【日の丸・君が代の呪縛再考シリーズ1】五輪フィギュアスケート羽生選手Vs君が代反対論者

今日は広島県立世羅高校の校長が、1999年2月28日に自殺してから15年目となり、このサイトで最初に書いた事件でもある。この広島教育事件をきっかけに「国旗・国歌法」が制定されるのだが、今もなお、相当数の人間がこれに反対している。

子供でもできる「君が代斉唱」が、大の大人である教育者などができない・・・限りなく情けなく、不可解である。「日の丸・君が代の呪縛再考シリーズ」では、この一点に絞り、できない人間を追及し非難することにする。

ところで、最近では、この「日の丸・君が代」について、どんな報道があったのか。

ソチ五輪のさなかの出来事だが、都立高校で行われた入学式や卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかったとして、東京都教育委員会から戒告の処分を受けた教職員7人が、都の人事委員会に処分の取り消しを求める審査を請求した。7人は平成17年から平成18年にかけて都立高校で行われた入学式や卒業式の国歌斉唱の際、起立しなかったとして、東京都教育委員会から減給10分の1、1ヵ月の処分を受けたが、処分を不服として裁判で争っていた。そして、去年9月、「減給処分は重すぎる」とした判決が最高裁判所で確定したため、処分はいったん取り消されたが、都教育委員会は「学校の規律や秩序を保つためには処分が必要だ」として、去年12月、7人に減給よりも軽い戒告の処分を改めて行った。これに対して、7人は「再び処分を行ったのは不当だ」として、13日、都の人事委員会に処分の取り消しを求める審査を請求した。教職員らは記者会見で「8年から9年も前のことで改めて処分を出すことに怒りを感じる。そもそも思想、良心の問題を強制するのはおかしいので、これからも撤回を求めていきたい」と話し、今後、裁判で争うことも視野に入れているという。

君が代反対01

君が代反対04

君が代反対03


それに対して金メダルを授与された羽生選手は、君が代を歌った。

ソチ五輪で日本勢の金メダル第一号に輝いたフィギュアスケート男子の羽生結弦が15日夜(日本時間16日未明)、五輪公園でメダル授与式に出席し、「日本一幸せ」と喜びを表現した。フィギュアの日本男子初となる金メダルを首にかけてもらい、国旗掲揚とともに流れた「君が代」を歌った。メダルの感触を聞かれると「すごく重い。とにかくうれしい」と話し、「君が代が流れて日本代表として誇らしい気持ちになった。日本の人たちと一緒に喜びを分かち合いたい」と顔をほころばせた。

テレビで羽生選手のインタビューを見ていたのだが、金メダルが確定した直後のインタビューで、「国旗、国歌、・・そして仙台のために・・・」と言っていた。

おお・・、よくぞ言った、と感心して見ていた。

しかし、この事をマスコミ等の報道で伝えているものは、ほとんど無いようだ。


フィギュア

羽生選手



昨年12月、知る権利が問題となった「特定秘密保護法案」で、教育研究者の大田尭(95)という人が、朝日新聞で書いていた。(以下一部抜粋)

「戦前の治安維持法の時代を生きてきた。社会が戦争に徐々に引きずり込まれていき、情報がなくなり、ものを考えることを無意識に停止させられていった。いま、そんな時代に近づいているのではと恐れます。1950年代、教科書検定が厳しくなり、歴史学者の家永三郎さんが教科書に広島や本土空襲の写真を載せようとして『暗いからダメ』『無謀な戦争という評価は一方的』と不合格にされた。裁判を起こし、自身も原告側の証言者として30年余り戦ったが、検定はなくせませんでした。与党は『知る権利は守られる』と言うが、口約束はあてにならない。国旗・国歌法で政府は『強制しない』と答弁したが、教師が立って歌わなければ処分されてしまいます・・」


今年2月、高嶋伸欣・琉球大学名誉教授らは、実教出版の高校日本史教科書をめぐり、都教育員会が「使用は不適切」と、都立高校に通知したのは違法だとして、都を相手に損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。この教科書には、国旗掲揚と国歌斉唱をめぐり「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述されており、都教委は、昨年6月、「使用は適切ではない」と議決した。

