域にも広く知れ渡っていた。

ある議員が「ずいぶん古いことを今頃書いている」などと言っていた。

この時期、広島市の小学校時代の後輩が「河井先輩のアダ名はスネ夫。実家は薬局経営の裕福な家庭で事あるごとに、僕と君らでは育ちが違うみたいなことを言う嫌みなヤツだった。当然、皆から嫌われていた」と発言している。

あらいぐまは、確かに細かいと言われていた。金銭の支出など、「これでいいのか」などと用心深いと聞いていた。

しかしその反面、短気で荒っぽいところもあり、雇った秘書が200人以上も辞めていったことを週刊誌に書かれた。車の後ろの座席から運転席を蹴飛ばしたり、速度超過を強要したりと、まさに”天狗”となっていた。

ある喫茶店の店主から聞いたのだが、「あいつだけは許さん」と、客として来店していたあらいぐまの元秘書が嘆いていたという。店主もあらいぐまのことを”天狗なんじゃ”と言っていた。

地元民によると、あらいぐまの行動パターンは、平日は国会に出席するために東京に滞在するが、土日は広島に戻って地域住民の集会やイベントに出席していたという。

ところが19年の参院選後、週刊誌に公選法違反の疑いをスッパ抜かれ、土日も広島には戻らなかったらしい。

安佐南区の実家は、しばらく空き家状態になっているが、誰かが掃除に来ている模様。家の塀にはデカデカとポスターが掲示されており、ご近所さんは、逮捕された”あらいぐま”を、嫌でも朝から晩まで見る羽目になっている。これはまさに拷問と言ってもいいだろう。


”あらいぐま”のシール
河井克行、案里 広島市安佐南区 



強制的に毎日見せつけられる実家のポスター
河井克行 実家 広島市安佐南区


今回の逮捕劇は、広島地検や他府県からの応援で成しえた成果だといえるが、子分の渡辺典子県議が、検察の強引な捜査手法を問題視していた。しかし、世論は検察に味方しているようだ。


広島地検
広島地検01

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