嫌われ嫌がられる広島で転出者が増える

8月28日、総務省が発表した人口動態調査で、中国地方5県の人口減少が加速する実態が浮き彫りになったという。少子高齢化に伴う自然減に加え、転出者が転入者を上回る社会減が深刻化。広島は社会減が6364人と都道府県で6番目に多く、前年の2・55倍に増加した。2013年3月末時点の住民基本台帳に基づく5県の日本人の人口は、広島283万6043人、山口143万4337人、岡山192万5697人、島根70万7878人、鳥取58万4602人。減少率は山口の0・77%(1万1136人)が最も高く、全国で8番目。島根も0・73%(5178人)で10番目となり、鳥取0・70%(4113人)、広島0・37%(1万637人)、岡山0・30%(5889人)と続いた。5県はいずれも社会減となった。前年は社会増だった岡山が減少に転じた。社会減が急増した広島県の伊達英一経営戦略部長は「進学や就職による若者の流出に加え、支社や事業所が県外に移転している可能性がある」と分析。「家族が住みやすい地域づくりを進め、転入者を増やしたい」と話している。(中国)

広島のブラック企業~競争社会はブラックを生む

若者を酷使して捨てる「ブラック企業」の被害を防ごうと、厚生労働省は、夜間や休日でも相談を受けつける常設電話窓口をつくる方針を決めたという。2014年度予算の概算要求に関連経費を含めて18億円を盛り込んだ。長時間のノルマや残業に追われ、平日の日中は電話できない若者の声を拾うという。相談内容は労働基準監督署などとも共有し、賃金不払いや違法残業などが疑われるケースでは、企業の立ち入り調査もする。窓口は外部委託にするという。また、厚生労働省は9月を集中月間にし、約4千事業所に立ち入り調査をすると発表した。違法な残業や賃金不払いなどが疑われるケースに加え、「離職率」が極端に高い企業も初めて対象にし、調査するとしている。(朝日)


ブラック企業の定義については線引きが難しい。人によって感じ方が違うからである。特に競争の激しい営業の世界では、社員は昔からボロ雑巾扱いで、売上が上がらないと簡単に切り捨てるものである。競争に勝つために馬車馬のごとく働き、時には社内抗争で人を踏み倒し、倒されていく。営業は仕事の中で多くの人に嫌われ、何度も断られていくが、それに耐えていかなければならないし、生きていく上で仕方のない事だと教えられてきた。平和でみんな仲良く仕事が出来て売上げが上がるなら、何も言うことはないのだが、社会というものはそう甘くない。

そんな経験から、広島市内の会社で実際にあった出来事を取り上げてみたい。どこの会社でもありそうな話かも知れないし、これらの企業はブラックかどうかの判断も難しいが、共通して言えることは、人の出入りが激しく、働き易い会社ではなかった。会社名や業種は、なるべく伏せるようにした。


会社(A)に自称中区出身の上司がいた。この男は家族が居たが、社内ではあまり評判が良くなかった。理由は性格が粘着気質で暗い風貌をしており、会社が休みでも、パフォーマンスのためか、せっせと出社し、度々、社員もそれに付き合わされることがあったからである。休みの日は特に仕事もないから、普通は家族サービスでもすればいいのだが、家に居られない事情でもあるのだろうと、社員たちは言っていた。

この男の口癖であるが、「1つの事を言ったら10の事を理解せえや、毎度、説明させんな」と面倒そうに言っていた。また、業績が上がらない社員に対して、「お前、性格変えーや!」と言っていた。つまり、今の性格では売上が上がらないから性格を変えろと言うのである。

もうひとつ、この男に反論すると「お前、頭、かち割っちゃろーか?」と、丸めがねの奥からニヤけた目をして言っていた。自分に意見する奴は、頭を割ることで解決しようとするのである。

風邪をこじらせて熱が出て休むと、執拗に説教というか、文句を言っていた。「風邪ぐらいで休むなやぁ!お前!」と。また、気に入らない社員の足をよく蹴飛ばしていた。それも社員が仕事の電話をしている最中である。

