リニューアルオープンした原爆資料館がクリスタル 展示品は実物重視で「あの日」に迫る
4月25日、平和記念資料館(別称:原爆資料館)の本館がリニューアルオープンした。展示物は物議を醸した“ろう人形”は撤去され、実物中心の遺品や写真で構成されていた。さらにデジタル化された映像の演出などで、クリスタルな雰囲気だ。レトロな原爆資料館から近代的でクリスタルな原爆資料館へのリニューアルは世界標準仕様といったところだろうか。外国人を含めた来館者には概ね高評価だと思う。
本館入り口で目に飛び込んでくる少女の写真

ファットマンとリトルボーイ

ただ、いわく付きのあの写真は展示されていなかった。なぜいわく付きかと言えば、1978年に国連が展示を拒んだ写真だからだ。報道では長崎で被爆したとしているが、広島でも展示してほしい1枚だ。この写真は今、どこにあるのだろうか。
「全身熱傷の少女」※今回展示なし

国連から展示にクレームが付いた「全身熱傷の少女」
昭和53年5月(1978年5月)、原子爆弾の洗礼を受けた広島・長崎両市はニューヨーク市の国連本部の1階ロビーで当時の状況を伝える65点の原爆の写真を展示する予定であったが、この写真のうち、原爆の熱線で火傷やケロイドを負った人の写真について国連事務局から「残酷すぎるので写真を差し替えるなどの配慮をしてほしい」と、両市に申し出があったもの。両市は「原爆の実相を伝えるには欠かせない写真だ。何としても展示を実現させたい」と国連事務局に働きかけた。問題になった写真は、「全身熱傷の少女」2枚、「熱線熱傷」(カラー)1枚、「広島市の火傷とケロイドが出ている写真」2枚で計5枚。これらの写真は日本国内では平和文化センター(広島市)、国際文化会館(長崎市)に展示されたほか、出版物を通じて国内外に広く知れ渡っている。つまり、被爆写真の展示に国連がクレームを付けた写真だったのだ。
「あの日」に迫る
リニューアル後は、犠牲者の遺品など約300点の実物資料を中心に展示内容を一新し、「あの日」により深く迫るというもの。1955年の開館から3度目の大規模な改修で、国内外からの観光客や市民が相次ぎ訪れた。
東館であったセレモニーで、松井一実市長は「核兵器のない平和な世界の実現を願うヒロシマの心を市民社会の共通の価値観にする役割を、これまで以上に果たせるようになる」とあいさつ。滝川卓男館長たちとテープカットに臨んだ。
午前8時半に開館した。児童生徒や家族連れたちは資料に見入り、被爆者の苦しみや子どもを失った親の悲痛な思いに触れて涙を拭う姿もあった。
本館の展示は、破壊された都市の状況をイメージしてもらう「8月6日の惨状」や、遺品や遺影を通して被爆者や遺族の苦しみに向き合う「魂の叫び」など4コーナーで構成される。実物資料305点(複製6点を含む)をはじめ、原爆の絵や写真など計538点の資料を並べる。(写真資料は休館前の112点から173点に増加)
被爆者の高齢化が進み、記憶の継承が課題となる中、来館者の感性に訴え掛ける形で原爆の惨禍と核兵器の非人道性を伝えるよう改修した。今回は本館で「被爆の実相」を、東館で「核兵器の危険性」や復興と平和活動をたどる「広島の歩み」を学べるよう整理した。(中国)
学校の図書館で初めて見て驚いた被爆写真「死の斑点が出た兵士」

【原爆資料館】
1955年に本館、94年に東館が開館した。広島市は国重要文化財の本館の耐震化を進め、被爆の惨状や核兵器の非人道性をより分かりやすく伝える施設を目指し、2014年3月に全面改修に着手。東館は14年9月に展示スペースを閉じて改装し、17年4月に再び開館した。入れ替わって本館を閉鎖し、内部改修と耐震化を進めた。耐震化工事は19年度中に終える。総事業費は70億3500万円。資料館の18年度の入館者数は152万2453人。外国人の数は43万4838人で6年連続最多を更新した。
来館者、概ね高評価
原爆資料館本館(広島市中区)がリニューアルオープンした4月25日、訪れた入館者は「原爆の恐ろしさがよく分かる」「被爆者や家族の思いが伝わってきた」などと、概ね好意的に受け止め、涙を浮かべながら見学する姿も見られた。
一方で今後のさらなる展示内容の充実や、説明の工夫を求める意見も上がった。
改装では、原爆被害の事実を伝えるだけでなく、被爆者や遺族の苦しみに向き合ってもらうことを重視した。
かつてあった被爆直後を再現したろう人形は撤去され、実物中心の構成となった。感性に訴えかけるとして館内の説明文は最小限になっている。
被爆者団体などの関係者も事前に見学し、さまざまな反応を見せた。
「あの日の悲惨さが伝わる展示になった。特に本館入り口の少女の写真や子どもの遺品は訴える力があった」(広島県被団協の箕牧智之(みまき・としゆき)理事長代行)(77)。
もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(74)は「じっくり見ないと伝わらない構成。館内の混雑が続く中でどう受け取ってもらえるか不安もある」と、展示や説明の工夫求めた。
被爆者でもある元原爆資料館長の原田浩さん(79)は「惨状が『この程度』と思われないよう、被爆者の声を取り入れ、展示を必要に応じて見直してほしい」と訴えた。(中国)
市民が描いた絵も、なぜか説得力がある。他人事だと思わずに、自分の家族に起きたことのように置き換えて考えると、1枚の絵からでも当時の状況が甦ってきて同化しそうだ。
「黒こげの親子」

