黒田投手の永久欠番と元広島の北別府氏の比較はタブーか?

70~90年代に広島のエースとして活躍し、通算213勝、沢村賞も2回受賞した野球解説者の北別府学氏(59)が11月5日、今季限りで引退した後輩の黒田博樹投手(41)にブログで感謝の言葉をつづったという。前日に引退会見を行った黒田は、自身の背番号「15」が山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き球団3番目の永久欠番となったことについて言及した。

「話を聞いた時は自分の中で鳥肌が立ちましたし、北別府さんを始め、諸先輩がおられる中で、こうやって僕自身の背番号がそういうふうになるのは恐縮する気持ちがありました」と話した。

これに対し、現役時代に背番号「20」を背負っていた北別府氏は「実は現役引退してから、私の背番号は欠番にはしてもらえないのだろうかという思いを抱えていたのは事実です」と複雑な心境を吐露した。と同時に「しかし!昨日の黒田君の会見を聞き、喉にずっとつっかえていた小骨が取れたようなという表現しかできないのですが、広島カープで投手初の永久欠番は15番で良かったと心から思えた、私にとっても心に残る会見でした」と黒田に感謝したという。

北別府氏は以前もブログで「自分の付けていた背番号を欲しがってくれることも大変ありがたいことですが、永久欠番というのは選手にとっては何ともいいがたいような誉でもあります」と記していたという。

北別府氏は宮崎・都城農から1975年に広島にドラフト1位で入団。3年目の78年に初の10勝をマークすると、その年から11年連続で2ケタ勝利。79年には17勝をあげ、リーグ優勝に貢献した。82年には20勝をあげ最多勝と沢村賞に。86年も18勝でリーグ優勝に貢献し、最多勝、沢村賞に加えMVPにも輝いた。通算213勝をあげ、94年を最後にユニホームを脱いだ。(スポーツ報知)


まるでマシンのようなフォームだった北別府氏

北別府氏が現役当時、投球フォームが精密機械のようなマシンだと形容されていたという。特に18勝を挙げた86年(昭和61年)の負け数は4で、勝率は何と8割1分8厘だった。しかも18勝のうち、17勝までが完投だった。日米通算203勝を成し遂げた黒田投手の背番号と、213勝を成し遂げた北別府氏の背番号を比較することはタブーなんだろうか。それとも、それが広島東洋カープという球団のやり方なんだろうか。



北別府学カープ
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