ある社員が言っていたが、この自称中区の男は「人の話に対しては絶対に、『うん、そうだね』、と同調しない天の邪鬼だ」と言っていた。つまり世間一般的に言うと、ひねくれ者だったのだ。この男には、他にもいろいろ特徴があった。

営業部長は九州の人間だったが、朝から長い説教が得意だった。社員たちは早く仕事に就きたいのだが、この説教でその日の気力・体力の半分を失うのである。あるとき、成績の悪い社員を目掛け、その社員の机の上に置いてある缶コーヒーを逆さにした。「おう?入っとったんか?」と言い、立ち去った。机の上がコーヒーで汚れていた。

新潟出身の男からは、面白いアドバイスをされた。「人を踏み台にしてでも数字を上げんとやっていけんぞ?」「タバコぐらい吸えんと仕事できんぞ?」。つまり、自分がそのやり方で業績を伸ばしてきたから同じようにやれば、営業成績が上がるというのである。しかし、この男は風俗遊びが好きで、出社したとき、よく鼻の下を赤く腫らしていて、注意されていた。

新潟出身の男では、気味の悪い会社役員が居たことを思い出した。この役員はカメラが趣味で、手にはライカを持っていた。会社が休みの日に、写真撮影に付き合わされた。ある場所に来たとき、「ちょっと、そこに座れ」と言い、ポーズを取らされた。この時はさすがに遠慮したのだが、どうしても撮りたいと言うから応じた。それ以来、新潟県民に対して警戒するようになった。

高知出身の男がいたが、この男は女ぐせが悪く、消費者金融などで1000万円の借金をした後、会社を辞めて、取り立てから逃げ帰った。

長崎出身の男も同じく、社内の女や保険で営業に来た女に手を出していたが、数年で会社を辞めた。

愛媛出身の中間管理職は、ソファーで横になり、女子社員に度々肩や腰を揉ませていた。場所は営業部のフロアー奥に仕切られた小さな部屋でやっていた。

この会社は支店も含めて300人ほどの規模で、労働時間は朝8時30分から夜9時30分までで、週1日休みだった。夜9時30分までというのは営業部としての暗黙の了解で決めていた。だから9時30分より早く帰社することは出来ない。たまに、クレームで客が事務所まで来て怒鳴り散らしていた。営業系の会社は残業手当などなく、数字が全てであるから、これはごく当たり前だと思っていた。平均給料は同業界の中では低いほうだった。

自称中区の上司は、社員に対する管理能力が無かったため、後にクビになった。それから数年の後、会社内部で不祥事が何度かあったため、社長が2回代わっていた。


会社(B)に勤めていたある日、調査員と名乗るおばさんが会社を訪ねてきた。「社長居ますか?」と尋ねられたので、社長を呼び、応対してもらった。この調査員と社長のやりとりが、少し聞こえた。聞き耳をたてると、「申告してない!」「問題です!」等と調査員が騒いでいた。社長も忙しかったためか、この調査員と言い合いになり、怒鳴って追い返した。

この会社は、社員の社会保険について面接時の話では3ヵ月間はないと言われたが、結局、1年以上もの間、社会保険を付けてもらえなかったという思い出のある会社だった。この問題で数人の社員が辞めて行った。十数人程度の規模のためか、資金繰りも厳しいだろうから仕方ないと思っていた。


会社(C)では、広○銀行や、もみ○銀行、大○建設等をリストラされた連中が、うごめいていた。ある時、元広○銀行の人間が社内パソコンを使って不倫メールをしていたのを、偶然にも、元もみ○銀行の人間が見つけ、社長に報告したのだ。やがて元広○銀行の人間はクビになり、女性従業員も居づらくなったためか、退職していった。この元もみ○銀行の男は市内に住んでいるのだが、部署を超えて声高らか文句を言う男だった。社内のある人間がこの件について言っていた。「本来は、注意して終わる程度のことなんだが、あの男は、そういう事をして仲間を吊るしあげることで社長から評価されようと考える人間だから、注意しときんさいよ」と言っていた。元広○銀行の人間も脇が甘いとしか言いようがないが、元もみ○銀行の人間は、「してやったり」と喜んだに違いない。

