廿日市市女子高生殺害事件で事件直後に黒い服の男が目撃されていた

11年前、廿日市市で当時17歳の女子高校生が殺害された事件で、事件直後、現場の自宅前で犯人と特徴のよく似た男が目撃されていたという。男の服の腹の部分には、しみが付いていたということで、警察は男が生徒を襲った際の血が付いた状態で逃げたとみて、逃走経路などについて捜査している。

11年前、廿日市市上平良で高校2年生だった北口聡美さん(当時17歳)が自宅で男に刃物で刺されて殺害され、祖母も大けがをした。警察によると、男は身長がおよそ1メートル65センチ、がっちりとした体型に黒いTシャツを着ていて、警察は男の似顔絵を公開して捜査を続けているが、事件は未解決となっている。

その後の捜査で、事件の発生直後の午後3時ごろ、現場の自宅離れの隣にある母屋の前で、黒っぽい服を着て体型の特徴が犯人とよく似た男が、通りがかった車のドライバーに目撃されていたことがわかった。男は母屋を背にして南側の国道の方向を向いて立ち、腹の部分には手のひら大のしみが付いていたという。警察は男が聡美さんを襲った際の血が付いた状態で逃げたとみて逃走経路やその後の足取りについて捜査している。

また、現場の自宅で見つかったスニーカーの足跡と同じ足跡が、現場のすぐ北側の軒下に残っていて、片足でぬれた地面を踏んだ際に付くように、くっきりと残っていたという。事件の6日前の9月29日には、現場に近い広島市の気象台の観測点で1日に61ミリの雨を観測したが、その後、雨はほとんど降らず、当日、現場の地面は乾いていたという。警察は、事件までの5日間ほどの間に男が下見に来ていた疑いがあるとみて、捜査している。(NHK広島)


廿日市市女子高校生殺害事件一斉聞き込み開始


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広島駅前ピストル乱射事件(1952年)

1952年(昭和27年)11月、広島駅前で、ヤクザによるピストル乱射事件があった。1950年代は、第一次広島抗争と呼ばれているが、東映の「仁義なき戦い」が公開されたのが1973年(昭和48年)だから、広島ヤクザ抗争を映画でしか知らない人にとっては生々しいかもしれない。当時の現場では、どのような報道だったのか、抗争の経緯なども交えて紹介してみたい。以下、朝日から引用。


広島駅ピストル乱射
当時の広島駅前の様子


原爆で二十余万の生命を一瞬に奪い、平和都市として再出発した広島が、いま「暴力の恐怖」におののく不安な街と化している。市の中心部に勢力を張る村上組と岡組、二つの土建、テキヤの集団が対立して、凶器をふるい、ピストルを撃ちあっている。このケンカは数年前に始まり、殺したり殺されたり、仕返しに仕返しが続き、血なまぐさい事件を繰り返している。

通行人がピストルの流れ弾で負傷したり、その他の被害も多いが、あとのたたりを恐れて市民は口をつぐんでいる。広島市警特捜本部では、検挙をはじめ、幹部を逮捕したり、逃走中の者を手配したりしているが、まだまだ暴力の根絶には遠いようだ。衆議院法務委員会でも下調査を始め、休会明けには正式にとりあげて「暴力のヒロシマ」を究明する方針だというが、市街戦さながらのピストルの射ち合いにまで発展した暴力団ののさばり方は、いったいどうして生まれたのか。

広島駅付近から広島市東部地区「赤線区域」弥生町一帯にかけて根を張る二つのグループの紛争は、すでに数年、いつ果てるとも知れぬ状態にまで悪化している。紛争は広島市下柳町(現在の薬研掘・銀山町・橋本町)の土建業・岡敏夫と、松原町のテキヤ・村上正明の両者の配下の対立によるもので、終戦以来約30件の傷害事件が発生、昭和27年11月6日、広島駅前のピストル乱射事件を引き起こして以来、ことに激しくなり、この1ヵ月間に16件の刃物、ピストルなどによる殺傷事件を繰り返している。

