源田発言「原爆の1つや2つ」被爆者ら反発(1976年)・被爆70年記念シリーズ第1弾

今年は終戦から70年目ということで、昭和時代に参院議員だった源田実氏の発言と、それに対する被爆者団体の動きを取り上げたい。源田氏の評価については賛否両論あるが、政治家は大会などで、つい気が緩んで本音が出てしまうのか、失言は今も昔も変わらないようだ。ただ、源田氏の気持ちも分からなくはない。元軍人として戦った人だから、戦争に負けた弱い日本人を正当化させたくないという気持ちの表れなのかも知れない。源田氏が今も生きていたなら「原発の1つや2つくらい」と言っただろう。以下、朝日(昭和51年)から引用。


源田実

「原爆の1つや2つ落ちても日本は降伏するような民族ではなかった」。東京・永田町の自民党本部で開かれた日本青年協議会などの主催の大会で、広島県出身の源田実参院議員(71=当時)が述べた発言は、被爆地広島で強い怒りを巻き起こしている。とくに被爆者団体は態度を硬化させ、抗議行動を始めた。

源田氏は糾弾国民大会で、日本の敗戦と、天皇の果たした役割に触れ、「日本は負けるには負けたが、軍人としてはとことん戦うつもりだった。原爆の1つや2つ落ちても、戦いは子、孫の代まで引き継ぐ覚悟だった。それが天皇の詔勅でひっくり返り、米軍も驚いたと聞く。それ以来、一発の弾も飛んでなく、皇室なくして今日の日本はあり得ない」などと発言。この後、自主憲法の制定を呼びかけた。

源田発言に対して、3つの原水禁団体の責任者はそれぞれ、以下のように表明した。

「無反省としかいいようがない。広島出身で原爆の悲惨さは知っているはずで、被爆県民として恥ずかしいことだ。過去の誤った軍国主義への道に逆行する発言で、単に不用意な言葉の言い回しとは思えない」(原水禁国民会議代表委員・森滝市郎氏)

「被爆体験を軽視した言葉で許せない。主権在民の新憲法を否定し、天皇制の復活を意図する態度で、猛省を求めたい」(日本原水禁代表委員・佐久間澄氏)

「非常識な人間の、非常識な発言だ。聖断を大事に思いたい源田氏の気持ちはわかるが、原爆の脅威を軽くみて、大したことはないとはっきり考えている態度は重大なことで幻滅している」(核禁広島県民会議議長・村上忠敬氏)

一方、広島の20の地域、職域被爆者団体でつくる広島被爆者団体連絡会議(近藤幸四郎事務局長)は、源田議員に抗議電報を打ち、今後も集会などで抗議行動を起こすことにした。

また、広島大学総合科学部長の今堀誠二氏は、歴史学者の立場から「源田氏は昭和16年の真珠湾奇襲計画を立てた人物で、太平洋戦争という無謀なことをしながら、原爆はその戦争を終結させるために落とされたという反省が全くなく、非常に不見識だ。戦争の終結は手続き的には天皇の聖断だが、聖断がくだる最大の原因は原爆投下だった。8月6日から8月15日が始まったのだ」と批判している。

こうした批判に対し、源田氏の山崎工秘書は「源田氏は一貫して戦争を繰り返してはならない、と主張しており、発言の一部分だけで判断してほしくない。原爆を軽視したり過小評価は決してしてなく、たとえ話として発言したことを理解してほしい」と言っている。
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