安芸消防署の消防士が口座譲渡

今年8月、金融機関の口座を他人に譲り渡す目的で開設し、預金通帳などを騙し取ったとして、安芸消防署の消防士が詐欺の疑いで逮捕された。逮捕されたのは、広島市東区戸坂新町に住む安芸消防署・警防課の消防士、磯辺亮太容疑者(22)。警察によると、磯辺容疑者は2013年8月、広島市中区にある金融機関で、他人に譲り渡す目的で自分名義の口座を開設し、預金通帳とキャッシュカードを騙し取った疑いがもたれている。警察によると、10月4日、磯辺容疑者が「ヤミ金業者から自分あての電話が職場にかかってくる」と警察に相談に訪れ、その際、不正な口座の開設が発覚した。磯辺容疑者は「間違いありません」と、容疑を認めているという。(TSS)

韓国で「ダサソー」商標権認める

10月29日、日本の100円ショップ「ダイソー」(本社:東広島市)の韓国の商標権者が、同国の格安雑貨店「ダサソー」の運営会社などを相手に起こした商標権侵害禁止訴訟で、ソウル西部地裁は原告敗訴の判決を下したことを明らかにした。これにより、韓国内で「ダサソー」の商標が使えるという。同地裁は、「ダサソー」が韓国南東部の慶尚道方言の「全部買って」と発音が近い点に触れ、「二つの商標は、発音や観念が違い、商標権を侵害するとみなすことはできない」と説明した。(聯合ニュース)(時事)

佐伯区美の里で歩行者2人を車ではねた地元の男が「最高!」と叫んで川に逃走

10月29日午前9時45分ころ、広島市佐伯区美の里1の市道で乗用車が歩行者2人をはねて逃走した。はねられた2人の女性は意識不明の重体だという。はねた車は近くの電柱に衝突して止まり、運転していた男は走って逃げたが、まもなく警察に現行犯逮捕された。現場には犯行車両が残っていた。運転していた男は車を乗り捨てて近くの川に逃げたが、まもなく駆けつけた警察官に現行犯逮捕された。男は近くに住む24歳の男だという。(RCC)

広島市佐伯区美の里で、歩いていた女性2人が向かいから来た車にはねられ、廿日市市の中尾洋子さん(69)が頭を強く打って死亡し、45歳の次女が意識不明の重体。車を運転していた大学生・三浦大典容疑者(24)は、電柱に衝突した後、川に降りて逃走したが300mほど離れた場所で警察官に確保され、ひき逃げなどの疑いで現行犯逮捕された。警察官によると電柱にぶつかった車を調べている時に三浦容疑者が戻ってきて「最高」などと叫び川に飛び降りて逃げていったという。(HOME)

三浦容疑者は、被害者をはねたあと、救護することなく車で逃走し、その先にある電柱に激突、そのまま車を乗り捨てて逃走した。その後、再び現場に戻ってきた三浦容疑者に対し、警察官が職務質問しようとしたところ、三浦容疑者は「最高!」と叫んだ。警察官の職務質問を振り切り、ガードレールに手を突き、前転をして川に飛び降りた。そして、300メートルほど逃走したところで、警察官に取り押さえられた。(FNN)

http://www.shudo-u.ac.jp/news/8a217100000komsd.html


佐伯区美の里 事故04

佐伯区美の里事故01

佐伯区美の里事故02

佐伯区美の里事故03

三浦大典容疑者

老朽化する寂しい広島で信号機が落下

10月24日午前1時50分ごろ、広島市西区の商工センター6丁目交差点で、コンクリート製の信号柱が折れ曲がり、信号機が地面に落下した。けが人はなかったという。広島西署によると、折れる様子を目撃したタクシー運転手の男性が110番通報した。信号機は設置から35年が経過していたが、一昨年8月の緊急点検時には異常がなかったという。財務省令で定められている信号機の柱の耐用年数は42年だが、県警は老朽化などが原因とみて調べている。広島県内では9月26日にも広島市西区で信号機の柱が傾き、10月9日には呉市で道路標識が折れた。県警は耐用年数を過ぎた信号機の緊急点検を進めている。(朝日)