元大○建設の人間は、役員のコネで管理職として入ってきた。社員に対しては生意気そうにゲキを飛ばすが、退職するまでの数年の間、ついに自分で成績を上げることが出来なかった。社員の商談中の顧客も次々と潰していった。早い話が仕事を知らなかったのだ。社内の人間が言っていたが「その人間が居るから良い話が行かないんだぞ、そんな人間を雇っているようでは会社は評価されんぞ」と、市内の別会社の人間から耳打ちされたという。思うに、つくづく社長業というのは裸の王様なんだと認識した時だった。

ある日、東広島で仕事をしていた中年男が、管理職として入ってきた。いつも顔がほのかに赤いため、隠れて酒でも飲んでいるのかと思うほどだった。この男は部下に対してとにかくねちっこく、またしつこく説教するのが得意だった。話がもう終わると思って仕事に就こうとする社員に対して、また小言のように話しかける。話が終わったかと思って振り返って背を向けると、また話しかけて説教を延々とするのである。これに参った若手の役職者が辞めていった。


全国展開する会社(D)に居た時には、社員が営業成績の不振で上司から詰められ、会社のビルから飛び降りたと聞かされた。この会社も数字が全てだから労働時間は関係ない。顧客商売だから、朝5時と言われれば、その時間に行くし、深夜2時と言われれば、その時間に商談をする。当然フレックスなどない。なぜそれでも頑張るのか?成績を上げれば会社から評価され、昇格して給料も上がる。20歳代後半の係長で年収800万円。30歳代の営業課長で900万円、40歳代の営業部長で1100万円だった。しかし、既得権益のある企業ではないため、競争激化のなかで衰退し、銀行管理にもなり、社長も数人代わっていったのである。

ある日、契約のため、上司と共に客宅に訪問したときのことだ。客は中年の夫婦だった。上司は、この契約を確実なものにするため、数日前に客と「今回の契約は、当社と行うことで間違いないですね、他とは絶対に契約はしないという事でよろしいですね」と、念を押し、客は「その通り間違いありません。他に契約するところはありません」と言ったという。

後日、契約書を準備し、客宅へ訪問したとき、「実は、他で契約することにしました、すいませんね・・」と客は言った。上司は仰転し、「あれほど他では契約しないと言ったじゃないですか」などと、客とやり取りをした。
 
問題はここからである。上司は結果を客宅から営業部長に報告しなければならない。上司が携帯電話で契約がキャンセルになったことを報告すると、「何い~?お前、契約できると言ったじゃないか!?」「絶対大丈夫だと言ったじゃないか!?」「どうするんだ?」などと、大声で怒鳴り始めた。携帯電話の声が大きいから、隣にいても良く聞こえた。10分位続いただろうか、ついに上司はこの営業部長の怒鳴り声に耐えきれなかったため、携帯電話から耳を離し、その携帯電話を客の方向へ向けた。

携帯電話からは、執拗に営業部長の怒鳴り声が室内に響いて聞こえる。「きさま~!」「おい!返事しろ!」「どうなってんだ?」等と怒鳴っていた。

上司は客に対して、「この通り私も大変なんですよ、何とか考え直してもらえませんか」と頼んだが、客は絶句し、「はぁ~、大変なんですね~・・・」とため息交じりに言っただけだった。

この上司は会社に戻った後、営業部長から呼び出され、さらに1時間以上も説教を食らっていた。数年後、この上司は退職していった。

この会社(D)での出来事でもうひとつ。ある日、営業部と事務で、社内で食事会をしようと社長が言った。社長の出身は九州の南あたりだ。弁当や飲み物を準備して30人位集まった。最初は和やかな雰囲気で雑談が始まったのだが、30分位経過した時、社長がある社員を名指しして言った。「お前、成績悪いんと違うか?」「何しとるんや?」「みんな頑張って成績を上げとる言うのに!」「お前、ええかげんにしろ!すぐ辞めろ!」などと言い出したため、皆、沈黙し、凍りついていた。名指しされた20歳代の社員は、黙ってうつむいていた。そして数日後、退職した。食事会と称して見せしめのリストラだったようだ。

