広島も過去に原発の推進を後押ししてきた歴史があった

原爆は核兵器、原発は核の平和利用。被災地福島県では、核廃絶と原発反対については、その考え方に温度差があるという。福島県原爆被爆者協議会は94人で構成されているが、原発の賛否を保留しているという。同協議会事務局長の星埜さん(83)は、「原発に賛否は出さないとずっとやってきた。理由は相双地区(福島県報東部)に住んでいる被爆者で福島原発に勤めていた人もいたし、その子供たちは今でも勤めているためだ」「原発に批判的な立場を会がとると、その地区に住む人は会を離反していかざるを得ない」という。

同協議会会長の山田さん(84)は「原子力を人間の力で安全に使えるものにしてほしい」と訴える。被爆者の全国組織「日本披団協」も原発の対応に揺れている。政府への要請書には自然エネルギーへの転換を促すなど盛り込んでいるが、当面の原発の転換には事実上容認している。

被爆国日本は、核の平和利用を被爆者がその一端を担ってきた。前広島市立大広島平和研究所所長の浅井氏は、「広島は原発問題に対して何らチェック作用も及ぼさなかった」という。1951年に「原爆の子」が出版され、この本の中には「原子力の平和産業への応用は、平和的な意味における原子力時代を実現して人類文化の飛躍的な発展をもたらすことは、疑いの余地はない。広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない」とある。1958年に広島復興大博覧会が開催され、原爆資料館には「原子力科学館」が置かれ、核の平和利用が宣伝された。

「アメリカの占領行政の下で原爆の放射線被害が、プレスコード(報道規制)をはじめとして隠ぺいされた。原爆体験の教訓をくみ取って思想化する作業に取りかかる前に、原子力は平和利用があるという考え方を吹き込まれて、それに押し流されてしまった。(浅井氏)」(RCC~ヒロシマ再考)


原爆の子
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