広島原爆で米軍捕虜が17人死んでいた・被爆70年記念シリーズ第11弾

B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が1945年8月6日に広島に投下した原爆で、当時広島にいた米軍捕虜はいったい何人死亡したのか。1977年の報道によると、原爆で被爆死した米軍捕虜は17人。その名簿が外務省保存の外交文書の中から見つかったというもの。

戦後、米軍被爆死者の実態について、ペンタゴン(米国防総省)は固く口と閉ざしていたが、広島大学の若手研究者によって資料が発見された。

ペンタゴンの回答は「原爆投下時、広島には10人から20人の米軍捕虜がいたと思われるが、データが不十分なので誰が犠牲になったのかわからない」と沈黙を守っていた。理由は「原爆投下、および、その結果として米軍捕虜を巻き添えにしたことに対して、”罪の意識”を感じているからではないか」と推測されていた。

ナゾに包まれていた米軍捕虜被爆のもようを記述した資料は、外務省外交史料館の膨大な外交文書の中に含まれていた。文書によると、捕虜17人はいずれも原爆投下時、広島市内の中国軍管区司令部の手で拘留されていた。死亡日はほとんどが8月6日だった。年齢は19歳から30歳で、遺骨は5人だけが同じ年の11月上旬に米側に引き渡された。
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