この会社の社長(A)は、後に親会社から送り込まれた役員(B)と対立し、(A)と(B)は、社員を巻き込み内紛劇を起こすのである。内容は、社長として(A)が相応しいか、(B)が相応しいか、親会社の社長に認めてもらうために、社員全員、社長に推薦したい方に書面に記名・捺印しろと言うのだ。社員の間では、その記名・捺印する場所に行くべきか、行かざるべきか、随分悩んでいた者もいた。また、役職者の中には、将来的にはそちらに付かない方がいい、いや、現社長だからこっちに付いた方がいい、などと数日間、持論を展開していた。本来なら、役員総会、株主総会で決めるものだが、このような茶番劇を真剣に繰り広げていた。

結局、数年後、親会社の社長が交代した事を期に、この(A)と(B)は、会社を追われて行った。


ある日、遠戚の家に、物干し竿を売りに来た人間がいた。20歳位で、広島県内のY高校を卒業したという。今まで使っていた物干し竿も古くなっていたから、取り替えてもいいと思ったという。それで、いくらするのか値段を聞いたところ、片手を広げて、"5"だと言った。5ならいいだろうと思い、古い物干し竿を2本処分してもらい、新しい物干し竿を2本購入した。そして、財布から5千円を取り出して渡そうとしたとき、その男は、「5万円だ」と言ったそうだ。遠戚の人は、話が違うと怒って男に文句を言い、結局、5千円だけ支払って帰ってもらったという。

遠戚の人は、「高校を卒業しても、こんな仕事しかないんかのう」と嘆いていた。

所詮マンガの「はだしのゲン」を盾に右翼の圧力に屈した松江市教委【動画】

広島の被爆者である故・中沢啓治氏が原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の描写が過激であるとして、松江市教委が2012年12月、松江市内の小中学校に、学校図書館での子供の閲覧を制限し、貸し出しもやめるよう要請していたと報道されのが8月17日、閲覧制限の要請の撤回を決めたのが8月26日、10日間で決着がついたようだ。

発端は2012年8月、市内の男性が議会に提出した陳情だった。「ありもしない日本軍の蛮行が掲載されている。このような間違った歴史認識により書かれた本が学校図書室にあることは、子どもたちの『国と郷土を愛する態度の涵養』に悪影響を及ぼす可能性が高いので、即座に撤去することを求める」というもの。

陳情には、旧日本軍が中国大陸で人の首を切ったり、性的暴行を加えたりする場面が添付されていた。陳情した男性はそれ以前に教育委員会を直接訪ね、「はだしのゲン」の撤去を申し入れていた。男性は単独で来たり、仲間とともに複数で来たりした。8月22日に開かれた教育委員会議には、その在特会のメンバーが傍聴に訪れていた。


島根、鳥取は、広島原爆の影響がほとんどないし、特に島根は「竹島の日」を条例で定めており、歴史認識で弱みを見せたくないから市民からの問題提起に一部の松江市教委が快く載った格好だと思ったら、こんなクレーマーに屈したのか。出版前に差し止め交渉を行うなら話は分かるが、すでに全世界で1000万部発行済み。このクレーマーは、この窓口担当者なら文句が言い易すかったのだろう。

マンガ(まんが、漫画)とは、コミック(Comic)であり、その表現内容の多くは、空想・妄想・想像が含まれていると認識しながら読むべきモノだろう。NHKスぺシャル「はだしのゲン 創作の秘密」で放映していたのだが、「はだしのゲン」は、当時、少年ジャンプに連載中だったが、マンガの内容が暗いため、苦戦を強いられていた。読者を引き付けるにはどうしたらいいか、夫婦で模索する日々が続いたという。そこでストーリーを面白くさせるために、新たなキャラクターなどを登場させたりした。

