広島の教育を嘆いた桜井よしこ氏が国賊ねつ造記者・植村隆から訴えられる

ジャーナリストの桜井よしこ氏と出版社が、元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった北星学園大学非常勤講師の植村隆氏によって、「捏造記事」などと書かれて名誉を毀損されたとして、計1650万円の損害賠償や謝罪広告を求める訴えを札幌地裁に起こされたという。訴状によると、桜井氏は自身のホームページのほか、「週刊新潮」、「月刊WiLL」、「週刊ダイヤモンド」などに記事を寄稿。植村氏の記事について「明確な捏造記事」だと述べ、「学生を教える資格があるのか」と植村氏を批判していた。提訴後に記者会見した植村氏は「これまで自分の記事が捏造でないと根拠を挙げて論証してきたが、大学への脅迫はやまない」と説明。「言論戦だけでなく、司法判断を仰ぎたい」と語ったという。(時事)


植村隆


桜井氏は、「言論人はいかなる批判に対しても言論で応じるべきだ。私の論評に不満があるなら、言論の場で不満の内容を説明し、反論すればよい」と、あまりに当たり前の大人としての見解を述べ、一瞬にして論破された格好た。この瞬間、植村氏の人間としての器の小ささと貧弱さが露呈されてしまった。

桜井よしこ氏といえば、「日本の危機」(2000年出版)という本の中で、広島の教育界のことを嘆いて書いていた。植村氏については、もはや国賊というレッテルを張られ、逃げ場がないようだ。ねつ造記者の話すとこは、すべて懐疑的で疑心暗鬼となるのは当然といえる。以下は参考までに、桜井氏の著書「日本の危機」の中から、広島に関する部分を引用してみた。

罷り通る「悪平等」

人権は、どんな状況下でもどんな人に対しても、断固として守るべき最重要の価値観である。思想、信条も、政治観も、言論表現の自由も、立場によって制限されてはならない。しかし、現実はどうか。人権の実現を目指しつつかえって人権を損ねている事例が目につく。やや特殊な例かもしれないが、「人権教育」で知られる広島県をみてみよう。

広島県議会で、熱心に教育問題をとりあげてきた石橋良三議員が語った。 「広島県では、学校教育全体が人権によって仕切られています。『道徳』の授業が『人権』と名称変更されている程、熱を入れています」。

広島県福山市の関係者が語った。 「福山の人権教育を一言でいうなら、平等と権利の過剰教育です。人間には個性があり、能力の差がある。それはだれもが分っている。ところが教育がそれらを奪い取り、かえって没個性となっています」。

広島市の元PTA役員も言う。 「人権教育の柱は、「差別・選別をしない」です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければならない。ですから、普通にあるような授業の始め方「起立、礼」さえもありません。「はい、静かにして」「席について」と何となく始まり「ここまで」と何となく終わるんです。朝礼でも、「前へならえ」「気をつけ」「休め」は軍国主義だとしてやりません。うちの子は「回れ右」も出来ないんです」。

別の元PTA役員も述べた。「最も顕著なのが運動会です。入場は「行進」ではなく ただ歩くだけ。ラジオ体操もダメ、徒競走は、あらかじめ全員のタイムを計り、タイムの近い子同士で走らせるので、一人だけ飛び抜けて一着になる、或いは大きく離されることはありません。選手のリレーなどもっての外です。差をつけることは差別だというのです。見ていてこれほどつまらない運動会もありませんよ」。

広島市議会の児玉光禎議員が述べた。「結果としての平等を作り出す悪弊が横行しています。その結果なにがおきた。学力の低下です。広島には約三万人の高校生がいて、内二万人が公立、一万人が私立です。広島大学への進学率は県全体で23%、公立からはわずか11.9%です。特に公立高校の学力の低下がひどい。地元からの進学率が低いので、近県からは「草刈り場」と言われるくらいです」。