事件の主なものは、昭和21年12月、村上組の者が岡組の事務所を襲ってピストルを乱射、昭和22年9月、村上組の一人を岡組の者が刺殺、死体を郊外の麦畑に埋めた。昭和23年1月、岡組の者が刺傷され、昭和24年春、岡組は団体等規正令で解散、一時殺し合いは影をひそめた。しかし昭和27年9月、規正令が失効して両組は公然と復活、同月28日夜、岡組の一人が村上組の者に袋だたきにあい、10月、岡組と自称する男が村上組に刺され、つづいて村上組の頭株の者が岡組に射たれて重傷、その2日後、岡組の部下がリンチを受け、10日には岡組の頭株が射たれ、12日、今度は村上組の者が広島駅前でピストルの襲撃を受けた。11月、岡組事務所に村上組の6人が乱入してピストルを乱射、続いて岡組の頭株の入院先で両組が射ち合いを演じ、12月のクリスマスの夜、広島駅前で両組の射ち合いのため、通行人が流れ弾に当って重傷となった。昭和28年1月、両組の者が街頭で遭遇、オート三輪をはさんでピストルの射ち合いをやった。


広島市は呉、岩国両市の駐留軍基地にはさまれ、約五千といわれる「夜の女」の群が呉、広島、岩国の三市に散在している。凶器は彼女たちを通じて朝鮮帰りの兵士から入手するものとみられ、弾丸20発から50発をつけたピストル一丁が新型で八千円から一万円、レンコン型で四千円から五千円で密かに取引されていると当局はみている。

治安当局が最も警戒し、市民が恐れているのは、流れ弾による第三者の被害で、前記クリスマスの夜の犠牲者は弾を背中に受けて2ヵ月の重傷を負った。広島東署は取締りの重点を凶器の押収においているが、押収したのはピストル二丁程度だった。

暴力の背後に市政ボスの介在が一時ウワサされ、昭和27年末、市内に出来た競輪場の警備や利権をめぐって、両組をあやつる利権屋の暗躍がとりざたされたが、事件の本流はやはり暴徒仲間の勢力争いとみる方が強い。

ただし、両組の一味には、警察の厳戒をくぐって相手に脅威を与えるという意味から、ともかく一発、市内でブッ放せば三千円から五千円の賞金がかけられているものともいわれ、その資金の出所に疑惑がもたれているという。

岡組の頭領・岡敏夫は事件の直接触れることを避けて、部下を身辺におかず、単身自宅の二階に昨冬以来、病気療養中だが、相手方の襲撃に備えて巧みに階段の構造を変えているといわれている。

村上組の頭株の一人、二代目・村上三次こと高木達夫は、山口県下の妻の実家で潜伏中との情報で市警特捜班が逮捕した。

もう一人の頭領・村上正明は、神戸を経て四国に逃走中と伝えられる。昨冬以来、一人の死者、五人の負傷者を出し、殺傷容疑者岡組11人、村上組9人となっている。ピストルや刃物を振りまわす両組の青年は30歳以上が大部分で「デイリで他人の世話にならぬ。どこまでも自分たちの手でケリをつける」と豪語、いわゆる「ヤクザ仲間の顔」が抜き差しならぬ状態に追い詰めたものとみられる。


広島市内には連夜、非常警戒が続き、盛り場もさびれ気味。市民の治安当局に対する非難がようやく高まりつつあるが、市公安委員長角氏は、東京で開かれた全国自公連会議に「直接の容疑がない限り、紛争当事者を取締ることが出来ない法の盲点」を問題として提出、市警は市内三署から刑事90人を動員して特捜本部を東署に設け、徹底的検挙に乗り出した。

また、広島県本部も管内の刑事係長会議を招集して協力策を練り、この種事件としては珍しい応援隊20人を市の要請で派遣している。市民の間には「原爆という人命尊厳に対する最大の侮辱を経験した市民が、人命軽視の感覚に慣れて、この事件発生の際、いち早く治安当局を励ますべき世論を沸かせなかった」という反省の声も聞かれる。さらに外国製武器の取締りは、日本側の単独の力では及ばぬ点があり、駐留軍への呉市警の申入れに対する協力を待つほかない困難さがある。

