広島大学教授殺人事件~助手17年間の怨み(1987年)

昭和62年(1987年)7月21日夜、広島大学総合科学部長の岡本哲彦教授(61)が、学部長室で刺し殺された事件。それは、研究室でのビアパーティー後のわずか数分間の犯行だった。

事件の直接のきっかけとなったのは、7月8日に開かれた教官公募を決める総合科学部の人事教授会だった。昭和63年3月に基礎科学研究講座から二人の教授が退官するが、この欠員をどう埋めるかについて論議された。

「63年度に物性物理専攻の助教授または講師を採用する。公募は8月3日から」という教授会の決定を聞いた基礎科学研究講座の助手の一人は、意外な決定だったという。退官する二人の教授の専攻は、いずれも素粒子物理学。学内関係者の多くが「当然、一人くらいは素粒子の分野の人を公募するだろう」と予想していた。

この決定に、さらに衝撃を受けた助手が、助手歴17年、素粒子専攻の末光博(44)だった。助手になってから初めて巡ってきた昇進のチャンスが、これで完全に消えてしまったのだ。夢を砕かれた末光の怨みは、学部長である岡本教授に向けられた。

人事教授会から2週間後の7月21日夜、岡本教授が研究室で門下生らとビアパーティーを開いていることを知った末光は、誰もいない学部長室に侵入し、電気を消して岡本教授の帰りを待ち伏せした。

9時40分頃、岡本教授はパーティーを中座、ひとりで学部長室に戻ってきた。暗闇の中で、末光は教授の顔面を殴りつけた。教授の眼鏡と入れ歯が飛んだ。そして、刃渡り約20センチの手製ナイフで胸と背中の4ヶ所を刺して殺した。

捜査本部の調べによると、末光は偽装工作のため、準備していた砂を遺体にふりかけ、さらに洗面台から灰皿を使って水を運び、教授の頭にかけた。水をかけたのは、計画外の犯行で、「遺体を見ていたら再び憎くなったから」という。

犯行後、末光は約250メートル離れた文学部棟の裏側にある焼却炉に、返り血を浴びた服と凶器のナイフを捨て、マイカーのカローラで逃走した。

事件発生当初からナゾとされていた遺体にかけられた砂は、末光が構内のグラウンドから拾ってきて、警察の捜査を混乱させるために、約90本の髪の毛を混入したものだった。凶器のナイフも末光が学内の工作室でつくったものだった。

「砂もナイフも一年前から準備していた。砂はビニール袋に入れて研究室の机の引き出しの中に隠し、殺す機会をうかがっていた」と末光は自供している。

末光は調べに対し、「岡本学部長は大学にとって好ましくない人物だ」「人事のことだけで殺したのではない」「はめられた」などと話したという。

後に末光は、広島中央署二階の留置場で、頭を血まみれにさせて倒れているのを発見された。全治2週間の裂傷を負っていたが、現場の状況から、洗面台に頭を打ち付けて自殺をはかったらしい。


広島大学学部長殺害事件

広島大学学部長殺害
殺された岡本学部長

広島大学学部長殺害2
末光容疑者

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