広島「アストラムライン」橋げた落下事故から20年

平成3年(1991年)に広島市の新交通システム「アストラムライン」の工事現場で、橋げたが落下した事故は3月14日、20年を迎えた。広島労働局はこの日、建設現場での死亡・重大事故防止を呼びかけようと、建設業者らを集めた大会を開き、職員らが広島市内などの建設現場でパトロールや注意喚起を行う予定だったが、東日本大震災のため中止となった。事故は広島市安佐南区上安で、平成3年3月14日午後に発生。高架橋建設現場で長さ約65メートル、重さ約60トンの鉄製の橋げたが約10メートル下の県道に落下。車11台が下敷きになり、ドライバーと作業員ら15人が死亡した。広島労働局によると、昨年は労災事故で31人が死亡。このうち7人が建設業の現場作業中だったという。(産経ニュース)


アストラムライン(新交通システム)は、渋滞の緩和と1994年のアジア大会の輸送手段として、建設が始められた。事故が起こった所は「夜の工事は安眠妨害」という住民の声があったため、昼間に突貫工事が、行われていた。


【当時の現場の状況】
現場を通りがかったフリーアルバイターのOさん(20)は、運転席から頭上に見えた橋げたが、グラッと動くのを見て、とっさにブレーキを踏んだ。近くにある自宅から母親のRさん(49)と、二人で銀行に向かう途中だった。その直後、大音響とともに落ちてきた橋げたの鉄筋が車を直撃。屋根がめり込み、運転席と助手席の間に覆いかぶさってきた。車内に閉じ込められた二人は約20分後に救出され病院へ搬送された。二人とも頭に軽い怪我をしただけで助かったという。Oさんは、屋根がめり込んできたとき、母の姿が見えなかったという。

現場近くの自宅にいたNさん(46)は、ガラガラという音に続いて起きた大きな地響きに驚いて、外に飛び出した。道路を一面に覆った巨大な橋げた。下敷きになった車は80センチほどに押しつぶされ、あちこちから白い煙が出ていた。ひしゃげた車の上に仰向けで倒れた男の人が、口からあわを出していた。

近くのコンビニエンスストア店長のNさんは、あと5秒早く、道路に出ていたら危ないところだったという。店の駐車場から配送に出ようとしていた。「橋げたは、ゆっくり裏返しになった後、一気にドンと落ちた」

現場近くで歯科医院を経営するHさんは、鋼材が、パラパラと崩れるのを見た。その直後、橋げた全体が大きく揺れ、ゆっくりと前の方からねじれるように落ちたという。

午後3時30分頃、大型クレーン車4台が現場に着いた。橋げたにワイヤロープをかけ、ゆっくりと持ち上げた。約30分程かかって、あずき色の乗用車が橋げたの下から引きずり出された。車体の屋根などは無残につぶれ、オイルやガソリンで車体は真っ黒。エンジンや、曲がったハンドルが突出していた。詰めかけた周りの人から「あーあ、あれじゃあ、生きとれんわい」と、ため息がもれた。(朝日)

アストラム落下2

アストラム落下

アストラムライン事故犠牲者

アストラムライン橋げた落下

アストラムライン事故 橋げた撤去
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