NHKスペシャル「決断なき原爆投下」これも軍の暴走だった?

8月6日のNHKスペシャルは、「決断なき原爆投下」と題して放送された。アメリカによる原爆投下は「戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、トルーマンが決断した」と考えられているが、その定説が歴史家たちによって見直されようとしているという。その真実は世論を操作するための演出だったという。


アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきた。しかし多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっているという。


最新の研究では、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったとされる。さらに、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。


番組では、投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言や、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープ(1970年4月3日)を相次いで発見。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いている。




グローブス トルーマン



トルーマン大統領は、実は何も知らなかった?

グローブス准将の肉声テープでは、「トルーマン大統領は原爆計画について何も知らず大統領になった。そんな人が原爆投下を判断するという恐ろしい立場に立たされた。トルーマン大統領は市民の上に原爆を落とすという軍の作戦を止められなかった。いったん始めた計画を止められるわけがない。原爆開発が成功すれば戦争に勝利する決定的な兵器になる。1945年の暮れまでにさらに17発つくる」などと記録されていた。


さらに「原爆が完成しているのに使わなければ議会で厳しい追及を受けることになる」と危惧していたグローブス准将は、原爆を投下する都市について、「最初の原爆は破壊効果が隅々まで行き渡る都市に落としたかった」としている。


いくつかの候補地の中でグローブス准将は京都に原爆を投下したかった。その許可を得るためにグローブス准将は、京都にある紡績工場を、軍事施設と報告。6回以上訪問して説得したが、スティムソンは却下し続けた。 文民統制の下、文民の立場だったスティムソン陸軍長官は2度京都を訪れていたため、京都は投下目標からはずされた。


そこでグローブス准将は広島に目をつけた。

広島は当時、ごく普通の商業都市であったが、「日本有数の港と軍事物資の供給基地など軍の大規模施設が『陸軍都市』である」と報告していた。

報告書には広島が「軍事都市」だと伝わるように巧みに書かれていた。(カリフォルニア大学ショーン・マローイ准教授)

「軍は原爆によって一般市民を攻撃することはないと見せかけた。トルーマンは広島に原爆を落としても、一般市民の犠牲はほとんどないと思い込んだ」(スティーブンス工科大学アレックス・ウェラースタイン准教授)


しかし、原爆投下について反対意見もあった。「この戦争を遂行するにあたって気がかりなことがある。アメリカがヒトラーをしのぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかということだ。戦後、和解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうこと。」(スティムソンの日記)


「原爆の投下はあくまでも軍事施設に限るということでスティムソンと話した。決して女性や子どもをターゲットにすることがないようにと言った。」(トルーマン)


8月6日の原爆投下後の8月8日午前10時15分、スティムソンは大統領を訪れた。そして広島の被害をとらえた写真を見せた。それを見たトルーマン大統領は「こんな破壊行為をした責任は大統領の私にある。日本の女性や子どもたちへの慈悲の思いは私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」と記されていた。



原爆投下後 広島市


トルーマンの日記には「女性や子どもをターゲットにしない」と書かれていたが、軍主導の原爆投下にトルーマンは無力だったのだろうか。原爆の威力を見て、軍事施設だけピンポイントで破壊できない事は分かっていたはずだ。トルーマンの行動は”見て見ぬふり”だったとしか言いようがない。この日記も、トルーマンだけが悪者にならないための単なる”まやかし”でしかない。


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