復讐代行サイト運営者を名誉毀損容疑で全国初の逮捕~陰湿な広島女たちの戦い

10月23日、「復讐」の依頼を受けて女性に中傷メールを送信したとして、広島県警サイバー犯罪対策課などは、復讐代行サイトを運営する中国籍の翁武剛容疑者(31)=東京都葛飾区奥戸6=を名誉毀損容疑で逮捕した。同容疑者は容疑を否認しているという。県警によると、ネット上で「復讐屋」と言われる業者を摘発するのは全国で初めて。逮捕容疑は、広島県三次市の女(29)と共謀。今年3月1日から19日までに十数回にわたり、同市の建築関係会社のホームページに、女性従業員(25)を中傷する内容のメールを送ったとしている。

県警によると、会社を辞めた女が女性に一方的に恨みを募らせ、インターネットで見つけた翁容疑者のサイトに復讐を依頼。翁容疑者は中国のサーバーを経由して送信元を匿名化するソフトを使い、「(女性が)前の会社で金銭を盗んだ」「社長や専務と愛人関係にある」などとうその内容のメールを会社のホームページにあったアドレス数カ所に送ったという。報酬は30万~40万円だった。女は今年9月、女性を中傷する封書を会社などに郵送したとして県警三次署に名誉毀損容疑で逮捕され、罰金30万円の略式命令を受けた。(毎日)

中国電力安野発電所で強制労働を強いられた中国人遺族が来日

広島県安芸太田町の発電所で、戦時中に強制的に働かされた中国人たちの遺族が来日し、この週末現地を訪れた。現地には、かつて強制労働を強いた建設会社の関係者も訪れ、追悼の式典が営まれた。

強制労働の現場となったのは、中国電力安野発電所だった。安野発電所は全長8キロにも及ぶ導水トンネルがあり、60メートルの落差で水力発電を起こしている。

労働力が不足となった太平洋戦争末期に、中国人360人が強制的に連行され、導水トンネルなどの掘削工事を強いられた。過酷な労働などによって29人が死亡したとされる。  

~当時の状況を地元住民が語る~
当時、食糧は1食、饅頭、握り拳の大きさで1個。非常に食糧がない。住む所も寒い。着る物もない。(地元住民の栗栖薫さん=83)

トロッコを押して隧道に入って砂や砂利を運んでいました。おなかがすいているだろうからイモやおむすびをあげました。(地元住民の谷キヨコさん=89)

中国人の被害者や遺族が、工事を請け負った西松建設を訴えた裁判は9年に及んだ。最高裁は被告の訴えを退けたが、判決の中で被告に対し、「被害救済」への努力を促した。西松建設は社会的な立場を考慮して、2億5000万円の支払いを決断し、両者は2009年に和解した。そして、両者はこのお金を使って合同で和解事業に着手した。

2010年、強制労働者360人全員の名前を刻んだ碑が、加害者、被害者の連名で建てられた。戦時中、強制的に働かされた中国人は全国135事業所で約4万人に及んだという。(RCC)

安野発電所強制労働


5・19 広島安野発電所「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」開催から一部引用

中国人が連行されてきたのは1944年8月のことである。中国人は山東や河北から360人が駆り集められてきた。連行中国人は発電工事用の隧道に沿う形で、取水口の土居、隧道掘削口の香草、津波、発電所の坪野の4か所に収容された。坪野が第1中隊、津波が第3中隊、香草が第2中隊、土居が第4中隊とされ、人数は第1から第3中隊までが100人、第4中隊が60人であった。中国人はこの安野の現場で29人が死亡したが、抵抗して刑務所に送られて原爆死した者、被爆による後遺症で苦しんだ者もいた。

