ホテル八丁堀シャンテ閉館とアーバンコーポレイション

2011年12月に閉館した広島市中区上八丁堀のホテル八丁堀シャンテの跡地で、三菱地所グループの三菱地所レジデンスが分譲マンションの開発を計画しているという。三菱地所によると、子会社の三菱地所レジデンスが1月末にシャンテの約2200平方メートルの土地と10階建ての建物を、管理会社から購入。建物は老朽化しているため取り壊すという。現在、分譲マンションの規模や完成時期、商業テナント導入の可能性を検討しているという。シャンテは1978年に広島県市町村職員共済組合が開業し、客室66室やレストランなどを備えていた。シャンテは経営破綻した旧アーバンコーポレイションが2007年に土地、建物を買い取り、09年に管理会社に引き継がれていた。土地、建物を借りていたホテルの運営会社が昨年12月、建物の老朽化などを理由にシャンテを閉館した。(中国新聞)


【アーバンコーポレイションとは】

2008年8月13日、アーバンコーポレイションは東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は2558億円。債権者となる金融機関は地銀を中心に約100社あった。破綻の要因は、2007年後半から不動産市場に変調の兆しが現れ、2008年になって、市場が一段と低迷。3月以降、金融機関からの融資が困難になり急速に悪化した。開発した不動産の売却も困難になり、外資系ファンドによる資金調達も困難になっていた。決算書に関しても、監査法人から「意見不表明」の烙印を押された。アーバンコーポレイションは反社会的勢力との関係があったとまで言われた。

金融庁は暴力団との資金源を断つために、反社会的勢力との関係がある会社には融資をストップするよう指導した。房園元社長は反社会的勢力との関係を否定したが、銀行の姿勢は融資不可だった。証券市場は反社会的勢力の締め出しに業界全体で取り組んできた。東京証券取引所は警察とともに暴力団についての情報交換を活発に行い、連携を図ってきた。(2007年、山口組傘下の梁山泊グループによる金融証券取引法違反が有名である)

アーバンコーポレイションから最初に融資の引き上げを行ったのがみずほ銀行だ。倒産は融資資金の引き上げによる資金繰りで破綻したようなものだった。

アーバンコーポレイションの創業者である房薗博行は1962年10月、鹿児島県南さつま市で出生。2007年に中国新聞の「わが夢」で語った内容によると、大学は広島県呉市にある近畿大学。在学中に人材派遣の仕事を思いつき、大学生を派遣した。儲かった金で呉市と広島市でクラブと天ぷら屋、雑貨屋を開いたがすべて失敗。2000万円の借金を抱えたが、パン屋だけは残して最後の食い扶ちとした。窮地にたたされた房園をみかねて助け舟を出したのがクラブの常連だった大京(分譲マンション業者)の広島支店長だった。

アーバンコーポレイション広告
大学を卒業した房園は大京に入社し5年間在籍、5年目で大京で史上最年少の課長とった。房園はサラリーマンで人生を終えるつもりはなく、会社の同僚4人で独立し、1990年5月に広島市でアーバンコーポレイションを設立。社長に就任した。当初は自己資金がない会社であったため、マンションの販売代理から始めた。1996年9月、当時、史上2番目のスピードで株式店頭登録を果たす。これで資金調達が可能になり、不動産再生ビジネスに乗り出した。

「なぜ売れたか。それはまず、働く時間です。朝七時から深夜二時まで、年に十日も休まなかった。苦労して頑張ったというより、仕事が面白かった。支店長の期待にも応えたかった。営業手法では、買う動機付け、いかにネックを見つけて解消するか、です。例えば収入が足りない夫婦の場合、専業主婦の奥さんに一日三時間、楽に働ける割の良いアルバイトを紹介する。これでネックを一つ解消できる。この積み重ねです。課長になってからは団結を心掛けました。五人のスタッフと三度の食事を共にし、退社後も誰かの家で仕事を続け、しばしば泊まり込みました。チームで仕事をするうちに独立への思いが強まった。限られた自社物件では顧客の要望に応えきれない、との思いも強まりました。同僚ら四人で会社を辞め、九〇年五月に設立したのが今の会社です。資産はないが負債もない、と前向きに考えた。ただ、当時は二十七歳と若く、会社を設立したばかり。実績も信用もない。頭を下げて回っても、販売を任せてもらえない。経営を安定させようと、パン店を運営した時期もあります。朝から晩まで不動産の仕事をして、夜からパンを作って朝、店に並べる、といった毎日でした。」(房園元社長)

房園元社長が社員時代に上司と団地を飛込み訪問中、「房園、疲れただろうから休憩だ。ちょっと1時間ほど休んどれ」と言って、上司が一人で団地訪問を続けた。上司が1時間ほど経って車に戻ると房園が見当たらない。しばらくすると房園が歩いて車に戻ってきた。上司は「どこへ行ってたんだ?房園!」と怒るが房園は「1本上げて(分譲マンションの申し込みを1件取って)きました」と報告したそうだ。

1997年、広島グランドホテルの跡地を取得し、2004年3月に「アーバンビューグランドタワー」を完成させる。(地上43階、高さ166メートル、中四国で最高層の複合マンション総事業費200億円)

房園元社長が大きな仕事ができたのは、広島銀行の橋口会長に認められたからだと言われている。ホテル跡地を取得した当時のアーバンコーポレイションの売上高は年間60億円程度だったが、広島銀行は57億円融資した。(当初、100億円の融資を希望したと言われている)

1998年、東京支店を開設。2000年12月、東証二部上場、2002年3月、東証一部に指定替え。東京圏では中古ビルを買収・改装して売却する不動産流動化事業を主軸とした。波に乗るアーバンであったが、落とし穴が待ち受けていた。

紀尾井町TBRビル
「アーバンビューグランドタワー」の共同事業体が共同都心住宅(東京・千代田区、2007年12月解散)であり、2008年3月にスルガコーポレーションが取得したビル(秀和紀尾井町TBRビル=解体された後、アーバンの特定目的会社に売却された)を巡って地上げを行った暴力団関係者や地上げ業者(光誉実業・大阪市東住吉区、朝治浩社長=宅見勝山口組若頭・当時と昵懇の関係)らが逮捕(非弁活動)されたが、このとき逮捕された人物に共同都心住宅の社長(風間勇二)がいた。


企業の信用情報を扱う関係者の間にアーバンの悪名が知れ渡ったのは東京中央区京橋の約1000坪の土地をめぐる地上げだった。この取引でアーバンは130億円もの利益を吸い上げ、2007年に東京建物に転売。2003年に200億円程度とみられていたこの土地は最終的には733億円になったという。


アーバンは東京進出のときに金融機関から橘田幸俊を紹介され相談役となったが、これが反社会的勢力と関係が深いものとみなされた。

資金繰りに窮したアーバンは、2008年7月、BNPを割当先として300億円のCBを発行。しかしこれには裏取引があり、BNPは関連会社を通じてアーバンの株を大量に空売りをかけられ(300億円はBNPに全額返還されていた)、アーバンは8月に民事再生法の適用を申請。BNPと「スワップ」と呼ばれるデリバティブ取引を結んでいたことを初めて開示した。アーバンは外資にしてやられ、終焉を迎えたのだった。
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