子供でもできる君が代起立が全くできない教師が大阪で歌う

♪そこで立たないことは~とても力がいるよ~波風立てられること~嫌う人ばかりで♪ などと君が代起立反対の能天気な歌を大阪で歌っている広島出身の教師がいるという。子供でも出来る君が代起立(起立して君が代斉唱をすること)が出来ない大人たちがまだ日本にいる。そして、平和をかたどった偽善活動(これを平和の毒牙という)を行う連中の存在。正しい事をおかしい事と妄想する慢性PTSD気質。だからダメ社員が一向に減らないのだ。まともな社員の足を引っ張るなよ、本当に。


被爆2世の大阪府立高校教師、増田俊道さん(57)は、国歌斉唱時に起立しない心境を7月あった集会で歌ったという。今春の卒業式で起立斉唱の職務命令に違反したとして、府教委から戒告処分を受け、次は「免職することがある」と府職員基本条例に基づき警告された。そんな不起立は、被爆2世としての思いも込めた行動という。

増田さんは広島市安佐北区の生まれ。父親は12歳の夏、当時住んでいた江田島から広島市中区吉島町の刑務所近くでの建物疎開に動員され、被爆した。爆心地から約2.7キロ。多くの仲間が亡くなるなか、父親は建物内にいて大けがは免れた。

戦後も後遺障害に苦しまされることなく造船所で働いていたが、増田さんが高3になった1979年、胃潰瘍などで胃を摘出し肝炎も発症。働けなくなり、収入は激減した。その時の学費にも困る生活苦が、「右翼的な少年だった」という増田さんの社会への関心を呼び起こしたという。

増田さんは大阪大に進学し、新聞奨学生として働きながら、「被爆二世の会」の活動に参加した。

「直接」「入市」「救護」「胎内」に次ぐ第5の被爆者として2世にも被爆者手帳を交付し、検診を行うよう国に求めた。在韓被爆者支援にも取り組み、海外の学生と交流。「学校で何を教えられてきたんだろう」。そんな思いが教職に向かわせた。

教師になった85年当時、学校では本名宣言する在日朝鮮人の生徒がいた。教師も生徒もさまざまな問題を議論し、自由があった。空気が変わり始めたと感じたのは、99年の国旗国歌法制定の頃からだという。教育委員会から学校現場への指導が強まり、現場から違和感をとなえる声も増えた。

起立斉唱を定めた2011年の国旗国歌条例をはじめとする大阪維新の会の教育改革で雰囲気はさらに一変する。職員基本条例には起立斉唱など同一の職務命令違反3回で「免職も」の規定が盛り込まれた。「モノが言えない雰囲気が強まっている」とも感じるという。

さまざまなルーツの生徒がいる教育現場で、同化を強いる強制には反対だという増田さん。「おかしいと思うのに何もしないのは教師としての実践や生き方への裏切り。抵抗してもいいことを伝えたい。それが原爆のような戦禍を繰り返さないことにつながる」と力を込めた、だそうな。(毎日)



日の丸・君が代反対 増田

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