「民主主義って何だ?」高橋源一郎氏の偏向妄想

民主主義をテーマにした中国新聞の連載記事「民の70年」が最終回らしい。今回登場する人は、時々TBSのサンデーモーニングに出演して奇妙なコメントをする作家の高橋源一郎氏だ。高橋氏は広島県尾道市出身で明治学院大国際学部教授。安全保障関連法に反対する学生グループ「SEALDs」との共著「民主主義って何だ?」もある作家だ。高橋氏はサンデーモーニングで司会の関口氏から政府の安保関連法案についてコメントを求められると、「ツッコミどころ満載で、何から話していいのか・・」とオチャラケ顔で言っていた。

下記記事をみると、高橋氏の言うことに奇妙で面白いところがある。例えば「民主主義は相手を認めることから始まる」とか「誰かをやっつけないと収まらない」というのは、まさにSEALDsメンバーが国会前で安倍首相に対して行った数々の誹謗中傷そのものじゃないか。"天に唾をはく"というのはこの事で、ネットではこの現象を"ブーメラン"と言っている。


さらに恐ろしく偏向的な見出しを記者が書いている。社会の閉塞感というのは、もっと別のところにあるはずだが、もう手の付けられない領域にハマっているようだ。記者の個人名は伏せておこう。

(記者)「反発を恐れての過剰な委縮、少数者の存在を認めない不寛容、声を上げる人々を抑え込む圧力・・・。民主主義を掲げる私たちの社会には閉塞感が漂う」


※下記記事の中で、高橋氏による表現の一部に不快感を示す部分があるが、これも表現の自由ということで記載した。


(記者)国会前デモを参加者が埋め尽くしました。原動力は何だったのでしょう。

(高橋氏)ある日突然生まれたデモだと思っているでしょう。でも、そうじゃない。東日本大震災後の脱原発運動や特定秘密保護法への反発・・・。そうした下地に「何かおかしい」という空気が発火寸前まで広がっていた。そこに、シンボルとなる若者たちの行動があった。言論や集会の自由を使わないと意味がない。政治家に預けた主権を「持ち逃げされたから返してくれ」という普通の感覚や、「自分たちに主権がある」という民主主義の記憶が呼び覚まされたんじゃないかな。

【個人尊重で共感】

(記者)若者たちの訴えが急速に全国に広がったのはなぜでしょうか。

(高橋氏)「戦争に行きたくない」とか「人を殺すのは嫌だ」とか、個人を大切にした言葉だから、あちこちに拡散した。一方で、強い言葉も飛び交っている。「反日分子」「売国奴」だとか。相手を認めない強い言葉。民主主義は相手を認めることから始まる。相手がこっちを見ていなくても、こっちは相手を認めなくちゃ。

(記者)言論の不自由さやヘイトスピーチ(憎悪表現)の背後には「話し合えなさ」があるのでは。

(高橋氏)強い言葉でコミュニケーションを遮断しないと、相手の話を聞かないといけなくなる。面倒くさいから、相手を拒む。ヘイトの矛先がマイノリティーに向かうのも同じ理由。楽だから。

誰かをやっつけないと収まらない鬱屈した表情が広がっている。解消するには現実を変える必要がある。それより弱い標的をみつけ、やっつけた方が勝利感に酔える。

世界中、どこも同じ。欧州では難民、移民、イスラム教徒に不寛容な政党が力を強めている。少数派が憎しみの的になり、レイシスト(人種差別主義者)が支持を増やしている。

(記者)相手を拒絶する動きには、どう対応すればいいのでしょうか。

(高橋氏)抱き締めるしかない。憎しみの言葉を口にしない。かつてのベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)がそうだった。スパイと疑われるような脱走兵がいても、受け入れた。いろんな人がいて、意見が合わない人とうまくやる仕組みが民主主義なんだ。大きな声で委縮させようという力には、きちんと反論しよう。反論することが普通になれば「ああ、反論していいんだ」という気分になる。

【デモ当たり前に】

(記者)「デモでは何も変わらない」という冷めた見方もあります。

(高橋氏)デモが当たり前の社会に変わったと思う。デモ(示威行動)とデモクラシー(民主主義)は親和的。どちらもデモス(ギリシャ語で「民衆」の意味)の思いを共有することだから。

近くで原発計画がある祝島(山口県上関町)では、毎週月曜夜に住民がデモをしている。継続的な意思表示を大事だと思う人が集まり、30年以上も続いている。意思表示を続けないと「主権は選挙でしか行使できない」なんていう政治家の言葉に「そうかな」と思っちゃうよ。(中国)


素行の悪いSEALDsを擁護するみっともない大人たち
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