この「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と書いたのは、加藤公明・東京学芸大特任教授(歴史教育学)である。

余談だが、広島では今年1月、民間登用された尾道市立高須小の元校長が、2003年3月に自殺したことを受け、転任処分となったのは不当として、男性教諭(57)が広島県に、県教委の転任処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審があり、男性の請求を退けた一審広島地裁判決を支持し、控訴を棄却した。


国旗掲揚・国歌斉唱が、思想・良心に反すると勝手に言うなら、「神聖な五輪と日本のメダリストを愚弄し、侮辱する日の丸・君が代反対論者」と、勝手に位置付けることにしよう。

この不可解な「日の丸・君が代」反対論者とは、いったい何者なのか・・・

元広島県教育長「教育県ひろしまは蘇っているのか?」をテーマに講演

2月23日、青少年のための明るい社会づくりに取り組んでいる広島市佐伯区の五日市南中学校区ふれあい活動推進協議会などは、同区楽々園公民館で「ふれあい家庭教育講演会」を開き、元広島県教育長の榎田好一氏が「教育県ひろしまは蘇っているのか?」をテーマに講演したという。

榎田氏は教諭、教頭を経て、文部省(現文部科学省)が同県に是正指導した平成10年当時、県教委でその是正を実践する立場にあり、19年から23年まで県教育長を務めた。

榎田氏は「授業時数が十分に確保されていなかった」などの当時の実態を紹介。特に卒業式の国旗掲揚と国歌斉唱が学習指導要領通りに行われていなかった問題について、「かつては、校長が書く式辞を教職員組合に『これでよいか』と見せていた。国旗・国歌をどう扱っているかが問題だった」と、教職員組合が学校現場を支配していた状況を振り返った。是正指導以降は国旗掲揚率3割程度だったのが10割になった。

また、県教委が学校の仕組みを変え、教員の意識を変える努力を重ねた結果、子供たちの学力は一定程度上がったことを、学力テストデータなどを示して説明。「なぜ短期間に変わることができたか。是正指導前にも、これでいいと思っていない人たちがたくさんいたからだ」と述べた。さらに、今後の課題として、少子化や社会環境の変化で、家庭の教育力が低下している点を指摘した。(産経)


広島の「日の丸・君が代事件」を思い出す。1999年(平成11年)だった。あと数日で、あの忌まわしい日がやってくる。このサイトでもすでに取り上げたが、さらに詳しく「日の丸・君が代」の特集を組みたい。

広島世羅高校の校長自殺事件(1999年)

広島県の公共施設の耐震化率は全国で2年連続最低

学校や公民館など、災害時に自治体の防災拠点となる公共施設の耐震化の状況がまとまった。広島県は全国平均を20%近く下回る64.6%で、全国の都道府県の中で、2年連続で最低だったことが総務省消防庁の調査で分かった。学校の校舎や体育館、公民館など、災害時に自治体の防災拠点となる公共施設について、総務省消防庁は去年3月末の時点の耐震化の状況を取りまとめた。それによると、全国18万8000あまりの公共施設のうち、昭和56年以降の現在の耐震基準を満たしている施設は15万5000あまりで、82.6%の施設で耐震化が進んでいる。しかし、広島県の5162棟の耐震率は64.6%で、全国平均を20%近く下回り、2年連続で全国の都道府県の中で最低だった。耐震率を施設別にみると、社会福祉施設は55.9%、学校の校舎や体育館が68.9%、警察本部や警察署が43.1%などとなっていて、いずれも広島県が全国の都道府県で最低となっている。(NHK広島)

義手をはずしてステージに上がれと言う佐村河内守はマゾ

週刊文春によると、東京のサントリーホールで「交響曲第一番HIROSHIMA」のコンサートがあり、その前座として佐村河内守(50)は、みっくん(13)に「ソナチネ」の演奏をするように提案した。ただし、ステージに登場するときに義手を外して持っていき、聴衆の面前でそれをつけることを条件にした・・・。

