「検察の公正な捜査は道半ば」広島は沈黙

3月20日付けの朝日新聞の特集によると、刑事弁護の現場からみた検察による捜査内容の改革の現状を、全国の52弁護士会を対象に2月中旬、質問用紙をファックスか電子メール、郵便で送り、75%にあたる39弁護士会がそれぞれの事情に応じ、弁護士会が組織として回答を寄せたり刑事弁護委員会の委員長や副委員長らが個人として答えたという。回答した39弁護士会のうち、改革が進んでいないととらえた弁護士会は27会で、多くが証拠改ざん事件後も取り調べが改善されていないという。

回答した39弁護士会とは
札幌、函館、旭川、岩手、山形、福島、東京、第一東京、第二東京、横浜、埼玉、茨城、栃木、新潟、長野、福井、金沢、愛知、岐阜、静岡、三重、大阪、京都、奈良、滋賀、和歌山、鳥取、島根、山口、香川、愛媛、高知、福岡、大分、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄

回答した39弁護士会のなかで17会が不適切な捜査や起訴を防ぐために「取組みをしている」と回答したというが、ここに広島弁護士会の名前がない。またしても陰湿・隠ぺい広島かと想像させる。

【検察の事件経過】
2010年9月10日
郵便割引制度が悪用された郵便不正事件で逮捕・起訴された厚生労働省元局長の村木厚子氏に無罪判決

2010年9月21日
大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事が証拠品のフロッピーディスクのデータを改ざんした疑惑が表面化。最高検が前田検事を逮捕。

2010年10月1日
改ざん行為を隠したとして、最高検が改ざん当時の特捜部長の大坪弘道、副部長の佐賀元明の両被告を逮捕。

2010年11月10日
法相の諮問機関・検察の在り方検討会議が初議会

2010年12月27日
大林宏検事総長が引責辞職

2011年3月28日
在り方検討会議が取り調べの可視化の範囲拡大などを提言

2011年4月12日
前田元検事に懲役1年6ヵ月の判決

特集では、検察の在り方検討会議の提言が3月28日で1年というもの。提言骨子には、「試行が始まった特捜事件の一部可視化は1年後をめどに検証結果を公表」とある。

「検察の在り方検討会議」とは、大阪地検特捜部の証拠改ざん隠ぺい事件(前田元検事=広島出身)を受けて、検察再建に向けた具体的な方策を示すため、柳田稔法相(当時)(広島出身)が設置した外部有識者による私的諮問機関。

提言内容とは
①検事の使命・役割を定めた基本規定の制定
②適切な人事評価や人材育成
③特捜部の独自捜査に対するチェック強化
④監査部署の新設
⑤取り調べの録音・録画(可視化)の範囲拡大等である。

残念ながら広島では、①から⑤まで全てクリア出来ない。いや、ひとつも出来ない。悩ましいことだ。昔、以下のような特集記事があった。広島で根付く伝統の見込み捜査がうかがえる。

【なつかしむ旧制度「警察」許されぬ見込み捜査“昔だったら・・・”のぼやき】

この夏(当時)、広島市内の暴力団幹部が、ある殺人事件に絡んで警察の取り調べを受けた。事件当時の状況などから事件の黒幕と睨んだ当局は、一応、他の容疑で逮捕。刑事訴訟法で許された23日間の拘置期間いっぱいで、事件の背後関係追求に全力を注いだ。

しかし、決め手になる証拠は何もなかった。20人余りもの暴力専従警官が長期間にわたってカンと足で築きあげた捜査の収録も、この幹部の否認にあって、もろくもくずれてしまったのだ。“昔だったら・・・”取り調べに当たった老捜査官が、こうつぶやいた。「客観的にみても、この男がった犯行に間違いないと思っても、証拠がないばかりに、挙中の玉を逃がしたにすぎない経験はいくらでもある」という。

こんなこともあった。昨年初めから今年初め(当時)にかけて広島県の島一帯で、現金専門の窃盗犯が横行した。広島県警本部が犯人のモンタージュ写真を作って配ったところ、すぐに効果があった。「犯人によく似た男がいる」との連絡で、刑事数人が現場に急行して、この男を職務質問したところ、どうも挙動がおかしい。前科があり、競輪、競艇にこっている点、それに身体つきまで手配中の男にそっくりだ。「間違いない」と思ったが、逮捕令状を請求するだけの証拠がない。結局は「あまり似ていらっしゃるからつい人違いしてしまいまして・・・、ご迷惑でした」と、表面をつくろって帰してしまった。「だがどうでしょう。この男はしばらくして、捕まったんです。昔なら当然、最初のときに検束(旧行政執行法)でブタ箱にほうり込むところですよ」ある老捜査官は語る。

「引っぱって、たたく」見込み捜査が許されていた戦前は、簡単に身柄を拘束することができた。暴行その他、公安を害するおそれのある者には、予防のため、必要に応じて検束もできた。これはあくまで警官の主観によって執行されるもので「戦前は自分たちの力が存分に発揮できたものだ」戦前の捜査を知る警官たちは、古き良き時代をこうなつかしむ。「昭和15年頃だったか、私は呉市内の路上で同僚とカケをした。すぐ前を通行中の若い男が犯罪者かどうかというわけだ。私は犯罪者だという。同僚は違うと言った。私がこの通行人を色メガネでみたのも、身体に似合わずいい服装をしているという点だけからだった。だがカケは私が勝った。男は窃盗犯だった。定年間近い老捜査官の告白だが、今では想像もつかない。さらにこの捜査官は語った。

「メンソレータムじゃないが、昔の警察は万能だった。待合、旅館、料理、飲食店など大犯罪者の約半数が赤線地帯で検挙されていたのもこの制度の所産だ。だから当時では歓楽街にくいこんだ刑事ほど腕ききとされていた。金ができれば、歓楽街に流れる犯罪者心理は今も変わらない。戦前の刑事は「1年を3日働けばいい」とされていたそうだ。強盗、殺人、放火事件が発生したときだけ働けば、あとの事件はほっていてもあがるということから出た言葉だ。「今の刑事が大した恩典もなく犯罪の複雑化で苦労していることを思えば隔世の感だ」と付け加えていった。

ある若い警官が挙動不審の男を職務質問し、派出所へ連行を求めたとする。男が断れば「あなたの疑いを晴らすためにもご足労願えまいか。応じてくれなければ疑わざるを得ませんよ」と相手の反応をうかがうのが現状だ。逮捕された容疑者ですら供述拒否ができる。まして職務質問では強制的に連行などできないのだ。

戦後の「新しい波」に洗われて旧制度の余韻は少なくなった。「戦前はよかった」という意識も容易にぬぐい去るが、できない人もいるだろうか。刑事訴訟法第一条には「この法律は刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつじん速に適用することを目的とする」と憲法の精神が貫かれているのだ。(昭和35年 中国新聞)
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