また、昔流の「親分」による完全な統率と組織が、戦後の暴徒仲間に欠けていることも、事件解決を難しくする一因とみられる。

凶器所持を取締る法令が「体刑三年以下罰金五万円以下」という軽さも、法の不備として批判され、団体等規正令にかわるものがないという法の盲点も、市公安委員会は指摘している。

銃砲刀剣類所持等取締法

両組はもともと兄弟分だったが、終戦後の輸送混乱時代に国鉄当局が広島駅付近の警備を岡組に依頼、村上組は当時猛威をふるった第三国人に利用されて岡組にタテをつき、これが宿縁となったといわれ、この種の「町の顔役」に頼らざるを得なかった終戦直後の政治力のブランクが改めて批判されている。

歴史問題にたかる中国・韓国

3月21日、日本、韓国、中国の3カ国外相が、ソウルで会談し、3カ国首脳会談の早期開催に向け努力していくことで一致したという。防災や環境分野での連携強化も確認した。これに先立つ日中、日韓の個別外相会談では、中韓両国が安倍晋三首相による今夏の戦後70年談話の内容に懸念を表明した。

日中韓外相会談は平成24年4月に中国で開いて以来約3年ぶり。就任以来初めて訪韓した岸田文雄外相(広島1区)が中国の王毅外相、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相と向き合った。尹氏は「新たな出発点に立ち、3カ国の協力をさらに具体化していかないといけない」と強調した。岸田氏も「3カ国の交流や協力を一層促進し、未来志向で強化することが重要だ」と述べた。王氏は「歴史問題を善処して3カ国の協力の正しい方向を維持できるよう取り組んでいただきたい」と述べ、日本を念頭に歴史問題で牽制(けんせい)した。

これに先立つ日中外相会談では、テーマが歴史問題に集中し、時間の半分以上が費やされたという。王毅氏は「日本がどのような態度で歴史に向き合うかに注目が集まっている」と指摘。岸田氏は「安倍総理が歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいくと何度も表明している」と反論した。

岸田氏はまた、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺での中国公船の領海侵入を念頭に「日中関係を改善するための機運を高めないといけないが、東シナ海ではそれに反する動きがみられる」と批判した。

日韓外相会談では、21年12月以来開かれていない外交、防衛当局による安全保障対話の早期開催で一致。日韓国交正常化50年を迎えたことを踏まえ、関係改善に向け意思疎通の緊密化も確認した。しかし伊氏が提起した慰安婦問題については平行線をたどった。岸田氏は、産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長の出国禁止が解かれていないことに深刻な懸念を伝えた。(産経)

昨年発行された週刊誌に、日本と韓国を比較した資料が掲載されていたので、以下、参考までに引用しておきたい。データは2012年のもの。

【日・韓対決】


項 目

日 

韓 国

ODA実績(1人あたりの途上国援助)

1兆4806億円(85ドル)米国に次ぐ世界第2

1660億円(27.2ドル)

国連分担金

306億円

55億円

国会議員の平均資産額

3228万円

18200万円

国家予算

92.6兆円

35兆円

社会保障関連予算

291224億円

94890億円

防衛(軍事)予算

49400億円

35000億円

軍隊人数(戦車・戦闘機)

24万人(740台・365機)

64万人(2300台・620機)

国会議員の歳費

2200万円

1400万円

名目GDP

59602億ドル

11292億ドル

対外投資額

1223億ドル

231億ドル

証券取引所時価総額

38870億ドル

11549億ドル

世帯平均年収

548万円

404万円

世帯平均貯蓄額

1658万円

618万円

国際特許出願件数

43660

11848

労働生産性(1時間あたり)

39.9ドル

10.4ドル

国家財政破綻確率

19

25

国際競争力ランキング

9

25

経済自由度ランキング

24

34

住みやすい国ランキング

15

23

平均寿命(男女平均)

