佐村河内氏がJASRACと契約解除で一歩前進

佐村河内氏が息を吹き返しそうだ。本人は訴訟問題を抱えているが、この問題は結果的には軽微な賠償で終わる予感がする。理由は過去の新垣氏との取引内容がモノを言うだろう。そして、JASRACとの契約解除は、個々の楽曲の管理が煩雑になるが、著作権者が無駄銭を管理団体に支払わなくて済むことになる。あらゆるところから金をむしり取ってやろうとするJASRACの姿勢が問題になったこともある。この程度の管理は奥さんにやらせておけばいい。以下、NHKから引用。


交響曲HIROSHIMA

他人に作ってもらった曲を自分の作品として公表していた佐村河内守氏の楽曲を巡り、著作権を管理していた団体が、著作権が誰にあるのか疑義が解消されないとして、佐村河内氏名義のほぼすべての曲の管理契約を解除した。今後、これらの楽曲を利用する人は、使用料などを佐村河内氏と直接交渉する必要があり、専門家は「作品を利用しづらくなる可能性がある」と指摘する。

この問題は、聴覚障害を乗り越えて作曲活動をしているとしてきた佐村河内守氏が、実際には作曲家の新垣隆氏に曲作りを依頼し、自分の作品として公表していたもので、佐村河内氏は、著作権については新垣氏との合意で自分のものになっているとしている。

このため、楽曲の著作権を管理しているJASRAC(日本音楽著作権協会)は、佐村河内氏に対して著作権が誰にあるのかが分かる資料の提出を求めていたが、回答された資料では、いつ著作権が佐村河内氏のものになったのかなど、疑義が解消されなかったとして、12月31日付けで、佐村河内氏名義の100曲を超える、ほぼすべての著作権管理の契約を解除した。

この中には、クラシックとしては異例のヒットを記録した「交響曲第1番HIROSHIMA」や、ソチオリンピックでフィギュアスケートの高橋大輔選手のショートプログラムで使われた「ヴァイオリンのためのソナチネ」などが含まれている。契約が解除されたことにより、これらの楽曲をコンサートなどで利用する人は今後、使用料など佐村河内氏と直接交渉する必要があるという。また、問題が発覚したあと保留されていた著作権使用の分配金ついて、JASRACは今後、弁護士と協議して対応を決めたいとしている。

著作権に詳しい池村聡弁護士は、「今後、著作権者がJASRAC以外の著作権管理団体と契約しなければ使用料は著作権者が自由に決められる。利用者は楽曲を利用しづらくなる可能性がある」と指摘している。

佐村河内守氏の代理人を務める山縣敦彦弁護士は、「こちらとしては、著作権の帰属について疑義はないと考えているが今後の対応を協議していきたい」と話している。

2014年ワースト謝罪記者会見「広島・佐村河内氏」3位

宣伝会議は11月、インターネット上で20~80代の男女計500人を対象にアンケートを実施。2014年にあった企業と個人の不祥事や謝罪会見15件の中から印象に残った3件を選出。結果によると、STAP細胞問題は67.4%の人が挙げた。回答者からは「科学研究の世界がこんなにもお粗末なシステムで動いているとは思わなかった」との声も寄せられた。2位は政務活動費問題の釈明会見で号泣した元兵庫県議の野々村竜太郎氏で、47.6%が選択した。3位は耳が聞こえない作曲家として活動していた佐村河内守氏のゴーストライター問題で36.6%。広報会議の森下郁恵編集長は「順位はテレビなどの映像を何度も繰り返して見ることによる影響が大きい。今年は劇場型の会見が目立った」と分析している。〔共同〕

サンプロモーションが佐村河内氏を提訴

「全聾(ぜんろう)の作曲家」として活動していた佐村河内守氏が楽曲を別人に作らせていたことが発覚し、公演が中止に追い込まれたとして、大阪市の企画会社「サモンプロモーション」が佐村河内氏に約6千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。11月25日に第1回口頭弁論があり、佐村河内氏側は請求棄却を求めた。佐村河内氏の代理人弁護士は「詳しい主張は今後の弁論でしていく」としている。

