消防士17人が焼死した呉市山林大火災(1971年)

昭和46年4月27日白昼、火災警報発令中の呉市で山火事が発生し、消防士や海上自衛隊員ら約600人が出動して消火作業中、17人が焼死し、1人が重傷という大惨事があった。現場は深い谷底で、風向きが急変して火が谷間から頂上に吹き上げる形になったため、火に囲まれて逃げ遅れた。火事は民有林300ヘクタール以上を焼いた。出火の原因は、道路整備作業員のたき火が枯草に燃え移ったというもの。山火事による焼死事件としては史上最大の惨事だった。

4月27日午前11時10分ごろ、呉市広町町田、大張矢山中腹の道路工事現場付近の雑木林から出火し、呉市消防局や地元消防団員ら約200人、海上自衛隊呉地方総監部、陸上自衛隊第13師団(広島県安芸郡海田町)から約620人が出動、消火に当ったが、午後4時ごろ、消火作業に当っていた市消防局員が出火場所近くで市東消防署東第一小隊員17人の焼死体と、重傷1人を発見した。

夜になって阿賀町原の通称清水谷方面に延焼、午後10時半すぎには同市阿賀町原の約100戸の市営住宅に200メートルの距離まで近づいた。消防局は民家への延焼食止めに全力をあげたが、山中の消火作業は同夜は断念。28日午前6時から消火活動を再開することにした。

広島県警広署と呉市消防局が調べたところ、大張矢山中原で道路整備作業をしていた同市の作業員が、昼食用のお湯を沸かそうとたき火をしたところ、強風で火が近くの枯草に燃え移ったらしい。

市消防局によると、焼死者の出た場所は、灰ヶ峰南東部の稜線の下、標高約300メートルの地点。全体がすり鉢状になった山深い谷底。殉職した消防士らは、出火場所付近で北側のヒノキ林への延焼を食止めるため、消火に当っていた。ところが、それまでの北風が東風に変わったため、谷間から頂上に向けて風が吹上げる形になった。消防士らは火と反対側の頂上めがけて一斉に山の斜面を登った。頂上まで約400メートルもあり、逃げ切れず、焼死したらしい。遺体はみな真っ黒こげで、火勢の強さを物語っていた。出火当時、呉市には火災警報が出ており、湿度は3時で19%だった。


呉市山林火災
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