広島平和記念公園折り鶴14万羽焼失事件(2003年)

2003年8月1日午前8時頃(平成15年)、広島市中区の平和記念公園で、「原爆の子の像」の周りに設置された折り鶴の保管施設から火が出ているのを通行人が見つけ、119番通報した。約10分後に消し止められたが、約14万羽の折り鶴が燃え、保管施設が焦げてガラスが割れるなどした事件。

この近くの監視カメラに不審な3人組の若い男が映っていたため、犯人特定は早かった。

午前7時51分頃、現場南側のレストハウスに市が設置した監視カメラに、3人の若い男が保管施設を出入する姿が映っており、その直後に炎が上がったという。

※原爆の子の像は、千羽鶴を折りながら原爆症と闘った故・佐々木貞子さんをモデルに58年、全国の児童らの募金で建てられた。2002年2月、像に供えられた約5万羽の折り鶴が焼かれる事件があり、これを受けて市は監視カメラを設置した。同年4月、折り鶴を風雨から守る保管施設ができた。

広島県警は8月1日午後、大阪府東大阪市吉田3丁目、関西学院大4年山本淳哉容疑者(22)を器物損壊の疑いで逮捕した。山本容疑者は「留年が決まり、就職もできずにむしゃくしゃしていた」と供述した。

山本容疑者は1日午前7時55分頃、保管施設にあった折り鶴の束にライターで火をつけた。県警は、園内の監視カメラの映像などから、観光客の可能性もあるとみて手配。午前11時10分頃、宮島に向かう広島県大野町のフェリー乗り場近くで、服装がビデオの映像によく似ていた山本容疑者を発見。広島中央署に任意同行を求めて事情を聴いたところ、容疑を認めたという。

山本容疑者は、同じ大学の2人と同日午前2時半頃に車で兵庫県内を出発。午前6時頃、広島市に到着して公園で平和記念資料館(原爆資料館)が開くまで時間をつぶしていたが、山本容疑者が「火をつけたらどうなるか」と言い出し、突然、火をつけたという。(朝日)

平和記念公園 折り鶴

第68回平和記念式典と平和宣言(2013年)

8月6日、広島市の平和記念公園では平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ、被爆者や各都道府県の遺族代表、安倍首相、市民ら約5万人が犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにした。午前8時からの式典には、海外から70か国と欧州連合(EU)代表部の代表も出席。核保有大国では米、英、仏、露が大使らを送り、米国のルース大使は2010年以来、3度目の参列となった。

また、映画「プラトーン」や「JFK」で知られるアメリカの映画監督、オリバー・ストーン氏(William Oliver Stone)が参列したという。

この1年の間に死亡が確認された被爆者5859人の名前を書き加えた死没者名簿が原爆死没者慰霊碑に納められ、名簿は計104冊、死没者数は28万6818人となった。3月末現在の被爆者は全国で20万1779人。前年同期から9051人減った。平均年齢は78.8歳となり、前年より0.7歳上がった。


【平和宣言】

あの日から、68年目の朝が巡ってきました。

1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾により、その全てを消し去られた家族がいます。

「無事、男の子を出産して、家族でみんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂。無情にも喜びと希望が新しい命とともに一瞬にして消え去ってしまいました」

幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。

苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ、家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていて良かったと思うことは一度もなかった」と、長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消え去ることはありません。

生後8ヵ月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。

その女性は、結婚はしたものの1ヵ月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に、「あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出ていけー!」と、離婚させられました。

放射線の恐怖は時に人間の醜さや残忍さを引き出し、いわれのない風評によって結婚や就職、出産という人生の節目節目で多くの被爆者を苦しめてきました。

無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、「絶対悪」です。

原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。

辛く厳しい環境の中で被爆者は怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤し続けてきました。

後障害に苦しみ、「健康が欲しい」、「人並みの健康をください」と、何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、「他の誰も私のような残酷な目にあわせてはらない」と、考えるようになってきました。

