第26回平和記念式典で初の首相出席で騒然(1971年)

1971年(昭和46年)8月6日、第26回を迎えた平和記念式典は、首相が初めて出席した年である。しかし、そこでは様々な波乱があった。

この日は朝から雨が降り、式典に出席した人々は傘をさして参列していた。礼拝の曲が流れ、遺族や市長などが献花を行っていた時のことである。佐藤首相(当時)の番が来た時、ひとりの少女が突然、「あんたなんか帰って!」と、叫びながら飛び出し、首相の背後に駆け寄った。首相の顔に緊張の色が走ったが、少女はすぐに引き戻され、静寂にかえった。

また、数人の若い男女が式場に乱入し、公園西側の木立で突然「パン!パン!」と、爆竹が破裂した。紫の煙が会場に流れ、参列者の間に動揺が起きた。

広島平和記念公園の周辺では、式場へ向かうデモ隊の数々があった。相生橋、元安橋、本川橋、平和大橋、西平和大橋と、要路の5つの橋を警備する機動隊が進行を阻もうとし、小競り合いが繰り返えされた。


佐藤首相・平和記念式典


【終戦27年目にして初めて両陛下が原爆慰霊碑ご参拝】
この年の4月26日、天皇、皇后両陛下が初めて広島市の原爆慰霊碑に参拝され、黙とうを捧げて犠牲者の冥福を祈られた。続いて原爆養護ホームを尋ねられ、身寄りのない被爆者の老人にいたわりのお言葉をかけられた。

一瞬にして、20万人余の生命が失われた広島への原爆投下は、天皇陛下の「終戦の聖断」に決定的な影響をもったと言われ、慰霊碑への参拝は陛下の念願でもあった。それがようやく実現した。

広島平和記念公園には、被爆者を含む約3万3000人の市民が天皇・皇后両陛下を迎えた。


天皇・平和記念公園


【天皇ご訪問に反対の集会】
天皇、皇后両陛下の広島訪問をめぐり、「被爆者青年同盟」「広島部落解放研究会連合」「広島青年アジア研究会」の3団体連絡会議(土屋稔代表)が計画していた「天皇来広糾弾広島県民集会」を、広島平和記念会館で開く問題をめぐって、糾弾デモを一部認めた広島地裁の決定について、佐藤首相(当時)は異議申し立てをした。これは、広島県公安委員会の要請によるもので、「デモが認められると奉迎者との間に混乱が予想され、公共の秩序に大きな影響がある」とした。これにより広島地裁はさきの決定を取り消し、糾弾デモは出来なくなった。


【天皇ご訪問で広島大学学生らが批判集会】
天皇皇后両陛下が広島入りされた15日、「被爆者青年同盟」「広島部落研究会連合」「広島青年アジア研究会」の三団体連絡会議や広大全共闘学生は早朝から広島駅前、紙屋町交差点、広大本部正門前などでビラをまき、「天皇来広糾弾闘争」参加を呼びかけた。

同日午後、広大大学会館で全共闘主催の「天皇来広全学大公演集会」が開かれ、学生約250人が参加した。革共同の陶山健一政治局員は、「70年代と天皇制」について講演、「天皇の慰霊碑参拝」は、被爆者問題を圧殺し、アジア再侵略へ向ける国家総動員体制をもくろむものだ」と言った。
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