また、佐村河内守は施設や病院を訪れるたびに、障がい児と一緒に写真を撮り、それをまるでコレクションのように自宅のリビングに飾っている・・・。


自己の犠牲や苦痛・苦悩・苦難や逆境からの生還が融和と快楽に変わる、これは普通の人間でも持ち合わせている心理だが、度がすぎるとマゾになってしまう。

「義手を外してステージに上がれ」、などと言う佐村河内守は、どうもマゾの気がありそうだ。

例えば、肉体を踏みつけられたり、縛られたり、吊るされたり、刺されたりすることで、脳内麻薬を分泌させ快楽を覚えたりする人がいる。痛みと苦痛を乗り越えることができれば、快楽だけの世界が待っている。苦痛であればあるほど、得られる快楽は大きい。この妄想は、次第にエスカレートしていく。たとえ体内の血を全て抜かれても、ためらいはないという。そして、その果てには永遠なる迷宮(ラビリンス)が迎えてくれる。

待ち受ける世界では、自分自身が主人公となり、無限の空間を自由自在に操れる。そんな魅力的な世界に行くには、今にも張り裂けそうな肉体の痛みを極限まで耐え抜かなければならない。ある意味、地獄とも言えるが、そんな世界を好む人間も実在する。

「怖いもの見たさ」という事がある。

奇形や残虐性のあるものを見たい心理は本来、好奇心から来るものだが、それを見ることにより、自己嫌悪とも言うべき壁がとり払われ、解放へと導いてくれるかも知れない。ストレスを受け続けた不安定な精神状態にある脳は、時には不可解な行動に出てしまうものだ。佐村河内守は、それに加えてビジネスの拠り所として、身体障害者に目を向けた。

コンサート会場のステージ上で、義手をはめ込むという光景は、痛々しく、見たいと思う人は普通いないだろう。しかし、佐村河内守は、あえてその痛ましい人物像を人前に晒すことにより、より多くの同情を買うべく、指示をしたと言える。このような行為を想像するのも一種のマゾに通じるものがあると言える。


昔、子供の頃、母親とバスに乗っていたら、窓の向こうに30歳位の女の人が、両杖をついて歩いていたのを思い出した。よく見たら、両足の太ももから下が全て義足だった。子供の自分には、その義足が不自然のあまりショックで気分が悪くなったことがある。見た瞬間に、その原因となった事故、あるいは病気の様子や、足を切断する手術の光景、そして、その人のこれからの不自由な生きざまをも想像したのだ。だから今でも義手・義足の人からは、目を背けたくなる。とても義手・義足をはずせ、などとは言えない。

中国電力が原発停止の影響で採用人数を2割減らす

中国電力は、原子力発電所の停止が長期化し、経営環境が厳しさを増していることから、来年春の定期採用の人数を、この春に比べておよそ2割減らすことを決めた。中国電力は、島根原子力発電所の運転停止が長期化し、原発を補う火力発電の燃料費が膨らんでいることなどから、グループ全体の今年度の最終的な損益が150億円の赤字となる見通し。このため、コスト削減の一環として来年春の定期採用の人数を抑制することになり、この春の採用見込みの183人からおよそ2割減らして140人にすることを決めた。 職種別の内訳は、総務や営業などの「事務系」をこの春の55人から来年春には30人に、発電所の管理などに携わる「技術系」を128人から110人に減らすという。この春の定期採用も去年の春から2割近く削減されていて、これで2年続けて大幅な採用減となる。(NHK広島)

週刊ポストも佐村河内守に騙されていた

昨年11月に発売された週刊誌「週刊ポスト」に佐村河内守の記事が写真付きで大きく取りあげられていた。一般娯楽大衆雑誌の中のひとつだが、発行部数で言えば、週刊文春、週刊新潮、週刊現代などと張り合っている。

しかし、記事の内容を読み返してみると、これも見事に騙されていたのだ。プロのライターをも簡単に欺いた今回の事件は、それだけ社会的道義責任があと言える。

以下に記事の一部を抜粋してみた。今回の問題が発覚しなければ、なんとなく納得させられてしまいそうだが。


その6畳ほどの部屋を、彼は「穴倉」と呼ぶ。楽譜と大量の薬が置かれた机。小さなランプに灯された淡い光。マンションの暗い一室の白い壁に背中を付け、彼は座禅を組むようにいつも座りこんでいる。

