富山GRNサンダーバーズの監督になっていた二岡智弘氏
2017~18年に読売巨人軍の一軍打撃コーチだった二岡智弘氏が、2019年からベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山GRNサンダーバーズの監督をしているという。本人が野球の監督業を希望していたという。富山と言えば「薬」、そして永遠に忘れることができない山本モナとの事件。二岡氏はBCリーグで日々、悩みながら新しい人生を切り開いているそうだ。以下、スポーツ報知から引用。
監督になりたい
広島・広陵高時代からプロに注目され、近畿大を経て逆指名で巨人入り。NPBでスタープレーヤーとして君臨した男にとって、独立リーグは無縁の場所にも見える。だが、自ら就職活動して、この地にやってきた。トレードで日本ハムに移籍して現役引退後、古巣・巨人では2軍、1軍と計3年間打撃コーチとして指導していた。
「選手が育っていく、うまくなっていくということに、すごく楽しみがあった」
「NPBってやっぱり、コーチがいっぱい居る。打撃コーチだって、一人じゃない。だから、選手に対しても、自分が育てた、とかそういう風に思わないし、思えなかったよね」
「自分の思い通りにやってみたい」
巨人退団を決めた10月終わり、BCリーグの事務局に連絡を入れた。「どこか監督を探しているチームはないですかね?」
伝え聞いた富山はすぐに動いた。永森茂球団社長は、すぐに上京して二岡に監督要請をしようとした。
「いえ、僕が富山に伺います」
「二岡さんが来たら、今年は優勝やちゃ!」地元・高岡のファンは盛り上がった。
「NPBで活躍する選手を1人でも多く輩出したい」、就任会見で、二岡監督はそう言った。 「育成のつもりで来たけど、やるなら勝ちたい、って思う。そういう環境で育ってきたし、勝負事に厳しい血が流れてるからなあ。オレは一番の負けず嫌いだから。それは間違いない」。
初対面の上司と部下
一体どんな人なのか。選手たちはとりあえず探りを入れるところからスタートした。二岡はそこで、やさしくほほ笑みかける。声を掛ける。選手たちの警戒レベルを下げるのが第一歩だった。
キャンプインは3月9日。それまでは2月1日から合同自主トレとして練習がスタートした。自主トレとは名ばかり。二岡監督の指導も、その段階から始まっていた。
全体練習が終わると、指揮官は言った。
「じゃあ、後はやりたいことやって、帰れよ」
次の瞬間にガク然とした。その声が合図になったかのように、みなが荷物を片づけて帰ってしまった。
「まだ午後2時だよ。グラウンドが確保されてて、まだ使えるってのに。帰って、何するんだよ。見事に、全員帰ったからね。こんなもんなんか、って、悲しくなったね」
個々の意識の低さを目の当たりにした。この現実を受け入れて、二岡は次の策に出た。翌日から、個別練習メニューを追加した。
例えば、内野手だけは全体練習後にノックを受ける、とする。当然、二岡監督もその個別練習も見守る。そうすると、他の選手も帰るワケにも行かず、自然と自主トレが続くようになった。
「怖くはないけど、厳しいとは思われてるだろうね」
二岡はキレないわけじゃない。腹が立ち、イライラもする。一度だけ、怒りのあまり、練習途中で帰ったことがあった。
前日のオープン戦でバントなどのミスが多発。サインプレーが決まらない場面もあった。その翌日の練習で、バント練習組が練習中に無駄話をしていた。その姿を見ていられなくなったのだった。
「ここの選手たちのレベルが問題なんじゃない。ミスが出るのも仕方ない。ただ、怠慢とか、一生懸命やってない、ってことは許せない。独立リーグだからこの辺で妥協するとか、それだけは無理。できない」
