非難を浴びる朝日新聞の慰安婦報道と宮澤政権下の河野談話

日韓関係が冷え込んでいる中で、「慰安婦問題は朝日新聞のねつ造だ」という、いわれなき批判が起きているという。しかも元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷されている事態。朝日新聞の読者からは「本当なのか?」「なぜ反論しない?」などと問い合わせが寄せられるようになったという。

今日の朝日新聞の一面では、「過去の記事の一部に誤りがあった」としているが、「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」などと、きれいごとを書いている。

そもそも戦時中の事だから、当然ありうる話であり、戦争は地獄でもある。そんな事をいつまでも根掘り葉掘り書いて報道しているからこんなバカげたことが起きる。まったく時間の無駄で、何の利益にもならない。今の韓国は、いわゆるクレーマーそのものだが、日本社会では度を超すと強要罪にあたる。

今日の記事では「慰安婦問題・どう伝えたか・読者の疑問に答えます」という大きな見出しで始まっている。見開き2ページの特集の中で、「河野談話」または「河野洋平官房長官」という単語が10回出てくるが、「宮澤喜一首相」または「宮澤政権」という単語も7回出現している。

河野談話は宮澤喜一首相(広島選出)時代の産物で、現代の世論からは多くの非難が浴びせられている。この謝罪外交から始まった宮澤内閣は、加藤元官房長官を中心として行われ、後に河野談話に受け継がれる。いったいこの政権は何だったのか。

宮澤喜一首相の訪韓直前の1992年1月12日の朝日新聞の社説「歴史から目をそむけまい」で、「慰安婦は『挺身隊』の名で勧誘、または強制連行された」と表現した。1月16日宮澤首相が訪韓し、盧泰愚大統領との首脳会談で「反省、謝罪という言葉を8回使った」。この時から、日韓関係が悪化し始めたと言われている。

当時の報道をもう少し詳しく見てみると、

【宮澤元総理の日韓首脳会談8回謝罪外交問題】(1992年)
1992年1月17日、宮澤元首相(前・広島7区)がソウルで行われた日韓首脳会談で、従軍慰安婦問題に触れ、「謝罪」「反省」に8回も言及。

宮沢内閣 訪韓

         ↓

韓国国会演説・宮沢首相
韓国国会で演説する宮沢総理


宮澤元首相は、従軍慰安婦の日本軍の関与を認め、「筆舌に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に哀心よりおわびし、反省したい」「過去の一時期、貴国国民が我が国の行為によって耐えがたい苦しみと悲しみを体験させた事実を想起し、反省する気持ちを忘れないようにしなければならない」「朝鮮半島の方々が、耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことに、心から反省の意とおわびの気持ちを表明する」「つらい苦しみえを思うと、胸がつまる思いだ」などと述べた。

なぜ、8回も謝罪する事になったかというと、1992年1月11日、軍が関与を示す資料が防衛庁図書館に従軍慰安婦の関係資料がみつかったと朝日新聞が報道した。政府首脳は「軍の関与は以前から世間の常識だった」との認識だった。

当時、外務省から伝えられていたのは、韓国がまず求めているのは謝罪という情報も伝えられていたため、謝罪によってまずしのげる、との安易な読みもあった。ところが、韓国国民に対して謝罪は全く通用しなかった。韓国の市民団体は「補償」を求めたのだ。そして、1993年8月4日、宮澤内閣の「河野談話」へと発展していく。

政府を足踏みさせた理由は、謝罪の表明が補償問題に発展することへの恐れだった。外務省は91年8月の国会で1965年の日韓請求権協定で、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した」と答弁。しかし、「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」とも付け加えている。

韓国内で戦後処理に対して不満が出てきたのは、盧泰愚政権下で民主化がスタートしてからだ。今回、河野談話を検証する有識者チームが、「韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作していた」と発表した。特に従軍慰安婦の「強制連行」は確認されなかった。

そんな日本国内世論の動きから、朝日新聞が大々的に従軍慰安婦の検証報道をしたようだ。

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