83

80

殺人発生率

10万人あたり0.8

10万人あたり2.4

自殺率

10万人あたり21

10万人あたり33.5

美容整形率

1000人あたり5.8

1000人あたり13.7

離婚率

1000組あたり1.9

1000組あたり2.3

時間に正確な空港ランキング

1位(羽田空港)

ランキング外

世界大学ランキング

東京大学23

ソウル大学44

保有運用中の人工衛星数

134

11

歴代の宇宙飛行士の数

9

1

TOEIC点数

平均583

平均622

ノーベル賞獲得数

18

1人(金大中元大統領)

世界遺産登録数

17ヶ所

10ヶ所

夏季オリンピックメダル獲得数

130・126・142

81・82・80

冬季オリンピックメダル獲得数

9・銀13・銅15

23・14・銅8

サッカー代表戦績

142138

382114

歴代メジャーリーガー数

56

14

  


・日本の国連運営費の一部となる国連分担金は306億円と1位の米国につぐ2位
・日本のIMF への拠出額は約5兆円でトップクラスだが、韓国は1兆2500億円 
・韓国は1997年の通貨危機で580億ドル(約6兆円)の援助を受け、デフォルト危機を切り抜けた身であり、IMFを通じて日本が韓国経済の窮地を救ったと言える。
・韓国は、政治の腐敗と汚職が蔓延するいびつな資本主義社会。「作る、育てるない」という文化。

・韓国への直接投資額2012年
日本45.4億ドル、米国36.7憶ドル、EU26.9憶ドル、中国7.3憶ドル、その他46.2億ドル

・韓国の貿易相手国2012年
輸入―中国16%、日本12%、EU10%、米国8%サウジアラビア8%
輸出―中国24%、米国11%、EU9%、日本7%、香港6%

・韓国への観光客数は日本が1位で年間平均300万人(2012年352万人)

日本経済にとって韓国の存在は大きなものではない。GDPに占める韓国との貿易黒字の割合はたったの0.35%(2012年)
断交したとしても、ほとんど影響ないと言われる。

韓国の輸出依存度は48.5%(2012年)で世界トップクラス。これは韓国経済が輸出によって支えられていることを示す。輸出がダメになれば、たちまち経済が立ちゆかなくなる。日本の輸出依存度は13.4%で世界では下位。

韓国の輸入依存度は46%(2012年)

日本から韓国への輸出は年間約5兆円

韓国国内に駐留する米軍は陸軍2万人

広島と韓国との関わりは「平和」だけ。

元極楽とんぼ・山本圭壱が地元広島でライブ開催を発表!

ついに本格始動か?スポーツ報知によると、2006年に淫行騒動を起こし、活動休止していた元極楽とんぼの山本圭壱(本名・圭一=47)が3月20日夜、今月31日に故郷の広島、4月6日に宮崎でお笑いライブを開催することを自身の公式ホームページで発表した。告知によると、広島は「HIROSHIMA BACK BEAT」、宮崎は「MIYAZAKI SR-BOX」が会場で、ともに午後7時開演。1月19日に東京・下北沢駅前劇場で行った復帰ライブと同様、料金については「終演後、山本圭壱がざるを持ってロビーに立ちますので、お客様のご厚意を投銭として反映させて頂けますと望外です」としている。観覧希望者はホームページを通して申し込む形式だという。

http://doraku-musuko.com/


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広島は山本の出身地で、活動休止中は宮崎県内の肉巻きおにぎり店で勤務するなどしていた。1月19日の復帰ライブでは、フィギュアスケートの浅田真央(24)、羽生結弦(20)のものまねなどショートコント6~7本を100人の客に披露。報道陣も殺到したが、公演後は電車から原付きバイクで「逃走」し、姿を消していた。