サンプロモーション側の代理人弁護士によると、佐村河内氏の代作問題をめぐる訴訟が起こされたのは初めて。訴状によると、サ社は昨年6月~今年2月に初めて佐村河内氏の全国ツアーを企画。その後も公演を予定していたが、2月2日、佐村河内氏から「償いきれないほどの裏切りをした」とするメールが届いた。数日後、週刊誌に代作疑惑の記事が載り、佐村河内氏の代理人弁護士も公表。サ社は5月10日までに東京や北海道、福岡などで開くことにしていた「HIROSHIMA」「ピアノ・ソナタ」の計14公演を取りやめ、販売済みチケットを払い戻したという。サ社側は訴状で「佐村河内氏が自ら作曲したと信じていた」と主張。公演中止で失った利益や広告費などの支払いを求めている。(朝日)

佐村河内守

NHKスペシャル「朝日新聞の慰安婦ねつ造報道はなぜ起きたのか」が待ち遠しい

8月5日、STAP細胞の論文の著者の1人で、神戸市にある理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が、センターの建物の中で首をつって自殺した。

記憶に新しいのが、7月27日に放送されたNHKスペシャルで、「調査報告STAP細胞・不正の真相」という見出しで、「独自に入手した資料を専門家と共に分析。関係者への徹底取材を通して論文の不正の実態に迫る。更に、多くの疑義が指摘された論文がなぜ世に出されることになったのか、その背景を探っていく」と、NHKスペシャルらしからぬ、めずらしい内容だった。

この放送を見て連想したのが、2013年3月31日にNHKスペシャルで放送された佐村河内守氏の「魂の旋律~音を失った作曲家~」の別人作曲問題だ。これでNHKは赤っ恥をかいた格好になった。

NHKは、この時の失敗を繰り返さないために、威信をかけて早めに今回のSTAP細胞問題を取り上げて、小保方氏を血祭りに上げた。笹井副所長と小保方氏のメールのやり取りも公開され、放送内容は、少しやりすぎではないかと思った。

NHKは、このような中傷にも取れるような放送がいとも簡単にできるのなら、NHKスペシャルで、朝日新聞による従軍慰安婦強制連行ねつ造報道を検証する番組を作れるはずだ。どんな内容になるのか放送される日が待ち遠しい。


佐村河内 小保方3

義手をはずしてステージに上がれと言う佐村河内守はマゾ

週刊文春によると、東京のサントリーホールで「交響曲第一番HIROSHIMA」のコンサートがあり、その前座として佐村河内守(50)は、みっくん(13)に「ソナチネ」の演奏をするように提案した。ただし、ステージに登場するときに義手を外して持っていき、聴衆の面前でそれをつけることを条件にした・・・。

また、佐村河内守は施設や病院を訪れるたびに、障がい児と一緒に写真を撮り、それをまるでコレクションのように自宅のリビングに飾っている・・・。


自己の犠牲や苦痛・苦悩・苦難や逆境からの生還が融和と快楽に変わる、これは普通の人間でも持ち合わせている心理だが、度がすぎるとマゾになってしまう。

「義手を外してステージに上がれ」、などと言う佐村河内守は、どうもマゾの気がありそうだ。

例えば、肉体を踏みつけられたり、縛られたり、吊るされたり、刺されたりすることで、脳内麻薬を分泌させ快楽を覚えたりする人がいる。痛みと苦痛を乗り越えることができれば、快楽だけの世界が待っている。苦痛であればあるほど、得られる快楽は大きい。この妄想は、次第にエスカレートしていく。たとえ体内の血を全て抜かれても、ためらいはないという。そして、その果てには永遠なる迷宮(ラビリンス)が迎えてくれる。

待ち受ける世界では、自分自身が主人公となり、無限の空間を自由自在に操れる。そんな魅力的な世界に行くには、今にも張り裂けそうな肉体の痛みを極限まで耐え抜かなければならない。ある意味、地獄とも言えるが、そんな世界を好む人間も実在する。

「怖いもの見たさ」という事がある。

奇形や残虐性のあるものを見たい心理は本来、好奇心から来るものだが、それを見ることにより、自己嫌悪とも言うべき壁がとり払われ、解放へと導いてくれるかも知れない。ストレスを受け続けた不安定な精神状態にある脳は、時には不可解な行動に出てしまうものだ。佐村河内守は、それに加えてビジネスの拠り所として、身体障害者に目を向けた。

コンサート会場のステージ上で、義手をはめ込むという光景は、痛々しく、見たいと思う人は普通いないだろう。しかし、佐村河内守は、あえてその痛ましい人物像を人前に晒すことにより、より多くの同情を買うべく、指示をしたと言える。このような行為を想像するのも一種のマゾに通じるものがあると言える。