「お母ちゃんは死んでいるのよ」

きれいな写真の「佐々木貞子の死」1955年

本館入り口で目に飛び込んでくる少女の写真

ファットマンとリトルボーイ

ただ、いわく付きのあの写真は展示されていなかった。なぜいわく付きかと言えば、1978年に国連が展示を拒んだ写真だからだ。報道では長崎で被爆したとしているが、広島でも展示してほしい1枚だ。この写真は今、どこにあるのだろうか。
「全身熱傷の少女」※今回展示なし

国連から展示にクレームが付いた「全身熱傷の少女」
昭和53年5月(1978年5月)、原子爆弾の洗礼を受けた広島・長崎両市はニューヨーク市の国連本部の1階ロビーで当時の状況を伝える65点の原爆の写真を展示する予定であったが、この写真のうち、原爆の熱線で火傷やケロイドを負った人の写真について国連事務局から「残酷すぎるので写真を差し替えるなどの配慮をしてほしい」と、両市に申し出があったもの。両市は「原爆の実相を伝えるには欠かせない写真だ。何としても展示を実現させたい」と国連事務局に働きかけた。問題になった写真は、「全身熱傷の少女」2枚、「熱線熱傷」(カラー)1枚、「広島市の火傷とケロイドが出ている写真」2枚で計5枚。これらの写真は日本国内では平和文化センター(広島市)、国際文化会館(長崎市)に展示されたほか、出版物を通じて国内外に広く知れ渡っている。つまり、被爆写真の展示に国連がクレームを付けた写真だったのだ。
「あの日」に迫る
リニューアル後は、犠牲者の遺品など約300点の実物資料を中心に展示内容を一新し、「あの日」により深く迫るというもの。1955年の開館から3度目の大規模な改修で、国内外からの観光客や市民が相次ぎ訪れた。
東館であったセレモニーで、松井一実市長は「核兵器のない平和な世界の実現を願うヒロシマの心を市民社会の共通の価値観にする役割を、これまで以上に果たせるようになる」とあいさつ。滝川卓男館長たちとテープカットに臨んだ。
午前8時半に開館した。児童生徒や家族連れたちは資料に見入り、被爆者の苦しみや子どもを失った親の悲痛な思いに触れて涙を拭う姿もあった。
本館の展示は、破壊された都市の状況をイメージしてもらう「8月6日の惨状」や、遺品や遺影を通して被爆者や遺族の苦しみに向き合う「魂の叫び」など4コーナーで構成される。実物資料305点(複製6点を含む)をはじめ、原爆の絵や写真など計538点の資料を並べる。(写真資料は休館前の112点から173点に増加)
被爆者の高齢化が進み、記憶の継承が課題となる中、来館者の感性に訴え掛ける形で原爆の惨禍と核兵器の非人道性を伝えるよう改修した。今回は本館で「被爆の実相」を、東館で「核兵器の危険性」や復興と平和活動をたどる「広島の歩み」を学べるよう整理した。(中国)
学校の図書館で初めて見て驚いた被爆写真「死の斑点が出た兵士」

【原爆資料館】
1955年に本館、94年に東館が開館した。広島市は国重要文化財の本館の耐震化を進め、被爆の惨状や核兵器の非人道性をより分かりやすく伝える施設を目指し、2014年3月に全面改修に着手。東館は14年9月に展示スペースを閉じて改装し、17年4月に再び開館した。入れ替わって本館を閉鎖し、内部改修と耐震化を進めた。耐震化工事は19年度中に終える。総事業費は70億3500万円。資料館の18年度の入館者数は152万2453人。外国人の数は43万4838人で6年連続最多を更新した。
来館者、概ね高評価
原爆資料館本館(広島市中区)がリニューアルオープンした4月25日、訪れた入館者は「原爆の恐ろしさがよく分かる」「被爆者や家族の思いが伝わってきた」などと、概ね好意的に受け止め、涙を浮かべながら見学する姿も見られた。
一方で今後のさらなる展示内容の充実や、説明の工夫を求める意見も上がった。
改装では、原爆被害の事実を伝えるだけでなく、被爆者や遺族の苦しみに向き合ってもらうことを重視した。
かつてあった被爆直後を再現したろう人形は撤去され、実物中心の構成となった。感性に訴えかけるとして館内の説明文は最小限になっている。
被爆者団体などの関係者も事前に見学し、さまざまな反応を見せた。
「あの日の悲惨さが伝わる展示になった。特に本館入り口の少女の写真や子どもの遺品は訴える力があった」(広島県被団協の箕牧智之(みまき・としゆき)理事長代行)(77)。
もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(74)は「じっくり見ないと伝わらない構成。館内の混雑が続く中でどう受け取ってもらえるか不安もある」と、展示や説明の工夫求めた。
被爆者でもある元原爆資料館長の原田浩さん(79)は「惨状が『この程度』と思われないよう、被爆者の声を取り入れ、展示を必要に応じて見直してほしい」と訴えた。(中国)
市民が描いた絵も、なぜか説得力がある。他人事だと思わずに、自分の家族に起きたことのように置き換えて考えると、1枚の絵からでも当時の状況が甦ってきて同化しそうだ。
「黒こげの親子」

「お母ちゃんは死んでいるのよ」

きれいな写真の「佐々木貞子の死」1955年

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