山本圭一

保険屋「農協」が縮小

農協改革をめぐり、JA広島中央会が組織の効率化を目指して、広島県内に13ある農協を1つに合併することも含めた、新たな改革プランをまとめたことが分かった。JA広島中央会では、去年7月から、農家の所得の向上や生産の増加などを目指して改革プランの策定を進めていて、3月3日の理事会で新たな改革プランをまとめたという。この中では、平成23年にJA広島中央会が示した、県内の13の農協を3つから4つに集約する構想に加えて、1つに合併する案が新たに示されている。県内の農協は、30年前の昭和60年には102あったが、経営の悪化などを受けて統合が進み、現在は13となっている。県単位で農協が1つになった例は、今月1日に発足した「JAしまね」など全国に4例。県内には合わせておよそ42万人の組合員がおり、1つに合併した場合は全国で最大の農協になるという。JA広島中央会では、今後、各農協と議論を重ね、JAの大会が開かれる今年11月までに、いくつの農協に集約するか最終的に決めるという。 (NHK広島)

エノラ・ゲイ副操縦士の手記「おれたちゃ何をやったんだ」・被爆70年記念シリーズ第9弾

広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」(Enola Gay)の乗員たちは、広島市街地の約7割を破壊し尽くす地獄の閃光を眼下に、思わず「おれたちゃ、いったい何をやらかしたんだ」と、機内で叫んでいたという手記の話。

この手記は、エノラ・ゲイの副操縦士、ロバート・ルイス大尉(Robert A. Lewis)が飛行中、ひざの上で書いたメモを、飛行後間もなく報告書をまとめる中でタイプし、まとめたものを広島市の被爆者の一人が、アイルランド在住の作家から買い取ったという。以下、その一部を紹介したい。


ルイス大尉はポール・チベッツ機長(Paul W. Tibbets, Jr.)と共に操縦桿を握った。乗員は12人。1945年8月6日午前2時45分(日本時間、同1時45分)、エノラ・ゲイ号は、 2機と一緒に飛び立った。

「4時20分(同、3時20分)、東の空に有明の月の影が見え始めた。我々の爆弾をジャップ共の上に落として、国に戻れば原爆作戦にかかわったみんなが、ほっとするだろうな」

「7時30分(同、6時30分)、最後のプラグを装てんした。原爆はいまやいつでも投下可能となった。それが、背中の真後ろにあるというのは、なんともいえない奇妙な気分だ」。

硫黄島を過ぎた頃に、広島爆撃の指示が入電する。

機内の動きが慌ただしくなる。レーダー手、航空士、爆撃手が所定の位置に就いた。

9時9分(同、8時9分)、広島が視界に入った。

「完全に無防備な目標に到達するまで4分間あった。フェアビー少佐・爆撃手(Thomas Ferebee)が、自動シンクロ装置(AP)をスタートさせた。投下。次の瞬間、何が一体起きるのか、だれ一人、知るよしもなかった。閃光を見た。その15秒後、機体は2回、極めてはっきりとした衝撃を受けた。私は結果が見て取れるように機の方向を広島へ変えた。そこには疑いもなく、人類が目撃した最大の爆発が起きていた。広島市の9割は煮えくり返る煙と巨大な白い雲の柱で覆われていた」

乗員たちも、機よりも、はるかに高く上る煙の柱を目の前にして、動揺した。「一体、何人のジャップを殺したのだろう。正直言って、説明する言葉さえ探せない。なんてことを、してしまったんだろう。もし私が百年生きるとしても、この数分間を忘れることはないだろう。パーソンズ大佐(原爆取扱責任者=William S.Parsons」を見ながら、なぜみんなと同じように困惑しているのか、と思った。彼は全てを知っていたはずだし、強烈な爆発が起きるのを期待していたはずだのに」

だが、乗員たちは、急速に戦う兵士の顔を取り戻していく。「正直言って、我々がテニアンに帰り着くまでに、ジャップたちは降参するかも知れない、と思った。何しろ投下後1時間半、640キロも離れた所から、高さ1万6千メートルにも達する奇妙な色をした煙のうねりがまだ見えた。たぶん、生き残ったジャップが、そう手間をかけさせずに、爆発の結果を知らせてくれるだろう。機の乗員はみな困惑しながらも、幸せそうだった。帰路、少し昼寝をした」