昔、子供の頃、母親とバスに乗っていたら、窓の向こうに30歳位の女の人が、両杖をついて歩いていたのを思い出した。よく見たら、両足の太ももから下が全て義足だった。子供の自分には、その義足が不自然のあまりショックで気分が悪くなったことがある。見た瞬間に、その原因となった事故、あるいは病気の様子や、足を切断する手術の光景、そして、その人のこれからの不自由な生きざまをも想像したのだ。だから今でも義手・義足の人からは、目を背けたくなる。とても義手・義足をはずせ、などとは言えない。

週刊ポストも佐村河内守に騙されていた

昨年11月に発売された週刊誌「週刊ポスト」に佐村河内守の記事が写真付きで大きく取りあげられていた。一般娯楽大衆雑誌の中のひとつだが、発行部数で言えば、週刊文春、週刊新潮、週刊現代などと張り合っている。

しかし、記事の内容を読み返してみると、これも見事に騙されていたのだ。プロのライターをも簡単に欺いた今回の事件は、それだけ社会的道義責任があと言える。

以下に記事の一部を抜粋してみた。今回の問題が発覚しなければ、なんとなく納得させられてしまいそうだが。


その6畳ほどの部屋を、彼は「穴倉」と呼ぶ。楽譜と大量の薬が置かれた机。小さなランプに灯された淡い光。マンションの暗い一室の白い壁に背中を付け、彼は座禅を組むようにいつも座りこんでいる。

「音が降りてくるのを待つんです。僕の心の空の上には、いつもびっしりと岩のようなノイズの壁があるんです。・・・」

佐村河内守-今年で50歳になる彼は、近年の日本のクラシック界の中で異様なほどの存在感を放つ作曲家である。

35歳の時に極度の難聴によって聴力を失った彼は、凄まじい耳鳴りと発作に耐えながら、長大な交響曲を絶対音感を頼りに書き続けてきた。その作曲の様子はNHKスペシャルを通して紹介されて反響を呼び、交響曲第1番「HIROSHIMA」は18万枚超の売上を記録・・・

幼い頃から母親にピアノを教わり、交響曲の作曲家になることを志した。自らの被爆二世としての生まれを重んじ、「自分がもし何かを描けるのであれば、広島の祈りや闇、闇の中から生まれる光や希望を表現すべきだと思った」と語る。

だが、若き日から続けた作曲の日々は、幾度も倒れそうになるほどの過酷なものだった。実際に彼は倒れながら曲を書いてきた。音楽大学への進学を拒否し、住み込みのアルバイトをしながら譜面を買ってはコンサートに通った。それはベートーベンやモーツアルトといった伝統的な調性音楽を、現代に新たな形で甦らせようとする闘いだった。そのように独学で音楽理論を学ぶ中で、10代の頃から体を蝕み続けていた原因不明の難聴と偏頭痛が悪化。聴力を失って全ろうとなった。

その日、彼は恐怖のあまり部屋に立ちすくみ、それから作曲に使っていた電子ピアノを懸命に叩いたという。だが、音は聞こえなかった。過去に聞いた交響曲を譜面に書き、スコアと見比べて自らの絶対音感を必死に確かめた。音符に間違いはなかった・・・

佐村河内は「HIROSHIMA」を書き始める前、徐々に聴力が失われていることを隠しながら作曲を続け、ゲームソフト「鬼武者」などの劇伴音楽の世界で名を知られるようになった。しかし全ろうとなった後、彼は過去に書いてきた約2万枚の譜面全てを捨てた。

「本当に音を失い、苦しみの中で瞑想して降りてきた音を信じるようになってから、以前に書いた譜面を見て居た堪れない気持ちになったんです」

楽譜を目で追っていると、当時の自分が何を考えていたかが手に取るように分かった。「この個所では人を泣かせよう」「ここでは楽しい気持ちにさせよう」と作為する自分が、そこにはいた。

「虫唾が走りました。多作な作家には憧れがあるけれど、いま降りてくる音を信じて、昔の音に嫌悪するのであれば、寡作の作家でもう構わない。自分が納得できて、本当に自分が納得できて、内側から生まれた音だけを残していこう、と」

「僕はこの10年間、スピーカーに泣きながらへばりついてきたんです。振動から、どうにか何かを感じられないだろうか、って。・・・」

「演奏会で黙って座っているときは、やっぱりとても虚しくて、苦しいです。情けないけれど、それが何度経験しても乗り越えられない。作った俺にはどうして聞こえないんだろうと思うと、そこから逃げ出したくなる」