「音が降りてくるのを待つんです。僕の心の空の上には、いつもびっしりと岩のようなノイズの壁があるんです。・・・」

佐村河内守-今年で50歳になる彼は、近年の日本のクラシック界の中で異様なほどの存在感を放つ作曲家である。

35歳の時に極度の難聴によって聴力を失った彼は、凄まじい耳鳴りと発作に耐えながら、長大な交響曲を絶対音感を頼りに書き続けてきた。その作曲の様子はNHKスペシャルを通して紹介されて反響を呼び、交響曲第1番「HIROSHIMA」は18万枚超の売上を記録・・・

幼い頃から母親にピアノを教わり、交響曲の作曲家になることを志した。自らの被爆二世としての生まれを重んじ、「自分がもし何かを描けるのであれば、広島の祈りや闇、闇の中から生まれる光や希望を表現すべきだと思った」と語る。

だが、若き日から続けた作曲の日々は、幾度も倒れそうになるほどの過酷なものだった。実際に彼は倒れながら曲を書いてきた。音楽大学への進学を拒否し、住み込みのアルバイトをしながら譜面を買ってはコンサートに通った。それはベートーベンやモーツアルトといった伝統的な調性音楽を、現代に新たな形で甦らせようとする闘いだった。そのように独学で音楽理論を学ぶ中で、10代の頃から体を蝕み続けていた原因不明の難聴と偏頭痛が悪化。聴力を失って全ろうとなった。

その日、彼は恐怖のあまり部屋に立ちすくみ、それから作曲に使っていた電子ピアノを懸命に叩いたという。だが、音は聞こえなかった。過去に聞いた交響曲を譜面に書き、スコアと見比べて自らの絶対音感を必死に確かめた。音符に間違いはなかった・・・

佐村河内は「HIROSHIMA」を書き始める前、徐々に聴力が失われていることを隠しながら作曲を続け、ゲームソフト「鬼武者」などの劇伴音楽の世界で名を知られるようになった。しかし全ろうとなった後、彼は過去に書いてきた約2万枚の譜面全てを捨てた。

「本当に音を失い、苦しみの中で瞑想して降りてきた音を信じるようになってから、以前に書いた譜面を見て居た堪れない気持ちになったんです」

楽譜を目で追っていると、当時の自分が何を考えていたかが手に取るように分かった。「この個所では人を泣かせよう」「ここでは楽しい気持ちにさせよう」と作為する自分が、そこにはいた。

「虫唾が走りました。多作な作家には憧れがあるけれど、いま降りてくる音を信じて、昔の音に嫌悪するのであれば、寡作の作家でもう構わない。自分が納得できて、本当に自分が納得できて、内側から生まれた音だけを残していこう、と」

「僕はこの10年間、スピーカーに泣きながらへばりついてきたんです。振動から、どうにか何かを感じられないだろうか、って。・・・」

「演奏会で黙って座っているときは、やっぱりとても虚しくて、苦しいです。情けないけれど、それが何度経験しても乗り越えられない。作った俺にはどうして聞こえないんだろうと思うと、そこから逃げ出したくなる」

それでも彼がコンサートに向かうのは、今の自分にはそれを聞きに来る人たちがいる、という強い思いがあるからだった。サントリーホールで「HIROSHIMA」が演奏された際、彼は指揮者に招かれて壇上に上がった。拍手は鳴りやまず、時間が経つとともにさらに高まっていった。その振動を身体に感じるとき、彼はほんの少しだけ救われた気持ちになると後に言った・・・。


佐村河内守 ピアノ

仕事の関係者は知っていた~全聾である事を設定した佐村河内守

2月12日、佐村河内守から、マスコミ宛てに出された謝罪文によると、「三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました・・・」「全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です・・・」という内容だったのだが、週刊文春によると、また違った内容が書かれていた。

