石原慎太郎の妻・典子は改名マニア?

東京の豊洲市場問題で、当時の都知事だった暴走老人こと石原慎太郎氏にまで責任が飛び火した。今まで順風満帆に見えた石原ストーリーが80歳を超えて崩れてしまった。この原因はいったい何なのか。もしかしたら妻に何か影響されたのか。そこで広島市出生である妻の石原典子氏にスポットをあててみたい。石原典子とは、いったいどんな人物なんだろうか。調べていくうちに、宗教かぶれとも言える「改名」マニアだったのだ。そしてこれが最後の最後で仇となったのだ。


石原慎太郎

石原慎太郎は、父・石原清と母・光子との間に1932年(昭和7年)神戸市に生まれた。母・光子は広島県厳島の出身。光子は大正末期か昭和のはじめ頃に厳島を出て神戸に移り住んだ。

石原慎太郎はその後、父の転勤に伴い1943年(昭和18年)神奈川県逗子市に転居。1955年(昭和30年)に石田由美子(後に典子と改名)と結婚した。


石原典子

妻・典子(旧姓・石田由美子)は1938年(昭和13年)に広島県広島市己斐町(現在の西区己斐)に生まれた。鎌倉、金沢八景、逗子で育つ。高校卒業時に小学生の時から知り合いだった新進作家の石原慎太郎と1955年12月に17歳で結婚した。

典子が慎太郎と母同士が知り合いだった関係で出会ったと言われる。

その後、典子と慎太郎との間に伸晃、良純、宏高、延啓の4人の子供をもうける。一念発起して慶応大学法学部政治学科に入学。卒業後、「妻がシルクロードを夢みるとき」「君よ わが妻よ~父石田光治少尉の手紙~」を刊行。

母・光子が広島県人であるのは古くから知られていた。1971年に出版された『日本人研究 <第2巻>』 (板坂康弘著、流動) 広島県人の項、259-260頁に「石原慎太郎は父の勤務につれてあちこちで育ったが、血脈は広島である。石原も躁鬱気質の典型的な広島県人」と論じている。

※躁鬱気質とは、いわゆる外面が良い気分屋であること。熱しやすく冷めやすい、一つのことにすぐ熱中するけど、すぐに飽きてまた別のことに目が向くありさま。

石原伸晃の妻である石原里沙の旧姓は田中理佐である。結婚時、夫の母親である石原典子氏から、画数の不良を指摘された田中は、名前を出生名であった「理佐」から、「里紗」へと改めた。裁判所への申し立てを経て改名が認められ、1991年(平成3年)の時点で戸籍表記も改められているという。


石原典子氏の姓名判断は正しかったのか

典子氏が姓名判断に長けていると言うなら、こちらもネットで勝手に姓名判断をしてみよう。改名する前の”由美子”が良かったのか、今の”典子”が良かったのか検証してみたい。そこでネットで「姓名判断」と検索すると上位に表示されるサイトで試してみることにした。



まず、「幸福の姓名判断」で試してみる。これに名前を入力すると、


石原由美子1

石原典子1


結果は”石原典子”の方が悪くなっている。



次に「いい名前ねっと」で試してみる。これに名前を入力すると、


石原由美子2

石原典子2


結果は”石原典子”の方が悪くなっている。



次に「姓名判断 彩」で試してみる。これに名前を入力すると、


石原由美子3

石原典子3


結果は、”石原典子”の方が良くなった。



最後に「姓名判断の自動占い」で試してみる。これに名前を入力すると、


石原由美子4

石原典子4


結果は、”石原典子”の方が悪くなった。


結論は、”典子”に改名したのは失敗だったことが分かった。

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