それでも彼がコンサートに向かうのは、今の自分にはそれを聞きに来る人たちがいる、という強い思いがあるからだった。サントリーホールで「HIROSHIMA」が演奏された際、彼は指揮者に招かれて壇上に上がった。拍手は鳴りやまず、時間が経つとともにさらに高まっていった。その振動を身体に感じるとき、彼はほんの少しだけ救われた気持ちになると後に言った・・・。


佐村河内守 ピアノ

仕事の関係者は知っていた~全聾である事を設定した佐村河内守

2月12日、佐村河内守から、マスコミ宛てに出された謝罪文によると、「三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました・・・」「全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です・・・」という内容だったのだが、週刊文春によると、また違った内容が書かれていた。

以下、記事内容の一部によると、

佐村河内の自伝によると、左耳の聴力を失ったのは30歳で、全聾になったのは、「鬼武者」の音楽の依頼を受けた直後の99年で、35歳の時だった。

2000年頃から佐村河内のマネージャー的存在だった映画監督の栗村実の証言によると、2001年9月13日、栗村の元に佐村河内から「聴力も少しずつ戻り、補聴器使用も効果を表し始めております」などとメールが入ったという。

だが、全聾であることを証明する障害者手帳が横浜市から交付されたのは、それからたった4ヵ月後の02年1月21日である。

さらに当時を知る「鬼武者」の販売元・カプコンの関係者は、「佐村河内が『全聾になった』と宣言して以降も、彼の耳が聞こえていることは、社内では皆が知っている暗黙の了解事項でした。佐村河内は99年4月の『鬼武者』の製作発表の日を境に、「全聾である設定」にしたのですが、製作発表の後も、打ち合わせで音を聞き、『この音が高い、低い』とか言って指示をしていました。スタッフに背後から『佐村河内さ~ん』と呼びかけられた時も、普通に振り向いていました」と語った。

この記事が本当なら、謝罪文も嘘ということになる。従って、「もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました」というセリフも嘘になる。

佐村河内は昔から嘘つき~発掘プロデューサー激白

佐村河内を26年前にロック歌手としてデビューさせようとしたプロデューサーで作曲家の大倉百人(65)が、当時、24歳の佐村河内を都内でレコード関係者を集めてライブを開いて「第二の矢沢永吉」と話題を呼んだが、大倉氏は「すぐ嘘をついていた」と語った。今回の騒動も「彼なら腑に落ちる」と言い切った。

このまま関わっていくと、こっちがヤバくなると感じた。

具体的な嘘の内容については「広島で暴走族のアタマだった、と言っていたけど、不良を装っていただけ。2人のときはおとなしかった。当時の宣伝用プロフィルも空手初段とあったけど、おそらく嘘」と推測する。

嘘を繰り返す佐村河内を信頼できず、同夏に大倉氏から縁を切った。

嘘をつくような気配は当時からあった。

「話していると嘘だと分かり、問い詰めることは何度もあった。突き詰めたらボロが出ましたから」

(サンケイスポーツ)

佐村河内 ロック歌手

親不幸な佐村河内守「私は悪人です」

日本テレビ「真相報道バンキシャ!」によると、渦中の佐村河内守は、高校時代は商業科で演劇部に所属で役者志望。高校時代の同級生によるとパフォーマンス的なことをするのが好きだった。卒業後は、テレビの脇役のちょい役みたいなチンピラ役で出たりしていたという。

番組に佐村河内からメールがあり、「私は悪人です、深く謝罪したい・・・」とあった。時間を置いて、謝罪会見をする予定だという。


訴訟問題も抱えている。

東スポによると、コンサート企画会社の「サモンプロモーション」は、今月から5月まで予定していた全国17公演の中止を発表。17日にチケットの払い戻しを開始するが、すでに5000枚以上が売れている。関係者いわく「会場使用料でも数千万円の赤字が出る」そうで、損失は総額1億円以上にのぼり、同社は損害賠償を検討中だ、との事。

ソチ五輪フィギュアスケート男子代表・高橋大輔(27)のショートプログラム使用曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」などを含む4作品の楽譜をレンタル・販売する音楽出版社も、騒動ですべてが中止となり、数百万円の被害が出る見込み。一部報道では、こちらも損害賠償を検討中という。

CD発売元の「日本コロムビア」も計算が狂った。全CDの出荷停止だけでなく「ソチ五輪で高橋選手が活躍すれば、楽曲が再び脚光を浴びてヒットすると考えていた。それが全部オジャンになった」(同社社員)。そればかりか、同社には購入者から返金を求める電話も殺到している。


