広島原爆死没者慰霊碑の碑文の過ち・被爆70年記念シリーズ第10弾

「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」という他人行儀で気取った碑文について、主語が何を指すのかと毎度、論争が起こる。この慰霊碑には過去に何度もペンキやスプレーでいたずらされているが、これほど「いわく付き」の慰霊碑もめずらしい。この不可解で尋常でない碑文について、取り上げてみたい。


原爆慰霊碑・碑文


この碑文は、広大の雑賀教授によって考案されたもので、後に主語は「We=われわれ人類」であると説明されている。さらに1983年、広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、慰霊碑の説明板を設置するという苦し紛れの説明をするハメになる。


原爆慰霊碑・碑文2


この考案者は、問題の主語を暗に考えさせるというより、碑文の配置をアーチ型のデザインに拘ったため、意図的に主語を書かなかったのではないだろうか。なぜそう思うかについては、以下の雑賀教授の人間性から読み取れる。また、ほんとうに、死没者の叫びを訴えるなら、同じ平和記念公園にある「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの 叫びを ともに 世界の人よ」のような表現になるのが普通だろう。


天がまっかに燃えたとき


この碑文の意味する主語が「われわれ人類」だと雑賀教授が定義付けていても、現代においても尚、議論の的になったり、違和感を持つ人々がいるということは、この碑文は不完全であり、その場所に相応しくないものだと認識する必要もある。このポエムのような碑文からは、戦争や原爆の悲惨さは、全く伝わってこない。

もし、雑賀教授以外の人が碑文を書いたなら、どんな内容になっていたのか興味深い。以下は雑賀教授という人物像や碑文が出来た経緯などを断片的に、ヒロシマ平和メディアセンターのサイトから引用して考えてみたい。


雑賀教授とはどんな人物なのか
「(雑賀教授は)浮世離れしていて、自宅を訪ねる学生に、硯(すずり)箱と記名帳を差し出したり、難解な英文エッセーを陶然と読み、自ら訳して悦に入る。自分の息子に「亜幌(アポロ)、飛龍(ヒリウス)」とギリシャ神話にちなむ名をつける異彩の人。英詩を愛する文人肌の英知から、あの碑文は生まれた。はげ頭に骨張った顔の、ひょうひょうたる人物で、『仙人』とも呼ばれた英語の名物教授は、市内の皆実町にあった旧制広島高校の弓道場に仮住まいしていた」とある。


雑賀忠義教授


また、雑賀教授一家も4人が被爆した。夫婦と京都大から帰省中の長男は皆実町の家で、二男は旧制広高で農作業中だった。家は傾き、壁や窓が吹き飛んだ。幸い家族は無事だったが、同僚や知人を多く亡くした。

雑賀教授は碑文論争から5年後の定年退官の際、「広大新聞」で、「全世界よ、全人類よ、日本の方を向いて『右へ倣え』。碑文は全人類への号令である。こんなはっきりしたことが読み取れないのですか。頭が悪いですね」と語った。


なぜ、雑賀教授が碑文を考案することになったのか
「広島市の市長室主事だった藤本氏が、碑文の作成を頼みに雑賀教授を訪ねた。碑が完成する直前の1952年年7月下旬だった」とある。

どのようにして作られたのか
教授は多くの英詩を見せた後、ぽつりと漏らした。「『しずかにお眠り下さい 過ちは繰返しませんから』。こんなとこかな」。藤本さんは懸命にメモした。教授本人が推こうし、翌日出来上がった成案は今の碑文そのものだった。

浜井市長(当時の広島市長)はどうしたのか
「原爆慰霊碑は恒久平和を願うヒロシマの象徴」。そう考える浜井信三市長は碑文を考えあぐねていた。「めい福を祈る気持ちを誓いの言葉と結びつけるのに困った」とある。


また、「碑文」について、過去に広島で論争が持ち上がったことがある。

碑文論争
1970年2月21日、「原爆慰霊碑を正す会」が発足した。主要メンバーは広島県モーターボート競走会の岩田幸雄会長や旧軍人だった。顧問には石橋湛山、賀屋興宣、児玉誉士夫、三浦義一、相談役に源田実、林房雄らが名をつらねた。