裁判では5人が原告となり、11人の日本人が陳述書を書いて、強制労働の実態などを記した。西松組の下請けの島田組の日本人が棍棒を持って労働させていた。

安野の現場での暴行と侮辱のなかで、中国人に暴行を加えてきた大隊長と第1中隊3班の班長を殺すという抵抗事件が1945年7月13日に起き、11人が広島刑務所に送られ、被爆した。別に逮捕された5人は取り調べを受けるなかで被爆死した。

安野の現場から逃走する中国人もいた。郭克明さんの証言記録によれば、2カ月ほど経った夜、仲間とともに逃走し、広島の町に着いたところで逮捕された。監督たちは指に細い竹を挟んで力一杯に手を握り締めたり、太い棒を敷いて正座させ、火のついた煙草を背中に入れたりした。加計署に連行され、18日間拘留され、厳しい取り調べを受けた。釈放されると、坪野の第1中隊の広場に集められた全中国人の前で太い棍棒で腿を殴られて気絶した。その後見せしめのために広場を引きまわされたという。

安野の現場は、強制移送と奴隷化、暴力と侮辱、逃亡と逮捕、拷問と見せしめ、抵抗と被爆死、帰国後の流転そして家族の離散と、連行された人々や家族の苦しみと悲しみの歴史を物語る。

http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/1205yasno.html

あわせて読みたい「広島刑務所の実態~強制連行中国人証言シリーズ」
http://hiroshima999.blog134.fc2.com/blog-entry-628.html

広島教師2人アフガン殺害事件(2005年)

平成17年8月6日(2005年)にパキスタンへ出発した広島県尾道市の教師2人が行方不明になり、アフガニスタンで殺害された事件。

教師2人とは、尾道市立美木中学校の技術教諭・福正純さん(44)と、英語教諭の長谷川忍さん(30)。2人は8月19日の帰国予定日を1週間すぎても戻らないため、現地の大使館で行方を捜していたが、アフガニスタン南部カンダハル州の砂漠で9月1日夜、パキスタン国境からカンダハルへ向かう幹線道路から6キロ横へそれたダマン地区で、死体となって見つかった。死後、かなりの日数がたっていた。

アフガニスタン・ダマン

遺体は9月2日午後5時半(日本時間10時)ごろ、カブール中心部にある内務省に運びこまれた。同省内でカブールの日本大使館が遺体の確認にあたったが、奥田紀宏・駐アフガン大使は「遺体の損傷が激しく、男女の識別意外は現段階では確認できなかった」と語った。

9月3日、アフガン保健省の医師は、同州で行方不明になっていた2人と「歯形が一致した」と語り、日本外務省もこれを確認した。

2人の頭部には1発ずつ、至近距離から銃で撃たれた跡があり、何者かに射殺されたとみられる。アフガン保健省のエフサルナ・ハレミ法医学研究所長によると、遺体はいずれもTシャツという軽装だった。死後3週間以上たっていた。

パキスタンの国境管理当局者によると、2人は8月8日、パキスタン西部チャマンから陸路でアフガンへ出国した記録が残っているが、アフガン側では入国の記録が確認されていなかった。

アフガニスタンで男女の遺体が見つかったカンダハル州の周辺は、反政府勢力タリバーンの活動が最も盛んで、治安が悪化している地域だった。米国との間で激しい戦闘が断続的に起きていた。関係者は「旅行ができる状況とはほど遠い」などと口をそろえていた。カンダハル州では6月に、州内の町の警察や政府庁舎をタリバーンが一時占拠し、警察署長ら8人を殺害する事件も起きた。

国境から約100キロパキスタン側に入ったクエッタに現地事務所を置く医療NGO「AMDA」によると、カンダハル州周辺では現在もタリバーンの攻撃を受ける可能性があるため、特に外国人が国境を越えてアフガニスタンに入る際には、陸路を使わないのが一般的だ。