「広島弁は冷たくて汚い?」週刊ダイヤモンドまでもが本当の事を書いた

週刊ダイヤモンドが特集した「ライバル県はここだ!、県民1万人調査で判明」の中で、気になる記事があった。「広島弁は冷たくて汚いが、岡山弁は温かい」(41歳女性)と岡山県民が言えば、広島県民が「岡山は広島と比べ人間性が悪い」(61歳男性)と言い返す始末だという。しかし、全国紙である週刊ダイヤモンドまでもが、本当の事を書いて出版している。

アンケートは、2月下旬にクロス・マーケティングの協力を得て47都道府県の居住者各200人(男女100人ずつ)計9400人を対象にインターネットによる意識調査委を実施。回答年齢層は20代から60代。

また、「藩民性から気質を読む!」では、広島は岡山には対抗意識を持たれ、福岡を見ている山口には相手にされていない。広島藩は城を築いた毛利氏が追い出され、その後の福島正則も追い出され、豊臣家を見限った浅野家が藩主となった。周辺の藩の米を安く買いたたいて大阪で高く売るという商売上手だったが、保身に精いっぱいで、表だったことを嫌い、領民も「かばちたれ」という人を見下して悪口を言う、悪しき気風があり、周囲の尊敬を得られないという。

週刊ダイヤモンドが、広島県民性について分かり易く証明してしまったようだ。

【合わせて読みたい記事】
広島市民性と広島県民性の歴史探究(見てはいけない広島のタブー)
本当の事が全国にバレた広島セクハラやじ問題「ありのままで逆ギレ」

ウクライナ危機で核兵器の準備をしていたロシア・プーチン大統領

プーチン大統領は、ロシアのクリミア編入から1年となるのに合わせて放送された特別番組に出演した。そのなかで、去年2月にウクライナでロシア寄りのヤヌコビッチ政権が崩壊し、親欧米派が政権を掌握した際、「核兵器の準備をせざるを得なかった」と述べ、欧米との全面対決という事態に備えていたことを明らかにした。そのうえで、ウクライナの政変は「アメリカが操っていた」と指摘した。また、「クリミアは歴史的にもロシアの領土で、ロシア系住民を見捨てることはできなかった」と編入の正当性を強調した。(ANN)


プーチン核

流星ワゴン「ガラの悪い広島弁」本当のことを言うな!

日曜劇場「流星ワゴン」とかいうドラマを、ボーッと見ていたら、上野で出会ってどうのこうの、福山から出てきてどうのこうの、ガラの悪い広島弁でどうのこうの、シャツをまくしたててどうのこうのと言っていたので、つい反応してしまった。ガラの悪い広島弁?なんで本当の事を言うんだ?公共の電波を使って全国に本当の事を言うな!とアピールしたい。


流星ワゴン

原爆投下したB29を撃墜し損ねた日本軍戦闘機?・被爆70年記念シリーズ第8弾

広島、長崎に原子爆弾を積んできたB29に対して、日本軍の戦闘機があわや撃墜一歩手前だったという記事を取り上げたい。この話を打ち明けた人物というのは、B29の一乗組員で操縦士の第五空軍・ウイリアム・ヘインズ曹長。当時、広島市上空に飛来したB29は3機とも4機とも言われているが、不思議なのは、この人物を調べてみたが、広島・長崎に飛来したB29の乗組員の中に名前が見当たらない。当時の記者が、誤って記事にした可能性もある。以下、朝日から引用。


終戦に近いある日、沖縄の基地にいたB29の乗組員から「危険任務の志願者」が募られた。ヘインズは航空士の一人に加わったが、やがてその任務が原爆投下であると聞かされた。この一撃こそは戦争を終結させる「ザ・ラスト・ブロー(最後の一撃)」なのだ。いつまで続くかわからない血の流し合いにピリオドを打つ重大な任務である。一日もはやい平和への使命なのだと思うと、我々は思わず勇みたった。

1945年8月6日午前3時、一人ずつ静かに起こされて飛行機に集合。三機で広島へ。飛行機の中にはぶ厚い綿の上に乗せられて問題の爆弾が不気味に光っていた。だれもが緊張しきってムダ口一つたたかない。