つい数か月前まで、NPBの1軍で打撃を教えていた自分。その「目が肥えているうちに」と、ここにやって来た。NPBを目指す選手たちと、NPB選手を教えた時と同じように、真剣に向き合いたい。だから、譲れない部分は譲らない。
監督、選手、互いの思い
「なんでオレに聞かないのかな」
疑問は毎日のように襲ってくる。選手たちが気軽に声を掛けてこられるよう、ハードルを下げたつもり。それでもおかしな光景に出くわす。
練習中、誰に指導するわけでもなく、全体を見渡している時間がある。そんな時、いつも目に入ってくるのは、選手たちが選手同士で打撃について話している姿。選手が選手に教えている。ある練習日、いつものごとく、2人の選手が教え合っていた。同時に、ちらちらとこちらの様子を伺っているが、近づいては来ない。
ついに耐えられずに、声を掛けた。「オレに聞いて来いよ。おまえら向上心ないな。うまくなりたいと思わないの?」
すると選手は言った。「いえ、しょうもないことを監督に聞いたら、失礼かなと思って」
は?と思う気持ちは押し殺した。
「何言っちゃってんだよ。おまえら、いつだってしょうもないことしか聞かねえじゃねえか」笑い飛ばした。
二岡は開幕を前に、ミーティングを開いた。選手一人ひとりに、自分の打撃フォームを説明させた。何を狙って、どんな意図でそういうフォームなのか。全選手の話を聞くと、ある選手を指名した。
「オレの打撃、マネして見せてよ」
左足をやや開いて構え、インコースの球を右方向に持っていくスイング。“ミスター右中間”と言われた男の打撃フォームを、その選手は見事に再現した。
そして、なぜその打ち方になるのかを、二岡監督はみなの前で説明した。
口だけであっさり終わるのではない。“実演”があればなお、選手たちの頭にもスッと入っていく。
「選手が聞いてこないからね。だったら、聞かせるしかないかなと思って」
二岡がさらにハードルを下げた瞬間だった。
.
サヨナラ勝ちで選手に抱きつかれる二岡監督
いよいよ開幕。監督になって2キロ体重が落ちた。
「食わないからだね」
単身赴任で、食事は簡単に済ます。昼はコンビニで買ってくるおにぎり1個だけ、が定番。開幕戦も例外じゃない。やはり、おにぎりを1つ買ってやってきた。最近のお気に入りの一つ、「牛すじどて煮おにぎり」をほおばった。
試合前には、打撃投手として10選手に投げ込んだ。テンポが早く、1人に約50球は投げる。
試合中は攻撃時に一塁コーチャーになり、守りになれば、ベンチから捕手、野手へサインを送る。オープン戦でもずっと同じように過ごしてきた。この日も、いつもと変わらない、はずだった。妙に喉が乾く。ペットボトルの水を口にしてフタを締めたかと思うと、次の瞬間にはまたフタを開けて飲む。
9回に2点差を追いつかれ延長に突入したが、10回にサヨナラを決めて、監督初勝利を手にした。
「疲れたぁ」
戻ってきた控え室で、しばし動けなかった。試合途中に空腹に耐えられず、控え室でまんじゅうを口にした。
「こんなに腹減ったの初めてだよ。今まで試合前のおにぎり1個で全く問題なかったのに」
勝ちに行く試合は、オープン戦とはワケが違った。攻撃中、一塁コーチャーとしてグラウンドに立つ。代打を出すのも、攻撃のサインを出すのも、一塁コーチャーズボックスからの指令になる。
サヨナラのチャンスとなった9回の攻撃。バントさせるために代打起用を決め、その次の打者も「代打」と指示を出していた。あくまでもこれは、「バント成功」プランだ。
ところがバント失敗。
「失敗となれば他のプランも頭に巡るけど、居る場所が場所だから、とっさには動けない。結局、次の打者に『自由に打て』のサインを出してから、いや、やっぱりバントか? と思った時にはもう遅い」
ベンチから指示を出せれば、「失敗」プランへの変更もスムーズだったかもしれない。ネクストバッターズサークルで出番を待つ次打者に「やっぱりここは、代打はやめとこう」と、ささやくことも可能だっただろう。
