NHKスペシャル「原爆・スパイ戦の真実」恐怖の均衡を願った科学者がいた

11月1日のNHKスペシャルは「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」と題して放送された。今から70年前、アメリカのニューメキシコで世界を一変させる実験が行われた。それは原子爆弾である。1945年に広島、長崎に投下された原子爆弾は、その年だけで21万人以上が命を失った。その後、核の脅威は地球全体に広がり続け、今もなお、1万5千発以上が世界の安全を脅かしている。

列強が繰り広げた原爆開発競争の中で、第二次世界大戦末期の2年間、スパイ活動が暗躍していた。その機密資料が各国で次々と見つかっている。それは、アメリカ諜報部隊 Vs ソビエト諜報部隊という構図だ。

そして今、原爆開発に関わった人々の証言を集めるプロジェクトが進んでいるという。ワシントン・DCに拠点を置くアトミック・ヘリテージ財団(Atomic Heritage Foundation)がその役割を果たしている。

証言者の中に原爆開発のスパイ工作について、ある諜報部隊のリーダーを務めていた人物がいた。

ロバート・ファーマン少佐(Robert Furman 1915~2008)をリーダーとする諜報部隊の名は「アルソス」と呼ばれ、レスリー・グローブス准将の命令によって、ナチス・ドイツに送り込まれたのである。

レスリー・グローブス准将(Leslie Richard Groves)は、極秘計画だったマンハッタン計画(1942年)を推進した人物だったが、科学者たちがナチスが先に原爆を手にするという恐怖に怯え、開発に集中できなくなっていることを危惧していたため、正確な情報を集めて科学者たちの恐怖を鎮めようとした。

「アルソス」はベルギーで原爆の原料となるウラン鉱石を発見し、フォアマン少佐は一刻も早くナチスの原爆開発を阻止する必要に迫られた。


標的にされたウェルナー・ハイゼンベルグ

アメリカとドイツ、原爆開発競争を制する者が戦争の勝者となる。勝利者か破滅か、そのカギを握る男がハイゼンベルグだ。ウェルナー・ハイゼンベルグ(Werner Karl Heisenberg)は31歳でノーベル賞を受賞した天才物理学者。量子力学の先駆者として名を馳せていたが、次に関心を向けたのが原子エネルギーの研究だった。

多額の費用がかかる研究を進めるために、ハイゼンベルグは軍に接近を図り、研究を売り込んでいた。ハイゼンベルグが「核分裂エネルギーが軍事的に利用できる」と軍に進言した極秘文書が見つかった。そこには「爆弾」とはっきり記されていた。

「アルソス」の焦点は、ハイゼンベルグに絞られた。


1944年11月、「アルソス」はドイツ国境に近いフランスのストラスブール( Strasbourg)に潜入した。市内にハイゼンベルグの拠点の一つと目されたストラスブール大学があったからだ。当時、大学はナチスに乗っ取られ、軍事研究に使われていた。大学に踏み込むと、多くのユダヤ人の死体が見つかった。生物兵器の開発のためだった。しかし、証拠は見つからなかった。

「アルソス」は、捜索の範囲を市内全域に広げた。

病院に科学者が出入りしているという情報を聞きつけた。ストラスブール病院で「アルソス」は、決定的な事実をつかんだ。ハイゼンベルグはドイツ南部のヘヒンゲン(Hechingen)に潜伏していた。


1944年12月、「アルソス」は、チューリッヒ市内の大学でハイゼンベルグが講演会を行うという情報をつかみ、工作員としてモー・バーグ(Moe Berg)を送り込んだ。与えられた命令は「原爆開発が間近かだと確信したら撃て」だった。

モー・バーグは身分証を偽造して研究者に成り済ましていたが、ハイゼンベルグが講演会で原爆開発をほのめかす事をしなかったため、暗殺しなかった。


「アルソス」は懸命な捜索を行い、ついに核開発の報告書を見つけた。しかし、ドイツは原爆開発について初歩的な段階で止まったことが分かった。原因は長引く戦争で生産力が低下していたのだった。そのためドイツ軍は、電撃戦によって短期決戦を図るという戦略だったため、1年以内に実践に投入できる兵器に限って開発を援助するという方針だった。