95年の国公立大のセンター試験をみると、かつて教育県といわれた広島県は、今、総合平均で47都道府県中、42位だ。「県北部のある高校では、進路指導でセンター試験を受けるなという所もあると聞いています。「選別につながるから」というのが理由です。広島の子供たちは他県の子供に較べ、それだけ、教育権を奪われているということです」と児玉議員。

福山市のある親が訴えた。「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は「なぜ私学か」「なぜ県外か」と苛めるのです。私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」。

「大切」にされているはずの人権が、「差をつけない」 「選別しない」という価値観によって踏みつけられているのだ。子供も親も自分の望む学校に行く権利や選ぶ自由をも奪われている。ここまでくると「差をつけない」 「選別しない」ことは、人権とは似て非なるものになる。こうした点について、現場の先生の意見をきくため広島県教職員組合に取材を申し込んだが、応じられないとのことだった。そこで実際の「人権教育」の内容をみてみる。

広島市のある中学校で使用されている「人権学習」の教材「国際社会に生きる私たち」は、一頁目に日本国内の外国人登録者数の推移をみせて、続く頁で、在日外国人の国籍別人数を答えさせている。同じ教材の他の頁の「日本が支配した36年間の歴史」の質問が目をひいた。生徒が空欄に答えを入れる仕組みだ。

 (  )を奪う―土地調査
 (  )を奪う―産米増産計画
 (  )を奪う―関東大震災での虐殺
 (  )を奪う―朝鮮教育令
 (  )を奪う―創氏改名
 (  )を奪う―強制連行
 (  )を奪う―徴兵制

答えは、上から土地、米、生命、民族、名前、労働力、生命である。

元PTA役員の父親が語った。「子供の学校の人権教育で『アジアを学ぼう』というのがあるんです。一見すると近隣諸国について学ぶと思いますよね。ところが学校内の『アジア交流の部屋』には、朝鮮のお金や民俗玩具、チマ・チョゴリなどを展示しています。小学校四年生でキムチの漬け方の授業まであるのです。でも殆どの親は、学校でそんな授業が行われて
いるのを知りません。授業が終わると、教材は先生が回収しますから」。

広島県内各地で教えられている「人権」の特徴のひとつが朝鮮民族の人権や民族性を強調するものであることがみえてくる。この種の人権教育で授業時間がとられ、福山市内の学校では、文部省で決められた授業時間の八割しか実際の授業は行われていない。

元PTAの役員が言った。 「これこそ、人権に名を借りた子供たちへの逆差別です」。

広島市の主婦も訴える。 「何も知らない母親にとって、人権、平和、民族というのは水戸黄門の印籠のようなものです。全てよいもので疑義を唱えることもできない。もし本当にそれがよいもので、教育によって行き届いているならば、目上目下の区別もなく何かというと権利ばかりを主張する子供たちを作り出す、今のようなひどい学校になっていないはずです。

私たち母親は悪平等を子供に教えてほしいとは思いません。代わって道徳教育を望んでいます」。
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法に不備がある上に司法が正常に機能していない法治国家である我が国では、
この様に悪が善を訴えるという由々しき事態が頻繁に発生します。

著しく公平性に欠き、悪人優位のトンデモ判決を連発する広島高裁を
抱える広島人とすれば、本当に頭の痛い問題です。


義務を放棄して特別な権利を享受することを「平等」とほざき、
犯罪者に課せられる適正な刑罰が減免されることを「人権」とほざき、
悪事や犯罪行為を批判されることを「差別」「ヘイトスピーチ」とほざき、
理不尽で一方的な暴力に抗うことなく甘受することを「平和」とほざく。

この様に人間として大切な概念を歪曲されることを看過していると、
間違いなく人類は滅びます。

犯罪を生業として日本国に寄生する不逞な有害外来種が
一日も早くこの国から完全排除されることを切に願います。
2015年02月14日(Sat) 16:25












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