韓国で土下座させていたのは本当だった!陰湿な広島学校教育現場の実態が暴露される

呉市出身の元教師、中塩秀樹という人が広島県内の教育問題について語っている。中塩氏は平成元年に、中学校から高校へ移り、高校に勤めていたという。以下産経から引用。



広島県は、かつて「教育県」と呼ばれていました。しかし、私が高校教諭になった頃にはその面影すらなく、学力は全国40番台辺りを低迷する常連県で、学習指導要領無視の教育がまかり通っていました。


定められた授業時数の7割程度しかしていなかったり、教員が勤務時間中に組合活動をしていたり。「道徳」は大半の学校で行われず、実施している学校でも時間割には「道徳」ではなく「M」と表記するなど、道徳という言葉を知らない生徒も多くいました。


修学旅行は行き先が海外の場合、韓国が最も多く、出発前に「日本がどんなにひどいことをしたか」という反日教育を行い、行った先で生徒に土下座をさせるところもあったのです。


学校運営では、教職員が校長の権限を奪い、職員会議ですべてを決める。校長を「校長係」として教職員と同列の業務分担に位置づけた学校も。学校組織の中核として責任ある「主任」という立場を教職員組合が認めず、1~2年生教員を主任にし、主任手当を組合に拠出させるなどという行為も横行していました。


こうした惨状に対し、私を含めて「何とかしたい」と思う教員もいましたが、どこから手を着ければよいか分からない。そんな平成7年のある日、同僚に誘われて広島で開かれた講演会に参加しました。


講師は「福岡教育連盟」という福岡県内の教職員団体で委員長を務める佐々木重利先生。当時、がんに侵された体だったにも関わらず、福岡県の教員が命がけで教育正常化に取り組んだ話をしてくださった。「偏向教育はアヘンのように学ぶ者の人生を狂わせる。広島の子供たちのために立ち上がってください」という先生の言葉が忘れられず、私の腹は固まりました。


それ以降、福岡や文科省の方々から教育正常化の手法を学び、「優先すべきは将来を担う教員を正しく育てること」と考えて生徒指導や進路指導、教育関係法令、道徳教育などの研究会を結成。「教育活性化研究協議会」という研修団体も設立し、若い世代の教員の指導・育成に当たるとともに、広島の教育の問題点を整理して改善策をまとめる作業も手がけたのです。


さらに私たちの活動を大きく方向付けたのが、産経新聞広島支局の当時の支局長との出会いでした。新聞記事の意見を言おうと支局を訪れたのですが、そこで支局長と意気投合し、やがて「教育再興」という連載記事につながりました。


12回に及ぶ記事のおかげで、広島県教育の問題点や改善すべき方向が広く認知され、「教育正常化」が県民の総意になったのです。


そして、賛同してくれた国会議員や県会議員の方々の尽力もあり、ついに平成10年、文部科学省が県教委に対し、「法令の逸脱など不適正な実態がある」として是正を指導しました。示されたのは、「式典での国旗掲揚・国歌斉唱」「道徳の名称・指導内容」「職員会議の運営」「主任の人選」など13項目。いずれも私たちの指摘・提言がベースになっていました。


文科省の指導を受け、県教委はようやく是正に乗り出します。その後にも、県立世羅高校の校長や、別の学校の民間出身校長が自殺するなどの痛ましい事件がありましたが、それでも「教育正常化」は少しずつ進んでいきました。


(中略)


平成元年度、中学校から高校へ移りました。高校に勤めて驚いたのは、、入学式に国旗が掲げられず、式次第に「国歌斉唱」もなかったこと。生徒にアンケートを取ってみると、8割以上は君が代の歌詞を知らなかったのです。


これが日本の学校か?これでは日本の将来が心配だ。職員室で同僚にそんな話をすると、みんなに睨まれました。それ以降、私が担任をしている学級の出席簿や日誌が捨てられたりするような嫌がらせが始まり、複数の先生が授業中、私のクラスの生徒に「中塩はとんでもない教師だ!」などと繰り返し吹き込むので、私を見る目が変わった生徒も出てきたのです。


やがて、卒業式が近づくと、式で国旗掲揚・国歌斉唱を「する」「しない」をめぐり、校長と教員との間で“不毛”な職員会議が連日、夜中まで続きました。広島県全体の高校がそうだったようです。このため、体調を崩したり自殺に追いやられたりした校長もいらっしゃいました。


広島県の高校では当時、県高校教職員組合(広高教組)の加入率がきわめて高率でした。小学校でも教員が児童に、音楽教科書の国歌の上に紙を貼らせたり、「日の丸の白地は『骨』、赤い丸は『血』だ」と教えたりと、国旗・国歌に対する偏向教育は目に余る状況だったのです。


こうした事態を正常化させるには、国旗・国歌に法的な根拠を持たせる法律を制定するしかないと考えていました。当時の政権与党も法制化の方向で議論を始めましたが、政治家は学校現場の深刻さを理解できておらず、「慣習のままでよい」という意見が大勢になってきたのです。


ある日、腰が痛くて保健室で寝ていたとき、夢を見ました。大勢の国会議員の前で国旗・国歌の法制化の必要性を説明し、そのそばで吉田松陰先生が「私心を捨て、『至誠』をもって事に当たらないと人は動かないぞ」と私を叱咤していたのです。この声で目覚めると携帯電話が鳴っていて、出ると友人から「東京へ来てくれ」との依頼。詳しい話も聞かないまま、上京してみると、100人近い国会議員らを集めて法制化に向けた研修会が開かれており、「学校現場の様子を話してくれ」とのことで、まさに夢と同じ状況でした。


私を含め3人の専門家が話をする予定で、私は30分間、広島でどんな国旗・国歌教育が行われているか“私心を捨て、至誠をもって”詳しく説明しました。すると、あとのお二方から「自分の時間を譲るので、その説明を続けてください」と言われ、私はさらに偏向教育の実態を伝え、「このままでは日本を愛せない日本人が作られていく」と訴えました。


話している間、100人近くが誰ひとり席を立つことなく、目をそらさずにじっと聴いてくれました。このあと、出席していた議員らの尽力もあってその日のうちに与党案がまとまったそうで、平成11年8月に国旗国歌法が成立。それ以後、学校では国旗・国歌をめぐる不毛な職員会議がなくなりました。


同法成立後、当時の小渕恵三首相から電話がかかってきて「国旗国歌法ができたのはあなたのおかげだ」と、身に余る言葉をかけていただいたのです。私は松陰先生の墓所(山口県萩市)に参り、このことを報告しました。(産経)
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広島の教育問題は同和問題だったのですね。
広島の土下座修学旅行を知り、学校の教育現場がおかしいと思ったので
そういや広島で校長が自殺していたと思いだしたので
広島、校長自殺で検索したところ「部落解放同盟」というキーワードが出てきました。昭和40年代から今まで25人の校長などが自殺に追い込まれていたとは。
しかも部落問題は差別問題に重なるからとマスコミが報道できなかったみたいですね。 
2016年08月14日(Sun) 12:25












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