以下、記事内容の一部によると、

佐村河内の自伝によると、左耳の聴力を失ったのは30歳で、全聾になったのは、「鬼武者」の音楽の依頼を受けた直後の99年で、35歳の時だった。

2000年頃から佐村河内のマネージャー的存在だった映画監督の栗村実の証言によると、2001年9月13日、栗村の元に佐村河内から「聴力も少しずつ戻り、補聴器使用も効果を表し始めております」などとメールが入ったという。

だが、全聾であることを証明する障害者手帳が横浜市から交付されたのは、それからたった4ヵ月後の02年1月21日である。

さらに当時を知る「鬼武者」の販売元・カプコンの関係者は、「佐村河内が『全聾になった』と宣言して以降も、彼の耳が聞こえていることは、社内では皆が知っている暗黙の了解事項でした。佐村河内は99年4月の『鬼武者』の製作発表の日を境に、「全聾である設定」にしたのですが、製作発表の後も、打ち合わせで音を聞き、『この音が高い、低い』とか言って指示をしていました。スタッフに背後から『佐村河内さ~ん』と呼びかけられた時も、普通に振り向いていました」と語った。

この記事が本当なら、謝罪文も嘘ということになる。従って、「もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました」というセリフも嘘になる。

佐村河内は昔から嘘つき~発掘プロデューサー激白

佐村河内を26年前にロック歌手としてデビューさせようとしたプロデューサーで作曲家の大倉百人(65)が、当時、24歳の佐村河内を都内でレコード関係者を集めてライブを開いて「第二の矢沢永吉」と話題を呼んだが、大倉氏は「すぐ嘘をついていた」と語った。今回の騒動も「彼なら腑に落ちる」と言い切った。

このまま関わっていくと、こっちがヤバくなると感じた。

具体的な嘘の内容については「広島で暴走族のアタマだった、と言っていたけど、不良を装っていただけ。2人のときはおとなしかった。当時の宣伝用プロフィルも空手初段とあったけど、おそらく嘘」と推測する。

嘘を繰り返す佐村河内を信頼できず、同夏に大倉氏から縁を切った。

嘘をつくような気配は当時からあった。

「話していると嘘だと分かり、問い詰めることは何度もあった。突き詰めたらボロが出ましたから」

(サンケイスポーツ)

佐村河内 ロック歌手

親不幸な佐村河内守「私は悪人です」

日本テレビ「真相報道バンキシャ!」によると、渦中の佐村河内守は、高校時代は商業科で演劇部に所属で役者志望。高校時代の同級生によるとパフォーマンス的なことをするのが好きだった。卒業後は、テレビの脇役のちょい役みたいなチンピラ役で出たりしていたという。

番組に佐村河内からメールがあり、「私は悪人です、深く謝罪したい・・・」とあった。時間を置いて、謝罪会見をする予定だという。


訴訟問題も抱えている。

東スポによると、コンサート企画会社の「サモンプロモーション」は、今月から5月まで予定していた全国17公演の中止を発表。17日にチケットの払い戻しを開始するが、すでに5000枚以上が売れている。関係者いわく「会場使用料でも数千万円の赤字が出る」そうで、損失は総額1億円以上にのぼり、同社は損害賠償を検討中だ、との事。

ソチ五輪フィギュアスケート男子代表・高橋大輔(27)のショートプログラム使用曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」などを含む4作品の楽譜をレンタル・販売する音楽出版社も、騒動ですべてが中止となり、数百万円の被害が出る見込み。一部報道では、こちらも損害賠償を検討中という。

CD発売元の「日本コロムビア」も計算が狂った。全CDの出荷停止だけでなく「ソチ五輪で高橋選手が活躍すれば、楽曲が再び脚光を浴びてヒットすると考えていた。それが全部オジャンになった」(同社社員)。そればかりか、同社には購入者から返金を求める電話も殺到している。


親族はどうしているのか

日刊スポーツによると、作曲家・佐村河内守の妻の母が、「娘は早く離婚してほしい」と涙ながらに訴えたという。2人とは、16年間音信不通であることを告白し、同氏の自己中心的な結婚生活や、過去の「ウソつき」エピソードなども明かした。

佐村河内氏の義母にあたる、妻の母が涙した。「早く離婚して、私が生きている間に広島に戻ってきてほしい。心配で死んでしまいそうじゃけん。いつ娘が帰ってきてもいいよう、畳の部屋を洋間にしたんです」。