故・中沢さんは、自身の被爆体験と、その怒りを有りのままに漫画という"オブラートに包まれた媒体"を通して、伝えた。問題があると言われる表現内容も、漫画にすると内容も半信半疑で、ゲンという子供がわめき散らしている程度にしか伝わらないし、さほど腹も立たない。しかし、全世界で唯一の被爆国となった日本国ヒロシマの"もの珍しさ"なのか、世界各国のボランティアが、無償でマンガの翻訳を買って出た。まさに功を奏した展開となったと言える。


「戦争論」を置けと強要する動画の男と窓口対応者。




はだしのゲン 松江市教委 クレーマー

中国地方5県の学生の核武装意識が上昇

8月23日、創価学会中国学生平和委員会は、中国地方5県の大学生や専門学校生を対象にした今年の平和意識調査の結果を発表したという。核兵器の存在を「いかなる場合も認めない」と答えたのは63%で、3年連続で低下した。今年で調査は18回目。4~5月に対面方式で計13項目を尋ね、1035人から回答を得た。核兵器の存在について、「いかなる場合も認めない」は63%で前年に比べて1ポイント減った。初めて調査項目に設定した2010年は72%、その後の3年間で9ポイント下がった。一方で、「自衛のための最終手段として認める」とする割合は29%に上り、10年比で8ポイント上昇した。米国による広島、長崎への原爆投下を「許せない」としたのは48%。3年連続で半数を割った。(中国)

広島県出身者の上場企業の社長が犯した盗撮事件(2012年・日本IBM)

2012年8月22日午前8時頃、日本IBM(東京都中央区)最高顧問の大歳卓麻元社長(63=広島県出身)が、東京都新宿区のJR中央本線「四ツ谷駅」構内で、上りエスカレーターの前に立つ女性のスカート内を携帯型音楽プレーヤー「iPod nano」の動画撮影機能を使用して盗撮した疑いで、東京都迷惑防止条例違反容疑で四谷警察署の事情聴取を受けた。

連行された交番で、警官が大歳氏の「iPod nano」(録画機能付きプレーヤー)を再生すると、スカート内の盗撮動画が残されていた。これが証拠となり、大歳氏は「撮ったのは間違いない。盗撮に興味があった」と自白して容疑を認めたという。

逃亡の恐れがないことや、盗撮された女性から被害届が出ていないことから同日中に釈放され、11月28日、東京簡裁から罰金30万円の略式命令を受けた。

300万円で職員として採用しちゃるけぇと三原市議会前議長

三原市の職員採用試験で、知り合いから依頼されて受験者を採用するよう働きかけた見返りに現金を受け取った疑いで、前の議長が逮捕された。逮捕されたのは、三原市議会前議長の白須均容疑者。発表によると白須容疑者は、2011年度に行われた三原市の職員採用試験で、知り合いで会社役員の高田敏明容疑者から依頼され、受験者1人を採用するよう市の職員に働きかけた見返りに、現金300万円を受け取った疑いがもたれているという。受験者は実際に職員として採用されているという。白須容疑者は、2011年の5月から三原市議会の議長を務めていたが、今年4月の市議会議員選挙には出馬せず、引退していた。あっせん利得処罰法違反の疑いで逮捕された白須均容疑者と高田敏明容疑者は、「間違いありません」と容疑を認めているという。白須容疑者は、2011年度の11月中旬に高田容疑者から口利きの依頼を受けた疑いがもたれているが、三原市によると、この期間に行われていた採用試験には、一般事務職で101人が受験して合格者は9人で、倍率は11.2倍だったという。(RCC)

三原市議あっせん


10月23日、三原市の職員採用をめぐり、口利きをした見返りに知人から現金を受け取った三原市議会の元議長に対し、広島地方裁判所は、執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。判決によると、三原市議会の元議長白須均被告は、おととし、市の職員採用試験が実施された際、知人の高田敏明被告の依頼で受験者1人を採用するよう市の職員に働きかけ、見返りに現金300万円を受け取った。広島地裁の井野憲司裁判官は、白須被告の犯行を 「地方自治体の施策全般に対する社会的信頼を害した」と指摘。その一方で、反省の態度を示しているとして、懲役1年6か月執行猶予4年、それに追徴金200万円を言い渡した。また、高田被告には懲役10か月、執行猶予3年を言い渡した。(RCC)