被爆当時14歳の男性は訴えます。

「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば、戦争を避けることは決して夢ではない」

被爆者は、平均年齢が78歳を超えた今も平和への思いを訴え続け、世界の人々がその思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。

私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに答え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。

そのために広島市は、平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して2020年までの核兵廃絶を目指し、核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。

世界の為政者の皆さん、いつまで疑心暗鬼に陥っているのですか。

威嚇によって国の安全を守り続けることが出来ると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず、人類の未来を見据えて信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。

広島は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。

また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。

今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオバマ大統領は、核兵器の追加削減交渉をロシアに呼びかけ、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。

広島は、日本政府が核兵器廃絶を目指す国々との連携を強化することを求めます。

そして、来年春に広島で開催される軍縮不拡散イニシアチブ外相会合においてはNPT体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。

また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態に応じた支援策の充実や、黒い雨降雨地域の拡大を引き続き要請します。

この夏も東日本では、大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。

復興の困難を知る広島市民は、被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。

そして日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。

私たちは改めてここに68年間の先人の努力に思いを致し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向けて、力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。

平成25年8月6日 広島市長 松井一實

第26回平和記念式典で初の首相出席で騒然(1971年)

1971年(昭和46年)8月6日、第26回を迎えた平和記念式典は、首相が初めて出席した年である。しかし、そこでは様々な波乱があった。

この日は朝から雨が降り、式典に出席した人々は傘をさして参列していた。礼拝の曲が流れ、遺族や市長などが献花を行っていた時のことである。佐藤首相(当時)の番が来た時、ひとりの少女が突然、「あんたなんか帰って!」と、叫びながら飛び出し、首相の背後に駆け寄った。首相の顔に緊張の色が走ったが、少女はすぐに引き戻され、静寂にかえった。

また、数人の若い男女が式場に乱入し、公園西側の木立で突然「パン!パン!」と、爆竹が破裂した。紫の煙が会場に流れ、参列者の間に動揺が起きた。

広島平和記念公園の周辺では、式場へ向かうデモ隊の数々があった。相生橋、元安橋、本川橋、平和大橋、西平和大橋と、要路の5つの橋を警備する機動隊が進行を阻もうとし、小競り合いが繰り返えされた。


佐藤首相・平和記念式典


【終戦27年目にして初めて両陛下が原爆慰霊碑ご参拝】
この年の4月26日、天皇、皇后両陛下が初めて広島市の原爆慰霊碑に参拝され、黙とうを捧げて犠牲者の冥福を祈られた。続いて原爆養護ホームを尋ねられ、身寄りのない被爆者の老人にいたわりのお言葉をかけられた。

一瞬にして、20万人余の生命が失われた広島への原爆投下は、天皇陛下の「終戦の聖断」に決定的な影響をもったと言われ、慰霊碑への参拝は陛下の念願でもあった。それがようやく実現した。

広島平和記念公園には、被爆者を含む約3万3000人の市民が天皇・皇后両陛下を迎えた。


天皇・平和記念公園


【天皇ご訪問に反対の集会】
天皇、皇后両陛下の広島訪問をめぐり、「被爆者青年同盟」「広島部落解放研究会連合」「広島青年アジア研究会」の3団体連絡会議(土屋稔代表)が計画していた「天皇来広糾弾広島県民集会」を、広島平和記念会館で開く問題をめぐって、糾弾デモを一部認めた広島地裁の決定について、佐藤首相(当時)は異議申し立てをした。これは、広島県公安委員会の要請によるもので、「デモが認められると奉迎者との間に混乱が予想され、公共の秩序に大きな影響がある」とした。これにより広島地裁はさきの決定を取り消し、糾弾デモは出来なくなった。


【天皇ご訪問で広島大学学生らが批判集会】
天皇皇后両陛下が広島入りされた15日、「被爆者青年同盟」「広島部落研究会連合」「広島青年アジア研究会」の三団体連絡会議や広大全共闘学生は早朝から広島駅前、紙屋町交差点、広大本部正門前などでビラをまき、「天皇来広糾弾闘争」参加を呼びかけた。

