【日の丸・君が代の呪縛再考シリーズ2】子供でも出来ることが大人に出来ない「君が代」の歴史

君が代を歌うことは簡単なことで誰でも出来るはずなのに、なぜ反対し拒否するのか。別に上手に歌えと強制されているわけではない。プロ歌手のように歌えと強制されているわけでもない。きれいな声で歌えと強制されているわけでもない。

あるいは単に、「わがまま」なのか「偏屈」なのか「変人」なのか「いくじなし」なのか「性根なし」なのか「びびり」なのか。それとも、日本民族ピラミッドの底辺をうごめく「準人間たち」なのか。まったく情けない限りである。

そしてできることなら、この事件を誰かに実写化してほしい。昨年、金融業界の問題を舞台にしたドラマが大反響だったようで、これを実写化すれば相当な反響、いや、批判が出そうで非常に興味深い。校長役、広島県教委役、日教組役、部落解放同盟役、自民党官房長官役、首相役などをそれぞれ誰が演じるのか。


「日の丸・君が代」の歴史をみると、「君が代」はもともと古歌であり、それが戦争に利用されただけの話だ。戦争が終われば、「君が代」はもとの姿に戻るだけだ。


1999年3月20日
教育が普及担った
「長年の慣行で日の丸が国旗、君が代が国歌であるという認識が確立し、広く国民の間に定着している」。野中広務官房長官は法制化方針を打ち出した際、国民の空気をこう強調したが、日の丸・君が代はどのような歴史経緯をたどってきたのか。

まずは日の丸。江戸時代から船籍を示す標識として使われていたが、1870年に太政官布告で寸法などが細かく定められた。明治初期、日の丸を掲げるのは船舶のほか、在外公館や開港場所在地の県庁などに限られ、もっぱら対外的な標識だった。

祝祭日に官庁に掲揚することが徹底されたのは大正時代の1924年から。1931年には帝国議会に「大日本帝国国旗法案」が提案され、衆院で可決されたが貴族院で廃案となった。その後も再提出されたが、衆院の解散で再び廃案となり、法制化されなかた。

一方、君が代。1869年、大山巌(のちの陸軍元帥)が、外国では国家元首が臨席する儀式で国歌が演奏されるのにならい、天皇の儀式で演奏する歌が必要だと考えたのが発端。歌詞を和漢朗詠集や古今和歌集の古歌から選定した。

だが、メロディーは現在の旋律とは違った。海軍の軍楽隊教師フェントンが作曲したもので、「酒は飲め飲め」の黒田節に似ていたといわれる。現在の雅楽調の曲は1880年、宮内省雅楽課の林宏守が作った。君が代は1900年の小学校令施工規則で、祝祭日の学校の儀式で職員や児童が合唱することを義務づけられた。

戦後は連合軍の占領下日の丸の掲揚が制限されたが、1985年に告示された学習指導要領で学校現場での日の丸・君が代が復活した。74年には田中角栄首相が法制化の方針を表明。93年に当時野党だった自民党が国旗法案を提出する動きを見せたが、政府が本格的に検討することはなかった。

だが、学習指導要領の改訂のたびに学校現場での指導は強化された。その意味で、日の丸・君が代の普及は、もっぱら教育が担ってきたともいえる。


1633年 朱印船に日の丸が掲げられる

1854年 徳川幕府、日の丸を「日本国総船印」と定める

1869年 薩摩藩砲兵隊長大山巌が古歌「君が代」を国歌に選び、海軍軍楽隊教師のイギリス人フェイトンが作曲

1870年 太政官布告「商船規則」で船舶に掲げるべき国旗として「日の丸」の様式が定められる

1871年 在外公館(ワシントン)に初めて日の丸が掲げられる

1872年 開港場所在地の県庁に日の丸が掲げられる

1880年 宮内省雅楽課の林広守が現在の君が代の楽譜を作成。天長節(明治天皇誕生日)に宮中で初めて演奏される

1900年 小学校令施工規則で紀元節、天長節、1月1日に職員、児童は式を行い、君が代を合唱することを定める(41年の国民学校令施工規則でも踏襲される)

1924年 官庁が祝祭日に国旗を掲揚することを次官会議で決定

1931年 帝国会議に「大日本帝国国旗法案」が議員提出されるが、審議未了で廃案

1945年 連合国軍総司令部(GHQ)は日の丸掲揚を許可制にする

1946年 国民学校令施工規則から君が代合唱の部分が削除される

1949年 GHQ、日の丸掲揚の制限を撤廃

1950年 天野貞祐文相、「祝日には学校や家庭で日の丸掲揚、君が代斉唱することが望ましい」との談話を発表

1958年 文部省が告示した小学校などの学習指導要領で「国民の祝日などに儀式を行う場合には、国旗を掲揚し、君が代を斉唱させることが望ましい」と明記

1961年 政府の公式制度連絡調査会議の「国旗小委員会」「国歌・紋章小委員会」が開かれる。ただ、法制化の検討は見送り

1962年 各省庁が日の丸を毎日掲げることを政府次官会議で申し合わせる

1964年 日経連、経団連など経済5団体、本社・事業所での日の丸掲揚を申し合わせる

1974年 田中角栄首相、日の丸・君が代を法制化する方針を表明。具体的検討は行われず

1975年 日教組、日の丸・君が代の法制化と学校教育への押しつけに反対する統一見解を決定

1977年 学習指導要領の改訂で「君が代斉唱」の表現が「国歌斉唱」に変わる

1989年 新学習指導要領で「入学式、卒業式などにおいて、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明記し、文部省が指導を強化

1990年 文部省が全国の小中学校・高校を対象に卒業式や入学式での日の丸掲揚・君が代斉唱の実施率調査を始める

1993年 自民党の中山正暉代議士らが国旗法案をまとめる

1994年 村山富市首相(社会党委員長)、「日の丸が国旗、君が代が国歌」と国会答弁。社会党も政策を転換し追認

1995年 日教組、文部省との関係改善に伴い「日の丸・君が代反対」を運動方針から棚上げ

1999年 卒業式での君が代の扱いに悩んでいた広島県立世羅高校長が自殺。政府が日の丸・君が代の法制化の検討を始める
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