義母によると、妻は同氏より3歳年上。88年に結婚し、広島から横浜のワンルームマンションに転居した。その後同氏がアルバイトを転々としたり、ロックバンド活動をしているかたわら、妻は子ども服店で働き生計を担った。衝撃事実が明らかになったのは、結婚8年目にハワイ家族旅行に行った時だった。

「娘に『正直に言って。守は結婚後の7年間でいくら稼いだの?』と聞いたら、『20万円です』と。がくぜんとした。娘は過労で点滴を打ちながら働いていたこともあるのに、自分は毎日飲んで、遊びほうけて…」

※遊びほうける(広島弁)⇒遊んでばかりいて、真面目に仕事をしない事。

同氏は結婚直後の88年ごろ、一時芸能プロに所属していたこともあったという。「当時『広島から来た第2の矢沢永吉』みたいに報じられていた。でも通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたら、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。やはりあの子はおかしいと思った」。

同氏が書き、新垣氏に提示していたという18万枚のヒット曲「交響曲1番 HIROSHIMA」の「指示書」についても、「テレビで紙を見てびっくりした。あれは娘の字です」と妻が書いたものと主張した。

娘である妻とは、16年前に親族の葬式で会ったきり連絡がとれない。連絡先も分からない。「15年前、知人から『彼は今、耳が聞こえない』と聞いた時、またうそをつき人をだまそうとしているんだと直感した。守の家にはピアノはなかったし曲を作れる子でもなかった。違う人が作っていると確信していた。いつかバレると思っていた。新垣さんには感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」。

母は再度、涙にくれた。「娘も詐欺罪になってしまうのでしょうか…。守は『自殺する』って言っているらしいけど、娘まで巻き込まないでほしい。帰ってきてほしい…」。

地元の声
住民らによると、ゴーストライター問題が浮上するまでは「地元のヒーロー」状態だったという。地域の町内会役員は8日、「息子さん(佐村河内氏)の名前をメディアで聞くようになった一昨年くらいから、町内会でもたびたび話題にあがっていた。でも、まさかこんなことになるなんて・・・」と話した。

問題発覚後は、町内会で大っぴらに佐村河内氏の話をする人はいなくなったという。実家近くにはプロ野球の阪神新井貴浩(37)良太(30)兄弟の実家もあり、新井の母は「残念です。去年から、近所でも評判になっていました。どこかで歯車が狂ってしまったのでしょうか・・・」とコメントした。

また、前日7日に取材に応じて「早く離婚してほしい」と訴えた佐村河内氏の妻の母は、「(娘が)どうにか無事で帰ってきてほしい・・・」と、あらためて訴えて涙した。妻の母は、8日付日刊スポーツで佐村河内氏の過去も明かした上で心境を告白した。


佐村河内守1

佐村河内守2

神経解剖学は複雑で膨大だから追試験で120人が不合格

このサイトあてに下記記事のメールが来たので紹介したい。「神経解剖学は複雑で膨大」、だから難しい、という事を言っているのだが、本当かどうか全国の医学部の学生に是非聞いてみたい。


広島大医学部の2年生120人が神経解剖学の追試験で全員不合格だったことが2月7日、分かったという。大学側はこの試験結果だけで落第するわけではないとしているが、「全員に補講を行い、学力の向上を図りたい」と頭を抱えている。

大学関係者によると、神経解剖学の試験は5科目あり、そのうちの一つを1月11日に実施。2年生126人が受けたが、合格したのは6人だけだった。その後20日間の猶予があったのに、31日の追試では残らず落ち、担当官は掲示板に反省を促す文面を添えて「不合格」を通知したという。

掲示後、落第を危ぶむ学生らから不安の声が相次ぎ、大学側は「他の科目との総合点で判断するので即留年ではない」とメールで連絡し、対応に追われた。医学部のある幹部は「神経解剖学は複雑で膨大。(今回の)テストは毎年、本試験と追試験で同じような問題が出ていたが、今年は違う問題が出たのではないか」と分析している。
(スポニチ)