同日午後、広大大学会館で全共闘主催の「天皇来広全学大公演集会」が開かれ、学生約250人が参加した。革共同の陶山健一政治局員は、「70年代と天皇制」について講演、「天皇の慰霊碑参拝」は、被爆者問題を圧殺し、アジア再侵略へ向ける国家総動員体制をもくろむものだ」と言った。

平和記念式典で広島市の松井市長に鳩がフンを投下

やはり、今日は特別な平和記念式典だった。広島市の松井市長の肩に目がけて鳩がフンを投下した。松井市長の平和宣言が終わると同時に無数の鳩が放たれた。その鳩のほとんどが松井市長の方向に飛び、そのなかの一羽が実行したのだ。これからの広島市政が吉とでるか凶とでるか楽しみだ。


広島は8月6日、66回目の「原爆の日」を迎え、平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族ら約5万人が犠牲者の冥福を祈った。東日本大震災が起き、福島第1原発事故による放射線被害が収束していない中での式典。菅直人首相は犠牲者の冥福を祈るとともに、挨拶で原発事故にふれ、「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指す」との持論を改めて示した。犠牲者の追悼が目的の式典でエネルギー政策に触れるのは異例。東京電力福島第1原発事故を受け、首相の強い意向で盛り込んだ。

首相はあいさつで、原発事故について「放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えた」と陳謝し、早期の事故収束と健康被害の防止に全力で取り組む決意を示した。その上で、国のエネルギー政策に関して「白紙からの見直しを進める」と強調、「事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来世代に伝えていくことがわれわれの責務」と訴えた。

広島市の松井一実市長は平和宣言で、初めて被爆者2人の手記を引用。「身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪を持ち続けている人も少なくない」と今も続く被爆者の苦しみを訴え、核保有国に対し、核兵器の廃絶に向けた取り組みを進めるよう求めた。また、東日本大震災に言及し「広島は一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援している」と述べた。原発事故については「原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘し、国に「国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきだ」と求めた。

午前8時に始まった式典では、この1年間に死亡が判明した被爆者5785人を書き加えた計27万5230人の原爆死没者名簿を慰霊碑に奉納し、被爆者や遺族代表らが献花。原爆投下時刻の午前8時15分に「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者全員で黙祷した。国内外の被爆者は今年3月末で21万9410人。前年より8100人余り減少し、平均年齢も77.44歳と0.71歳上がった。式典には、米国のズムワルト駐日首席公使をはじめ世界66カ国や国連、欧州連合から代表者が参列した。(産経)


松井広島市長2

松井広島市長3

松井広島市長6

 
松井広島市長4



松井広島市長5

福島原発事故で今がチャンスと広島平和記念公園で反戦反核座り込み

福島第1原発の事故を受け、反戦反核の立場から反原発を訴える市民団体「8・6ヒロシマ大行動実行委員会」のメンバーら約20人が4月2日、同区の平和記念公園で抗議の座り込みをした。「すべての原発をなくせ」「原発の即時停止・廃止」などのスローガンを書いた横断幕を掲げ、慰霊碑前に約1時間座り込み、アピールした。谷口恭子・同委事務局長が「ヒロシマから(反原発の)声が出ないことに危機感を覚え企画した。全国、全世界に訴えていこう」と呼びかけると、メンバーは「電力会社に原発を運営する能力はない」などと応じた。また、原発廃止を訴える署名も呼びかけた。同委は「広島、福島など全国各地で1000万人分の署名を集めたい」としている。(毎日)


広島大行動 谷口
首がしっかりと座っている。まさに広島顔だ。



広島で行われる反核運動・デモ行動は、冷静に見る全国の人たちからは、一種独特の奇妙さがあると良く聞く。それは、まったく関係ない団体が広島に集結するためだ。今回の原発事故で市民団体として本当にアピールするなら東京電力本社前や原子力・保安院前でやるべきだろう。そして反戦・反核を公言するなら中国や北朝鮮などにも当然行かなければ意味がない。ただの自己満足集団で終わりたくなければ。

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