【広島・昭和の事件史~ボクシング】

「協栄ジム」金平会長の薬物オレンジ疑惑
昭和57年3月4日発売の「週刊文春」3月11日号は「金平会長は薬物投入の仕掛人!」「カンムリワシ具志堅用高は『汚れた英雄』だった」と、ボクシングの協栄ジムの金平正紀会長(広島出身、当時48)が協栄ジムのWBAJフライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男の対戦相手に試合前、薬物入りオレンジを贈ったとの疑惑を報じた。渡嘉敷の世界初挑戦へのステップとなる昭和56年6月2日の東京の後楽園ホールで行われた世界同級3位の韓国の金龍鉉戦の前日、金平会長はオレンジ6個に薬物を注射してホテルサトーに泊まっていた金に差し入れ、試食した金のトレーナーが下痢をして金は食べなかったというもの。これを受けて昭和57年3月5日、金平会長は協栄ジム会長を辞任、プロモーター、オーナーのライセンスも日本ボクシングコミッションに返上した。金平は昭和56年7月13日に経済界が発行した「強く賢い子に マンツーマン教育 親は子供の名トレーナーであれ」で、海外での例として「食事の中に下剤を混入されるなんてことはしょっちゅうだ」としている。
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