国際協力機構(JICA)も、職員がこの地域の国境を陸路で超えることを禁止している。国境線を警備しきれないため、アルカイダなど過激派の移動や武器・麻薬の密輸に使われている。また、アルカイダやタリバーンのほか、追いはぎや強盗も出没するため、アフガニスタンでもっとも治安の悪い地域だという。

平成17年4月まで首都カブールなどで学校建設や井戸掘削を支援していたNPO「ネットワーク『地球村』(本部・大阪市)の羽鹿秀仁さん(42)は、行方不明になっている2人について「どういう情報で国境に近い地域に行ったのか不明だが、この地域を陸路で移動するのは無謀かな、と思う」と話す。

広島県尾道市美木中学校の関係者によると、行方不明の2人はいずれも独身だった。技術教諭の福正純さん(44)は、これまで数回アフガニスタンに行ったことがあり、最近では今年(2005年)1月に訪れたばかり。現地の子供たちの写真を撮り続け、平成16年秋の同校の文化祭では写真展を開催。同僚には「また行ってみたい」と話していたという。

英語教諭の長谷川忍さん(30)も、旅行好きだが、アフガニスタンは今回が初めてだったという。

「2人は洋服の軽装で、女性の方は少し体調が悪そうだった」と、パキスタン西部のアフガニスタン国境の町チャマンにある出入国管理事務所の担当者は、行方不明になっている2人がアフガンに入る時の様子を語った。

同事務所の記録によると、2人が通過したのは8月8日の午後0時半ごろ。前日までに南部カラチから西部クエッタのホテルへ移動していた。クエッタからチャマンまでは車で約3時間の距離だ。アフガン南部の中心都市カンダハルまでは国境から約100キロ。順調に行けば夕方までにたどり着ける。

チャマン入管で2人に応対したアミール担当官は「2人はアフガンに入管した後、カンダハルからバーミヤン、首都カブールを通ってパキスタン北西部トルカムから再びパキスタンに入国すると言っていた」と話していた。

アフガン入国用のビザやパキスタン再入国のためのビザもそろえていた。一帯では住民のほとんどすべてが民族服を着用しているが、2人はジーンズにシャツという外国人らしい格好をしており、リュックサックタイプの荷物を持っていた。女性の方は胃が痛い様子で、アミールさんが薬を勧めたが固辞したという。

アフガン内務省によると、ここには2人の入国記録がなく、足取りはここで途絶えている。

遺体はアフガン南部カンダハル近くのダマン地区で見つかり、一帯に外国人旅行者の通行はほとんど見られず、18日のアフガン議会選挙を控えて治安が悪化していた。武装勢力の犯行声明が出ていないことから、強盗などに巻き込まれた可能性が高いとみられた。

アフガン教諭2人

巨人対広島CS 3タテ(3連敗)を食らう勝てない広島カープ(2013年)

広島野球は弱いのが定番であり、昔のようなスター選手もいないから見る気もしなかったが、今回クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージを運よく勝ち上がったため、CSファイナルステージを久しぶりに第1戦から見てみることにした。

問題は、公式戦でセ・リーグ1位の巨人の勝率が.613に対して広島は.489だ。広島がAクラス入りしたといっても巨人と17ゲーム差だ。もしカープが巨人を下してセ・リーグの優勝チームになった場合、公式戦の意味がなくなる。そして、2013年度のセ・リーグの覇者は?との問いにどう答えるのか。CSという短期戦だけで勝ち抜いたチームを優先させるのか。興業的に成功すれば何でもいいのか。ならばBクラスでも敗者復活戦を行い、Aクラスに再戦でもさせてみるのか。いずれにしてもCSシリーズというのはおかしなシステムだろう。