だが、流れる試合の中で、一塁コーチャーも務める二岡監督が冷静にプラン変更をすることは難しかった。スタッフが少なく、兼任業務が多い独立リーグの監督ならではの孤独を、初めて味わった。
「こんなに疲れるの? オレ1年もたないわ」
野球という仕事で生きていくために
開幕翌日の朝、午前6時前には自然と目が覚めていた。 「あんなに疲れたのに、いつものように起きちゃうんだよな。ジジィだな、オレ」
そしてこの日、事件は起こった。
セーフティースクイズのサインを出した。相手バッテリーが警戒して初球を外したことで、打者はボール球を見送ったが、三塁走者が飛び出してしまい、アウトになった。ここで追加点が奪えなかったことが、敗戦につながった。監督初黒星。
試合後のミーティング。失敗した走者は言った。「動きはわかっていたつもりなんですが…やった経験があまりないので…」
「十分に練習をさせずにサインを出したオレも悪い。申し訳ない」
「でもわからないこと、疑問に思ったことは、聞いてくれ。聞くのを恥ずかしがってる場合じゃない。試合で恥かく方が、よっぽどみっともないだろ」
開幕4戦目、4-2で2点リードの7回にセーフティースクイズが決まって加点。5-3での勝利に繋がった。2戦目の失敗後、練習が行われたのは言うまでもない。
一筋縄ではいかない。それでも少しずつ、チームは同じ方向に動き始めている。
投手12、野手13、計25名の選手たち。「少なくとも2選手は、俺に技術指導を求めてくるようになったよ」とはにかんだ指揮官。やっぱり、自分の選んだ監督としての日々は「楽しい」。富山を二岡野球に染めるべく、指揮官の戦いは続く。
〈二岡智宏〉1976年4月29日、広島県生まれ。42歳。広陵高、近大を経て、逆指名した巨人に98年ドラフト2位で入団。1年目から正遊撃手として活躍。2002年に日本シリーズMVP、03年にベストナイン。08年オフに日本ハムへ移籍し13年限りで現役引退。15年オフに巨人2軍打撃コーチに就任し、17年から1軍打撃コーチ。昨オフに退団。通算成績は1457試合で1314安打、打率2割8分2厘、173本塁打、622打点。180センチ、80キロ。右投右打。
◇富山GRNサンダーバーズ 2006年11月に創立し、07年のリーグ創設時から参戦。15年には元巨人のタフィ・ローズ外野手が加入して話題を集めた。資本金9325万円で、地元の企業、個人など約70の株主が支える。昨年は、今季から楽天の1軍投手チーフコーチとなった伊藤智仁氏が監督を務めていた。
監督になりたい
広島・広陵高時代からプロに注目され、近畿大を経て逆指名で巨人入り。NPBでスタープレーヤーとして君臨した男にとって、独立リーグは無縁の場所にも見える。だが、自ら就職活動して、この地にやってきた。トレードで日本ハムに移籍して現役引退後、古巣・巨人では2軍、1軍と計3年間打撃コーチとして指導していた。
「選手が育っていく、うまくなっていくということに、すごく楽しみがあった」
「NPBってやっぱり、コーチがいっぱい居る。打撃コーチだって、一人じゃない。だから、選手に対しても、自分が育てた、とかそういう風に思わないし、思えなかったよね」
「自分の思い通りにやってみたい」
巨人退団を決めた10月終わり、BCリーグの事務局に連絡を入れた。「どこか監督を探しているチームはないですかね?」
伝え聞いた富山はすぐに動いた。永森茂球団社長は、すぐに上京して二岡に監督要請をしようとした。
「いえ、僕が富山に伺います」
「二岡さんが来たら、今年は優勝やちゃ!」地元・高岡のファンは盛り上がった。
「NPBで活躍する選手を1人でも多く輩出したい」、就任会見で、二岡監督はそう言った。 「育成のつもりで来たけど、やるなら勝ちたい、って思う。そういう環境で育ってきたし、勝負事に厳しい血が流れてるからなあ。オレは一番の負けず嫌いだから。それは間違いない」。