親族はどうしているのか

日刊スポーツによると、作曲家・佐村河内守の妻の母が、「娘は早く離婚してほしい」と涙ながらに訴えたという。2人とは、16年間音信不通であることを告白し、同氏の自己中心的な結婚生活や、過去の「ウソつき」エピソードなども明かした。

佐村河内氏の義母にあたる、妻の母が涙した。「早く離婚して、私が生きている間に広島に戻ってきてほしい。心配で死んでしまいそうじゃけん。いつ娘が帰ってきてもいいよう、畳の部屋を洋間にしたんです」。

義母によると、妻は同氏より3歳年上。88年に結婚し、広島から横浜のワンルームマンションに転居した。その後同氏がアルバイトを転々としたり、ロックバンド活動をしているかたわら、妻は子ども服店で働き生計を担った。衝撃事実が明らかになったのは、結婚8年目にハワイ家族旅行に行った時だった。

「娘に『正直に言って。守は結婚後の7年間でいくら稼いだの?』と聞いたら、『20万円です』と。がくぜんとした。娘は過労で点滴を打ちながら働いていたこともあるのに、自分は毎日飲んで、遊びほうけて…」

※遊びほうける(広島弁)⇒遊んでばかりいて、真面目に仕事をしない事。

同氏は結婚直後の88年ごろ、一時芸能プロに所属していたこともあったという。「当時『広島から来た第2の矢沢永吉』みたいに報じられていた。でも通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたら、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。やはりあの子はおかしいと思った」。

同氏が書き、新垣氏に提示していたという18万枚のヒット曲「交響曲1番 HIROSHIMA」の「指示書」についても、「テレビで紙を見てびっくりした。あれは娘の字です」と妻が書いたものと主張した。

娘である妻とは、16年前に親族の葬式で会ったきり連絡がとれない。連絡先も分からない。「15年前、知人から『彼は今、耳が聞こえない』と聞いた時、またうそをつき人をだまそうとしているんだと直感した。守の家にはピアノはなかったし曲を作れる子でもなかった。違う人が作っていると確信していた。いつかバレると思っていた。新垣さんには感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」。

母は再度、涙にくれた。「娘も詐欺罪になってしまうのでしょうか…。守は『自殺する』って言っているらしいけど、娘まで巻き込まないでほしい。帰ってきてほしい…」。

地元の声
住民らによると、ゴーストライター問題が浮上するまでは「地元のヒーロー」状態だったという。地域の町内会役員は8日、「息子さん(佐村河内氏)の名前をメディアで聞くようになった一昨年くらいから、町内会でもたびたび話題にあがっていた。でも、まさかこんなことになるなんて・・・」と話した。

問題発覚後は、町内会で大っぴらに佐村河内氏の話をする人はいなくなったという。実家近くにはプロ野球の阪神新井貴浩(37)良太(30)兄弟の実家もあり、新井の母は「残念です。去年から、近所でも評判になっていました。どこかで歯車が狂ってしまったのでしょうか・・・」とコメントした。

また、前日7日に取材に応じて「早く離婚してほしい」と訴えた佐村河内氏の妻の母は、「(娘が)どうにか無事で帰ってきてほしい・・・」と、あらためて訴えて涙した。妻の母は、8日付日刊スポーツで佐村河内氏の過去も明かした上で心境を告白した。


佐村河内守1

佐村河内守2

佐村河内氏の広島市民賞を取り消し

2月6日、耳が聞こえない障害を乗り越えて作曲活動しているとしてきた広島市出身の佐村河内守さんが、別の人物に作曲してもらっていた問題で、広島市は佐村河内さんに授与していた広島市民賞を取り消すことを決めたという。

広島市は6年前、佐村河内さんに対し「一切の聴覚を失ったものの作曲活動を続け、世界で高く評価された」として広島市民賞を授与していたが今回の問題を受け、佐村河内さんの弁護士に事実確認の問い合わせを行っていた。6日の午後6時ごろ佐村河内さんの弁護士から広島市に連絡があり、佐村河内さんが作曲していたとされる楽曲は別人が作曲していたことを認めたうえで、市民賞を返上する意向を伝えてきたという。

これを受け広島市は、佐村河内さんに授与した市民賞を取り消すことを決めた。また、広島市によると佐村河内さんの弁護士は、本人は被爆2世であり、障害者であることは間違いないことや、広島市や広島市民に対して謝罪したいという意向を持っていることもあわせて伝えてきたという。(NHK広島)

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