【広島・昭和の事件史~火災死亡事故関連】

広島では、昭和時代にいったいどんな事件があったのだろうか。すでに他のサイトでも見ることができるが、改めてここで事件種別にまとめてみた。「広島昭和の事件史」の記事内容については全て他サイトからの転載である。


呉の商店火災で11人死亡
昭和9年9月3日、広島県呉市松本町の衆楽市場にある小間物商の井上方から出火して延焼、8戸を全焼して午前3時30分に鎮火し、火元の井上方で井上を含む計11人が死亡した。

西白島町の精神病者収容施設で火災23人死亡
昭和12年7月6日、広島市西白島町の私立半田救護所の精神病者監置室から出火、木造平屋3棟を全焼し、午前2時36分に鎮火した。監置室は26室あったが、監置室と廊下の2重施錠となっていたため患者は逃げられず、23人いたうちの男性18人と女性4人の計22人が焼死し、1人が不明となった。監置室の患者と違って避難が自由にできた行路病者や未監置の精神病者は27人いたが、うち2人が不明となった。

呉の広島医大で火災
昭和22年12月19日、広島県呉市阿賀町の県立広島医大生化学薬理教室天井から出火、炊事場1棟と寄宿舎1棟以外の基礎教室1棟、伝染病室1棟、本館1棟を全焼した。

江波の火薬庫爆発で114人負傷
昭和34年6月8日、広島市江波本町二本松の皿山の中腹にある鉄砲火薬商の渡辺が所有する火薬庫4つのうち2つが爆発して直径30m、深さ10mの穴が開いた。22.5kg入りダイナマイト35箱の爆発により噴煙は50m上がり、4km先まで震動が伝わった。10m下の民家が全壊したほか、半径200mで60戸が半壊、114人が負傷した。爆発した火薬庫は旧陸軍火薬庫を払い下げられたものだった。

豊栄中学校が焼ける・民家に類焼
昭和36年3月12日、午前0時50分頃、広島県賀茂郡豊栄町の町立豊栄中学校(生徒599人)の新校舎西側教室付近から火が出て、木造二階建て同校舎1棟・12教室1210平方メートルと、同校舎裏側の瓦葺平屋建宿直室および給食室各1棟計102平方メートルを全焼。さらに7メートル離れた校舎玄関前の畳製造工場に延焼し、同工場と住宅など計214平方メートルを全焼。同2時頃鎮火した。

福山市の旅館火災で5人死亡
昭和38年8月8日、広島県福山市鞆町仙酔島の錦水別館の2階客室から出火し、西棟木造3階建て2300m²を全焼した。さらに鉄筋3階建て1300m²の内部も半焼して午前6時に鎮火した。この火災で宿泊していた61人のうち5人が焼死、また負傷者には慶応大教授の池田弥三郎(当時48)もいた。

基町原爆スラムで大火災
昭和42年7月27日、広島市基町7区の原爆スラムにある太田川沿いの田中アパート南側から出火、相生橋東岸から三篠橋まで太田川を1.8km堤防沿いに不法占拠していた原爆スラム3141戸3453世帯のうち171世帯562人が焼け出されて1人が死亡した。この原爆スラムには実際の被爆者は950戸1093世帯住んでいた。原爆症は遺伝するという根も葉もないデマから広島では被爆者差別は半ば公然の事実であったがタブー視され、原爆スラムが文学、映像作品でおおっぴらに登場するのは昭和を通じて任侠実録映画「仁義なき戦い」くらいという状態だった。

呉の山火事で18人死亡
昭和46年4月27日、広島県呉市広町町田の大張矢山中腹の道路工事現場近くの雑木林から出火、山のほとんどを焼き尽くして4月28日午前11時10分に迎え火作戦と雨でようやく鎮火した。作業員の女性(当時60)が昼飯を食べる際にお湯を沸かしたたき火が風で枯れ枝に飛び火したのが山火事の原因だった。消火には呉市消防局、地元消防団、海上自衛隊呉地方総監部、陸上自衛隊13師団の620人が参加したが、午後2時45分、呉市東消防署東第1小隊員のベテランの17人が灰ヶ峰東部の稜線下の高さ300m、山深い谷底で北のヒノキ林への延焼を食い止めようとしていたところを、北風から東風に変わった谷間から頂上へ吹き上げる形になった風が炎も吹き上げ、それに巻き込まれて焼死する事件があった。頂上までの400mを上る時間もなく、松林の焼失はわずか2、3分の出来事だったという。午後3時49分、死体が発見され、現場での17人の焼死が確認された。この火災での犠牲者は後に18人となっている。

呉のタンカー火災で6人死亡
昭和57年9月11日、広島県呉市昭和町の石川島播磨重工呉第1工場第4ドックでシンガポール船籍のシーガル・マリントランスポート・コーポレーションの石油タンカー、ジュディス・プロスペリティ号の中央付近3番タンクから出火、廃油に燃え広がり、作業していた43人のうちタンク近くに15人がいたがそのうち6人が閉じ込められて犠牲となった。

尾道市の精神病院火災で6人死亡
昭和59年2月19日、広島県尾道市栗原東の青山病院第5病棟から出火して女性患者3人、男性患者2人、看護婦1人が死亡、男性患者の煙草の火の不始末による火災だった。青山病院は精神病院で木造モルタル平屋建、第5病棟7号室から煙が出ているのが見つかり、192m²が全焼した。死者は6、7、14号室で見つかり、3号室では看護婦(当時61)が女性患者(当時86)を抱いたまま焼死していた。

安佐北区の民家火災で6人焼死
昭和61年11月27日、広島市安佐北区安佐町飯室の国道191号を北へ30m入った会社員の自宅で風呂の火の不始末から出火、木造2階建て190m²を全焼した。この火災で家族6人が焼死した。

廿日市市の高速道路トンネル内追突火災で5人死亡
昭和63年7月15日、広島県佐伯郡吉和村の中国自動車道上りの境トンネル内でクレーン車がスリップして道を塞ぎ、そこへ後続の9台が次々に追突、先頭近くの車から出火して11台が炎上して男性3人、女性2人が死亡した。火災は3時間後に下火となった。7月20日、事故に巻き込まれて不明となっていた男性(当時47)が近くの山林で首吊り自殺をしているのを発見された。事故の原因を起こしたと思って、事故の直後に自殺したものと思われた。
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