初対面の上司と部下
一体どんな人なのか。選手たちはとりあえず探りを入れるところからスタートした。二岡はそこで、やさしくほほ笑みかける。声を掛ける。選手たちの警戒レベルを下げるのが第一歩だった。
キャンプインは3月9日。それまでは2月1日から合同自主トレとして練習がスタートした。自主トレとは名ばかり。二岡監督の指導も、その段階から始まっていた。
全体練習が終わると、指揮官は言った。
「じゃあ、後はやりたいことやって、帰れよ」
次の瞬間にガク然とした。その声が合図になったかのように、みなが荷物を片づけて帰ってしまった。
「まだ午後2時だよ。グラウンドが確保されてて、まだ使えるってのに。帰って、何するんだよ。見事に、全員帰ったからね。こんなもんなんか、って、悲しくなったね」
個々の意識の低さを目の当たりにした。この現実を受け入れて、二岡は次の策に出た。翌日から、個別練習メニューを追加した。
例えば、内野手だけは全体練習後にノックを受ける、とする。当然、二岡監督もその個別練習も見守る。そうすると、他の選手も帰るワケにも行かず、自然と自主トレが続くようになった。
「怖くはないけど、厳しいとは思われてるだろうね」
二岡はキレないわけじゃない。腹が立ち、イライラもする。一度だけ、怒りのあまり、練習途中で帰ったことがあった。
前日のオープン戦でバントなどのミスが多発。サインプレーが決まらない場面もあった。その翌日の練習で、バント練習組が練習中に無駄話をしていた。その姿を見ていられなくなったのだった。
「ここの選手たちのレベルが問題なんじゃない。ミスが出るのも仕方ない。ただ、怠慢とか、一生懸命やってない、ってことは許せない。独立リーグだからこの辺で妥協するとか、それだけは無理。できない」
つい数か月前まで、NPBの1軍で打撃を教えていた自分。その「目が肥えているうちに」と、ここにやって来た。NPBを目指す選手たちと、NPB選手を教えた時と同じように、真剣に向き合いたい。だから、譲れない部分は譲らない。
監督、選手、互いの思い
「なんでオレに聞かないのかな」
疑問は毎日のように襲ってくる。選手たちが気軽に声を掛けてこられるよう、ハードルを下げたつもり。それでもおかしな光景に出くわす。
練習中、誰に指導するわけでもなく、全体を見渡している時間がある。そんな時、いつも目に入ってくるのは、選手たちが選手同士で打撃について話している姿。選手が選手に教えている。ある練習日、いつものごとく、2人の選手が教え合っていた。同時に、ちらちらとこちらの様子を伺っているが、近づいては来ない。
ついに耐えられずに、声を掛けた。「オレに聞いて来いよ。おまえら向上心ないな。うまくなりたいと思わないの?」
すると選手は言った。「いえ、しょうもないことを監督に聞いたら、失礼かなと思って」
は?と思う気持ちは押し殺した。
「何言っちゃってんだよ。おまえら、いつだってしょうもないことしか聞かねえじゃねえか」笑い飛ばした。
二岡は開幕を前に、ミーティングを開いた。選手一人ひとりに、自分の打撃フォームを説明させた。何を狙って、どんな意図でそういうフォームなのか。全選手の話を聞くと、ある選手を指名した。
「オレの打撃、マネして見せてよ」
左足をやや開いて構え、インコースの球を右方向に持っていくスイング。“ミスター右中間”と言われた男の打撃フォームを、その選手は見事に再現した。
そして、なぜその打ち方になるのかを、二岡監督はみなの前で説明した。
口だけであっさり終わるのではない。“実演”があればなお、選手たちの頭にもスッと入っていく。
「選手が聞いてこないからね。だったら、聞かせるしかないかなと思って」
二岡がさらにハードルを下げた瞬間だった。
.