短期間での開発を打診されたハイゼンベルグは、不可能だと断言した。


ナチスが原爆を持っていない、という情報はマンハッタン計画の意義を根本から問い直すはずだったが、グローブスは原爆開発を進めるつもりだった。グローブスの脳裏には戦争が終わった後の世界の事があった。アメリカが核兵器を独占することで、世界の覇権を手にすることが出来ると考えた。


唯一の懸念は、もう一つの大国であるソビエトだった

もし、ソビエトが核兵器を持てば、グローブスの目論みは水の泡となる。グローブスは何としてもソビエトの原爆開発を阻止することが必要だった。

その頃、アメリカでは懸案の原爆の起爆装置に取り組んでいた。全米から若く有能な科学者がリクルートされ、その中にセオドア・ホールがいた。ハーバード大学を18歳で卒業した若き物理学者である。

ホールたち科学者は、膨大な計算を重ねることで、かつてない起爆装置「爆縮」という方法を編み出した。


その頃、ソ連も原爆開発に焦りを感じていた。そしてドイツ人科学者たちを拉致しようと考えた。その最大の標的となったのはハイゼンベルグだった。

「アルソス」は、ソ連の動きを察知し、動き出した。最大の作戦はソビエトより早くドイツ人科学者を発見し、拉致することだった。

5月3日、ドイツのウールフェルトで「アルソス」はハイゼンベルグの潜伏先の情報をつかんた。

1945年5月8日、ナチスドイツが無条件降伏

ハイゼンベルグはイギリスのケンブリッジ郊外の邸宅に監禁された。その頭脳をソビエトに使わせないためだった。


ソビエトの原爆開発は頓挫するとみられていたが、その後、急速な進歩を遂げることになる。ソビエトの研究者たちは、原爆の詳細なメカニズムを完成させようとしていた。

いったい何が起こったのか。実は水面下で、かつてないスパイ工作が行われていたのだ。


秘密のベールに覆われていたソビエトのスパイ工作の真相を知る人物

元KGB将校のアレクサンドル・ワシリエフは、旧ソビエト時代に最高機密文書にアクセスすることを許されていた。

ワシリエフは、膨大な機密文書を手書きで書き取り、ソビエト崩壊後、国外に持ち出した。そこにはこれまで知られることのなかったソビエトの原爆スパイ活動の詳細が記されていた。

ソ連の原爆スパイ作戦のコードネームは「イノーマス」(巨大の意味)だった。

突破口を開いたのは1944年、ソビエトは4人の「原爆スパイ」を獲得した。4人の名前は、クラウス・フックス、デビッド・グリーングラス、ジュリアス・ローゼンバーグ、セオドア・ホールだった。

ホールのコードネームはMLAD(ムラッド、ロシア語で若いという意味)とされ、歴史の中で巨大な役割を果たした。


ホールはなぜ国を裏切り、スパイとなったのか

妻のジョーン・ホールにだけは打ち明けていた。

「ホールはアメリカが核兵器を独占することで、世界の秩序が崩壊すると考えました。ソビエトも核を持てば世界の安定が保てると。言わば、恐怖の均衡です」「ホールは自らリスクを取り、スパイとなったのです」。


元「プラウダ」の科学記者、ウラジミール・ザバレスは言う。

「アメリカから奪った情報によってソビエトの原爆開発は10年は加速しました。マンハッタン計画の機密資料を9000ページも奪いました。そこには原爆の設計図も工場の配置図も含まれていました。原爆をどう作ればいいか、はっきりと道が示されていたのです」。


1945年5月、連合国に抵抗を続けているのは日本のみとなった・・・。

そして、日本への原爆投下が検討され始めた。


戦後、アメリカはソビエトの核攻撃のシュミレーションを進めていた。9割の国民を殺し、産業を壊滅させるために、標的となる都市をリストアップして、必要な原爆の数を割り出していた。

一方、ソビエトは原爆開発を強力に推し進めていた。

1949年8月、ソビエトは初の原爆実験に成功し、アメリカの核の独占に終止符を打った。ソビエトが開発した原爆は、アメリカが長崎に投下したものと瓜二つだった。なぜなら盗んだ計画図をそのままコピーしたからである。

そして米ソ両国の勢力バランスが拮抗し、冷戦が始まるのであった。

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