広島上空侵入前に、日本軍の戦闘機が42機現れたが、うち半数が落ちていった。我が方は、上ガイ機銃手が負傷し、最前部にいた私のほおを一弾がかすめた。忘れられないのは、こちらの機体をめがけて突っ込んできた「腹切り機」だ。眼前2、3フィートのところをかすめ、尾部がはげしく火をはきかけると、そのまま落ちていった。


ウイリアム・ヘインズ


広島市への原子爆弾投下任務に参加した機体
・エノラ・ゲイ(原爆リトルボーイ搭載)
・グレート・アーティスト(観測機材搭載)
・ ネセサリー・エヴィル(写真撮影)
・ストレートフラッシュ(広島天候偵察)
・ ジャビット3世(小倉天候偵察)
・ フルハウス(長崎天候偵察)
・トップ・シークレット(硫黄島でエノラ・ゲイのバックアップ機として待機)
※ バックアップ機はビッグ・スティンクであったという資料もある。



エノラゲイ乗組員
機長・操縦士:ポール・ティベッツ(Paul W. Tibbets, Jr.)
副操縦士:ロバート・A・ルイス(Robert A. Lewis)
爆撃手:トーマス・フィヤビー(Thomas Ferebee)
レーダー士:ジェイコブ・ビーザー(Jacob Beser)-長崎の原爆投下にも参加。
航法士:セオドア・ヴァン・カーク (Theodore Van Kirk)
無線通信士:リチャード・H・ネルソン( Richard H. Nelson)
原爆点火装置設定担当:ウィリアム・S・パーソンズ(William S.Parsons)
電気回路制御・計測士:モリス・ジェプソン(Morris R. Jeppson)
後尾機銃手・写真撮影係:ジョージ・R・キャロン(George R. Caron)
胴下機銃手・電気士:ロバート・H・シューマード(Robert H. Shumard)
航空機関士:ワイアット・E・ドゥゼンベリー(Wyatt E. Duzenberry)
レーダー技術士:ジョー・S・スティボリック(Joe S. Stiborik)

グレートアーティスト乗組員
機長:チャールズ・スウィーニー ( Charles W. Sweeney)
操縦士:チャールズ・ドナルド・オルベリー (Charles Donald Albury)
副操縦士:フレッド・オリビ (Fred Olivi)
航法士:ジェームス・バンペルト (James Van Pelt)
爆撃士:レイモンド・カーミット・ビーハン(Raymond "Kermit" Beahan)
無線通信士:エイブ・スピッアー(Abe Spitzer)
航空機関士:ジョン・D・カーレック(John D. Kuharek)
銃座担当士・副航空機関士:レイ・ギャラーガー(Ray Gallagher)
レーダー担当士:エドワード・バックレイ(Edward Buckley)
後部銃座担当士:アルベルト・デハート(Albert Dehart)
ルイス・アルヴァレズ(Luis Alvarez - 物理学者)

ストレートフラッシュ乗組員
機長:クロード・イーザリー (Claude R. Eatherly)
副操縦士:イラ・J・ウェザリー(Ira J. Weatherly)
航法士:フランシス・D・トニーヒル(Francis D. Thornhill)
爆撃士:フランクリン・K・ウェイ(Franklin K. Wey)
無線通信士:パスクアーレ・バルダサロ(Pasquale Baldasaro)
航空機関士:ユージン・S・グレネン(Eugene S. Grennen)
銃座担当士・副航空機関士:ジャック・ビバンズ(Jack Bivans)
レーダー担当士:アルバート・G・バースミアン(Albert G. Barsumian)
後部銃座担当士:ギレン・T・ナイスリー(Gillen T. Nicely)

フルハウス号乗組員
機長:Ralph R. Taylor Jr.
副操縦士:Raymond P. Biel
航法士:Fred A. Hoey
爆撃士:Michael Angelich
航空機関士:Frank M. Briese
無線通信士:Theodore M. Slife
レーダー担当士:Nathaniel T. R. Burgwyn
銃座担当士 兼副航空機関士:Richard B. Anselme
後部銃座担当士:Robert J. Valley