「正す会」は、「原爆を落とされた方の日本人がなぜ詫びねばならないのか」と碑文をあらためることを主張し、署名運動を始めた。これに対して「原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議が」ができた。当時分裂していた社民党、共産党系の原水禁組織も共に参加した。

「守る会」は、「碑文のいう”過ち”は、人間が人間を殺すために核兵器を使った原罪を意味する。正す会のメンバーの中には核武装論者がいる。彼らが碑文を、原罪を否定するのは日本の核武装化への道を開こうとするものだ」と反論した。

「碑文を守る連絡会議」は、これを市民の良識の現れ、と判断した。そして「単に祈るだけでは平和は来ない。慰霊碑はこれからの平和運動のとりでだ。それを守るのが被爆者に報いる非爆者の義務」と言った。



最後に、画家であり芸術家の岡本太郎氏が、「ヒロシマ 63年」で、碑文について皮肉を込めて批判しているので、その一部を紹介したい。

【岡本太郎】ヒロシマ63年
あの日から18年目、私のふれた広島の町は、あまりにも散文的で、何のあともとどめないようだった。見た目にも、モラルの上でも。この市自慢の百メートル道路を行く。公園のように作られているが、生え放題の雑草とゴミで、ほこりっぽい。投げやりの感じである。記念日の前に手入れするのか。爆心地が「平和公園」になっている。「平和」なんて、形式的な、お飾りのような名のつけ方だ。そういえば「平和マンジュウ」というのも売っている。

(中略)

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と慰霊碑に刻んである。甘ったれた、イヤな文句だ。また、その無意味さは、碑が立ったはじめから、すでに多くの人が指摘している。

ここには主格がない。だれが過ちを犯し、それを過ちと認め、だれの責任において繰返しませんと誓っているのか。

地元では弁解する。「We」という主語が省略されているのだと。しかし、ではそのわれわれとは誰なのか。やっぱり責任の所在がない。おかしな誓いだ。気分だけ、感傷だけの文にすぎない。かつて「一億一心火の玉だ」「総ザンゲ」などと、空しい言葉をふりまわしたが、だれも責任をとらなかった。あれを、まだやっている。

「過ち」は過去のことだ。「繰返しませぬ」というのは未来である。だがここに象徴的に、現在が欠けている。現在、責任をとらなければ、過去も未来もヘッタクレもありはしない。

とかく、過去の非をあやまり、未来を約す。そんなのが奇妙にホロリとさせ効果をもつのだ。ただ今こうであると誇り、生身で責任をとる、そういう強いモラルは打ち出さない。

狡猾なのか、あるいは無知なのか。こんなポーズが現世界に通じるはずがない。平和といってもそうだ、何が平和であるか。フルシチョフの平和があるし、毛沢東の、ケネディ、ドゴールの平和、それぞれ、まったく内容が違っている。立場に応じて何が平和かという主張が出てくる。当然、政治的である。

平和運動にせよ、原水協にせよ、その点を抽象化し、ごまかして行こうとするから逆に収拾のつかない政治的混乱がおこるのだ。この碑では時間の現在が不在であり、「平和」では自分の立つ位置が明らかでない。空間的主体の欠落である。

傷害を受けた人だけが被爆者なのだろうか。この原爆の事実から、われわれの運命の大きな部分が出発している。つまり、われわれ自身が被爆者なのだ。それなのに、他人事のようにケロッとして、見物側にまわっている。生きる意志の中にこそ、あの瞬間が爆発しつづけなければならないのだ。広島は舞台であり、そこでみんなが原爆の名で踊る、異様なコメディー。

この象徴的な土地に、碑や祭壇なんかもうけて、拝んだり、記念したりするから問題がズレるのだ。私なら爆心地に、何もしない、空の空間を作る。作るべきだ。例えば白砂だけの、なんにもないひろがり。それはあの瞬間に、ごっそり、えぐりとられた象徴でもある。そしてあの爆発とは何かを、空(くう)に向いて一人一人が問い、考え、自分自身を再認識する場所にするのである。
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