1戦目は1点差で最終回を迎えたが、ランナーが勢い余ってサードを飛び出し、あっけなくタッチアウト。勝つ試合では、こんなチャンス場面でアウトにはならない。このチャンスを活かせなかったことで、カープのCS勝利はほとんど難しくなったと思った。(3-2で広島の負け)

2戦目は1戦目を引きずったようで、カープのエースが投げたが、打たれて降板した。しかしチャンスはあった。カープ攻撃の場面で満塁になるが、外人が初球の内角高めのボール玉を凡打でアウト。勝つ試合では、この場面で点が入るものだ。その後、カープ打線は初球ばかり打ちに行くが、全くと言っていいほど打てない。試合も単調で惰性気味に終わる。(3-0で広島の負け)

3戦目も何やら初球打ちが目立ち、後半はもうやる気がないのか淡々とゲームをこなすだけ。初球打ちは作戦かも知れないが、見ている方はあっけなくアウトカウントが進むためつまらない。粘って投手の体力を消耗させ、少しでも試合を面白くさせるほうが、まだ見応えがある。(3-1で広島の負け)

試合終了後の原監督の勝利者インタビューで、広島カープを「脅威だ」と持ち上げたが、目の奥では、「広島戦に相当の準備と作戦を用意して臨んだ当然の結果だ」と言わんばかりの自信満々の目が印象的だった。


 広島カープ 1990年以降の順位
1990年2位
1991年優勝
1992年4位
1993年6位
1994年3位
1995年2位
1996年3位
1997年3位
1998年5位
1999年5位
2000年5位
2001年4位
2002年5位
2003年5位
2004年5位
2005年6位
2006年5位
2007年5位
2008年4位
2009年5位
2010年5位
2011年5位
2012年4位
2013年3位



あきらめ顔の元広島カープ選手たち(第2戦目)
元広島カープ

広島県の投資ファンド失敗

10月16日、広島県が創設した投資ファンドの投資先第1号に選ばれた電気検査装置メーカーのオー・エイチ・ティー(OHT)が、従業員の約2割に当たる16人の希望退職の募集を始めたことが分かったという。海外販売が伸び悩んでいるためで、受注に応じた生産体制にスリム化する。全従業員が対象で退職日は11月末。15日に募集を始めており25日で締め切る。応募者には割り増しの退職金を支払い、再就職を支援する。4月末時点の従業員は77人。

同社は2012年4月、県と民間企業が出資した投資ファンドの運営会社「ひろしまイノベーション推進機構」の投資先に選ばれた。約10億円で発行済み株式総数の87.5%をファンドに売却した。資金は、中国など海外に販路を広げる費用や研究開発費に充てている。しかし、世界的な景気低迷で、中国や韓国などで検査装置の販売が苦戦し、2013年4月期の単独売上高は約16億9千万円と前年比2割減、純損益は赤字だった。赤字額は明らかにしていない。14年4月期の売上高も横ばいを予想しており、9月27日から金曜を一斉休業日に充てて生産調整を図っている。

同社は、元社長らによる粉飾決算事件を受け、09年に東京証券取引所マザーズの上場を廃止。その後、江島貴志社長が就任し、ファンドを活用して企業再生に取り組んでいる。江島社長は「海外の市況が想定以上に悪く、身の丈に合った生産体制にする」と説明している。(中国)



【湯崎知事記者会見】(平成24年4月10日)
(株)ひろしまイノベーション推進機構の投資決定について

(中国新聞:質問)
すみません。
冒頭の質問で出ましたOHTの関係なんですが、成長できる企業で、県の考えでも合致したって話なんですが、一方で、粉飾決算の事件で旧経営陣がですね、経営責任を問われたり、あるいは上場を廃止されたりといった過去もあるようなんですが、そういった企業を県が出資した会社が選んだことのそこの部分の考えと、今後、情報公開、情報開示もですね、求められていくのではないかと思うんですが、そいった、もちろんそういうことはないと思いますけども、その辺りに対するチェックみたいなものを県としてどのようにお考えかお聞かせいただければと。

