中国電力安野発電所で強制労働を強いられた中国人遺族が来日

広島県安芸太田町の発電所で、戦時中に強制的に働かされた中国人たちの遺族が来日し、この週末現地を訪れた。現地には、かつて強制労働を強いた建設会社の関係者も訪れ、追悼の式典が営まれた。

強制労働の現場となったのは、中国電力安野発電所だった。安野発電所は全長8キロにも及ぶ導水トンネルがあり、60メートルの落差で水力発電を起こしている。

労働力が不足となった太平洋戦争末期に、中国人360人が強制的に連行され、導水トンネルなどの掘削工事を強いられた。過酷な労働などによって29人が死亡したとされる。  

~当時の状況を地元住民が語る~
当時、食糧は1食、饅頭、握り拳の大きさで1個。非常に食糧がない。住む所も寒い。着る物もない。(地元住民の栗栖薫さん=83)

トロッコを押して隧道に入って砂や砂利を運んでいました。おなかがすいているだろうからイモやおむすびをあげました。(地元住民の谷キヨコさん=89)

中国人の被害者や遺族が、工事を請け負った西松建設を訴えた裁判は9年に及んだ。最高裁は被告の訴えを退けたが、判決の中で被告に対し、「被害救済」への努力を促した。西松建設は社会的な立場を考慮して、2億5000万円の支払いを決断し、両者は2009年に和解した。そして、両者はこのお金を使って合同で和解事業に着手した。

2010年、強制労働者360人全員の名前を刻んだ碑が、加害者、被害者の連名で建てられた。戦時中、強制的に働かされた中国人は全国135事業所で約4万人に及んだという。(RCC)

安野発電所強制労働


5・19 広島安野発電所「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」開催から一部引用

中国人が連行されてきたのは1944年8月のことである。中国人は山東や河北から360人が駆り集められてきた。連行中国人は発電工事用の隧道に沿う形で、取水口の土居、隧道掘削口の香草、津波、発電所の坪野の4か所に収容された。坪野が第1中隊、津波が第3中隊、香草が第2中隊、土居が第4中隊とされ、人数は第1から第3中隊までが100人、第4中隊が60人であった。中国人はこの安野の現場で29人が死亡したが、抵抗して刑務所に送られて原爆死した者、被爆による後遺症で苦しんだ者もいた。

裁判では5人が原告となり、11人の日本人が陳述書を書いて、強制労働の実態などを記した。西松組の下請けの島田組の日本人が棍棒を持って労働させていた。

安野の現場での暴行と侮辱のなかで、中国人に暴行を加えてきた大隊長と第1中隊3班の班長を殺すという抵抗事件が1945年7月13日に起き、11人が広島刑務所に送られ、被爆した。別に逮捕された5人は取り調べを受けるなかで被爆死した。

安野の現場から逃走する中国人もいた。郭克明さんの証言記録によれば、2カ月ほど経った夜、仲間とともに逃走し、広島の町に着いたところで逮捕された。監督たちは指に細い竹を挟んで力一杯に手を握り締めたり、太い棒を敷いて正座させ、火のついた煙草を背中に入れたりした。加計署に連行され、18日間拘留され、厳しい取り調べを受けた。釈放されると、坪野の第1中隊の広場に集められた全中国人の前で太い棍棒で腿を殴られて気絶した。その後見せしめのために広場を引きまわされたという。

安野の現場は、強制移送と奴隷化、暴力と侮辱、逃亡と逮捕、拷問と見せしめ、抵抗と被爆死、帰国後の流転そして家族の離散と、連行された人々や家族の苦しみと悲しみの歴史を物語る。

http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/1205yasno.html

あわせて読みたい「広島刑務所の実態~強制連行中国人証言シリーズ」
http://hiroshima999.blog134.fc2.com/blog-entry-628.html
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