サヨナラ勝ちで選手に抱きつかれる二岡監督
いよいよ開幕。監督になって2キロ体重が落ちた。
「食わないからだね」
単身赴任で、食事は簡単に済ます。昼はコンビニで買ってくるおにぎり1個だけ、が定番。開幕戦も例外じゃない。やはり、おにぎりを1つ買ってやってきた。最近のお気に入りの一つ、「牛すじどて煮おにぎり」をほおばった。
試合前には、打撃投手として10選手に投げ込んだ。テンポが早く、1人に約50球は投げる。
試合中は攻撃時に一塁コーチャーになり、守りになれば、ベンチから捕手、野手へサインを送る。オープン戦でもずっと同じように過ごしてきた。この日も、いつもと変わらない、はずだった。妙に喉が乾く。ペットボトルの水を口にしてフタを締めたかと思うと、次の瞬間にはまたフタを開けて飲む。
9回に2点差を追いつかれ延長に突入したが、10回にサヨナラを決めて、監督初勝利を手にした。
「疲れたぁ」
戻ってきた控え室で、しばし動けなかった。試合途中に空腹に耐えられず、控え室でまんじゅうを口にした。
「こんなに腹減ったの初めてだよ。今まで試合前のおにぎり1個で全く問題なかったのに」
勝ちに行く試合は、オープン戦とはワケが違った。攻撃中、一塁コーチャーとしてグラウンドに立つ。代打を出すのも、攻撃のサインを出すのも、一塁コーチャーズボックスからの指令になる。
サヨナラのチャンスとなった9回の攻撃。バントさせるために代打起用を決め、その次の打者も「代打」と指示を出していた。あくまでもこれは、「バント成功」プランだ。
ところがバント失敗。
「失敗となれば他のプランも頭に巡るけど、居る場所が場所だから、とっさには動けない。結局、次の打者に『自由に打て』のサインを出してから、いや、やっぱりバントか? と思った時にはもう遅い」
ベンチから指示を出せれば、「失敗」プランへの変更もスムーズだったかもしれない。ネクストバッターズサークルで出番を待つ次打者に「やっぱりここは、代打はやめとこう」と、ささやくことも可能だっただろう。
だが、流れる試合の中で、一塁コーチャーも務める二岡監督が冷静にプラン変更をすることは難しかった。スタッフが少なく、兼任業務が多い独立リーグの監督ならではの孤独を、初めて味わった。
「こんなに疲れるの? オレ1年もたないわ」
野球という仕事で生きていくために
開幕翌日の朝、午前6時前には自然と目が覚めていた。 「あんなに疲れたのに、いつものように起きちゃうんだよな。ジジィだな、オレ」
そしてこの日、事件は起こった。
セーフティースクイズのサインを出した。相手バッテリーが警戒して初球を外したことで、打者はボール球を見送ったが、三塁走者が飛び出してしまい、アウトになった。ここで追加点が奪えなかったことが、敗戦につながった。監督初黒星。
試合後のミーティング。失敗した走者は言った。「動きはわかっていたつもりなんですが…やった経験があまりないので…」
「十分に練習をさせずにサインを出したオレも悪い。申し訳ない」
「でもわからないこと、疑問に思ったことは、聞いてくれ。聞くのを恥ずかしがってる場合じゃない。試合で恥かく方が、よっぽどみっともないだろ」
開幕4戦目、4-2で2点リードの7回にセーフティースクイズが決まって加点。5-3での勝利に繋がった。2戦目の失敗後、練習が行われたのは言うまでもない。
一筋縄ではいかない。それでも少しずつ、チームは同じ方向に動き始めている。
投手12、野手13、計25名の選手たち。「少なくとも2選手は、俺に技術指導を求めてくるようになったよ」とはにかんだ指揮官。やっぱり、自分の選んだ監督としての日々は「楽しい」。富山を二岡野球に染めるべく、指揮官の戦いは続く。
〈二岡智宏〉1976年4月29日、広島県生まれ。42歳。広陵高、近大を経て、逆指名した巨人に98年ドラフト2位で入団。1年目から正遊撃手として活躍。2002年に日本シリーズMVP、03年にベストナイン。08年オフに日本ハムへ移籍し13年限りで現役引退。15年オフに巨人2軍打撃コーチに就任し、17年から1軍打撃コーチ。昨オフに退団。通算成績は1457試合で1314安打、打率2割8分2厘、173本塁打、622打点。180センチ、80キロ。右投右打。
◇富山GRNサンダーバーズ 2006年11月に創立し、07年のリーグ創設時から参戦。15年には元巨人のタフィ・ローズ外野手が加入して話題を集めた。資本金9325万円で、地元の企業、個人など約70の株主が支える。昨年は、今季から楽天の1軍投手チーフコーチとなった伊藤智仁氏が監督を務めていた。
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