(湯崎知事:答)
ガバナンスという観点はですね、これは別に、OHT、過去不祥事が確かにありますけども、OHTであれ、他の企業であれですね、いずれにしてもしっかりとしていかなければいけない話でありますので、そこは、他の企業と何ら変わりはないかなというふうに思ってます。過去の不祥事というか、粉飾等についてはですね、経営陣一掃して新しくなっておりますので、一掃された経営陣が起こした事件でありますから、そういう意味で現時点でコンプライアンス上の問題はないというふうに理解はしております。

いずれにしても、そういうことがあるということは、とにかくどんな投資先でも問題ですので、そういうことがないようにしっかりと経営の中に入ってですね、ガバナンスを強化しながら、それから成長のためのアクションというのもしっかりと助言をしながら、イノベーション推進機構が、先ほども申し上げたように二人三脚になってですね、この成長を後押しをしていってほしいなというふうに思ってます。

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kishakaiken/kaiken240410.html

原爆投下前に米軍からの予告ビラはあった

原爆投下前に「予告ビラ」というものがあったのか、無かったのか。興味深い記事が出ていたので、引用記載した。

1966年8月6日、被爆21周年原爆慰霊祭の遺族代表に選ばれた中村恭子さん(24)は、ハッキリと覚えていた。3歳のとき、一家を襲い、地域義勇隊員として勤労奉仕に出かける途中の父・伍(ひとし)さん(当時30歳)を奪われた原爆投下直後のことを。

あのとき、ヨチヨチ歩きだった彼女の記憶は鮮明だ。原爆投下2日後に、自宅のあった広島市横川町二丁目の焼け跡を、ただもう、涙とともに掘り返す母の姿。川に浮かんだ遺体をトビ口で引きあげる救助隊員。まぐろのようにずらっと並べられた遺体の山と死臭。救助隊にもらったオニギリをほおばったこと。母とともに焼けたトタンの下で野宿した夜。

すべて今でも彼女のハダと鼻と目が覚えている。3歳児にとっても、それほど強烈な体験だったのだ。

「悪運が強かったのだ」と恭子さんは笑う。というのは、原爆が投下された昭和20年8月6日の前夜の最終バスで、母ヤヨイさんに背負われて広島市外にある父の実家に食糧調達に出かけたため、助かったからだ。「その数日前から、8月6日に新型爆弾を落とすから市民は逃げるように・・という米軍のビラがまかれていたそうです。それを見た母が、あるいは・・・と思って郊外に出かけたのでは・・・」と、恭子さんはヤヨイさん(65)の愛情に感謝する。

残された母と一人娘の歩んだ道はけわしかった。父が洋服仕立業だったためか、いつのころからかヤヨイさんは洋服の行商をはじめた。恭子さんも母とともに洋服のセールスにはげんだ。恭子さんが運転する車に洋服を積んでは、母とともに中国山脈を越え、島根方面へ出かける毎日だった。

「慰霊祭ですか、何だか外から来た人が、わいわい騒ぐだけで、しっくりしません」と恭子さんは批判的のようだ。(週刊朝日)

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【原爆投下は予告されていた】より
芸備銀行の行員・高蔵信子さん(当時20歳)は、「8月5日、広島を大空襲する」という7月末頃からの伝単の噂に恐れおののいた。まだ広島は本格的な爆撃を受けていないので、なおさら恐怖はつのる。それが8月5日になっても何も起こらず、明けて8月6日の朝、芸備銀行で「やっぱりアメリカ軍のデマだったね」と高蔵さんたちが語りあっている最中に閃光が走り、爆風で行員たちは壁に叩きつけられた。

その他、ボイス・オブ・アメリカの予告や、広島文理科大学(現・広島大学)の校舎に駐留していた陸軍通信隊の兵士からの語りなどがある。