第68回平和記念式典と平和宣言(2013年)

8月6日、広島市の平和記念公園では平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ、被爆者や各都道府県の遺族代表、安倍首相、市民ら約5万人が犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにした。午前8時からの式典には、海外から70か国と欧州連合(EU)代表部の代表も出席。核保有大国では米、英、仏、露が大使らを送り、米国のルース大使は2010年以来、3度目の参列となった。

また、映画「プラトーン」や「JFK」で知られるアメリカの映画監督、オリバー・ストーン氏(William Oliver Stone)が参列したという。

この1年の間に死亡が確認された被爆者5859人の名前を書き加えた死没者名簿が原爆死没者慰霊碑に納められ、名簿は計104冊、死没者数は28万6818人となった。3月末現在の被爆者は全国で20万1779人。前年同期から9051人減った。平均年齢は78.8歳となり、前年より0.7歳上がった。


【平和宣言】

あの日から、68年目の朝が巡ってきました。

1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾により、その全てを消し去られた家族がいます。

「無事、男の子を出産して、家族でみんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂。無情にも喜びと希望が新しい命とともに一瞬にして消え去ってしまいました」

幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。

苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ、家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていて良かったと思うことは一度もなかった」と、長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消え去ることはありません。

生後8ヵ月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。

その女性は、結婚はしたものの1ヵ月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に、「あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出ていけー!」と、離婚させられました。

放射線の恐怖は時に人間の醜さや残忍さを引き出し、いわれのない風評によって結婚や就職、出産という人生の節目節目で多くの被爆者を苦しめてきました。

無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、「絶対悪」です。

原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。

辛く厳しい環境の中で被爆者は怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤し続けてきました。

後障害に苦しみ、「健康が欲しい」、「人並みの健康をください」と、何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、「他の誰も私のような残酷な目にあわせてはらない」と、考えるようになってきました。

被爆当時14歳の男性は訴えます。

「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば、戦争を避けることは決して夢ではない」

被爆者は、平均年齢が78歳を超えた今も平和への思いを訴え続け、世界の人々がその思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。

私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに答え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。

そのために広島市は、平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して2020年までの核兵廃絶を目指し、核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。

世界の為政者の皆さん、いつまで疑心暗鬼に陥っているのですか。

威嚇によって国の安全を守り続けることが出来ると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず、人類の未来を見据えて信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。

広島は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。

また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。

今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオバマ大統領は、核兵器の追加削減交渉をロシアに呼びかけ、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。

広島は、日本政府が核兵器廃絶を目指す国々との連携を強化することを求めます。

そして、来年春に広島で開催される軍縮不拡散イニシアチブ外相会合においてはNPT体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。

また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態に応じた支援策の充実や、黒い雨降雨地域の拡大を引き続き要請します。

この夏も東日本では、大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。

復興の困難を知る広島市民は、被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。

そして日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。

私たちは改めてここに68年間の先人の努力に思いを致し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向けて、力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。

平成25年8月6日 広島市長 松井一實

第26回平和記念式典で初の首相出席で騒然(1971年)

1971年(昭和46年)8月6日、第26回を迎えた平和記念式典は、首相が初めて出席した年である。しかし、そこでは様々な波乱があった。

この日は朝から雨が降り、式典に出席した人々は傘をさして参列していた。礼拝の曲が流れ、遺族や市長などが献花を行っていた時のことである。佐藤首相(当時)の番が来た時、ひとりの少女が突然、「あんたなんか帰って!」と、叫びながら飛び出し、首相の背後に駆け寄った。首相の顔に緊張の色が走ったが、少女はすぐに引き戻され、静寂にかえった。

また、数人の若い男女が式場に乱入し、公園西側の木立で突然「パン!パン!」と、爆竹が破裂した。紫の煙が会場に流れ、参列者の間に動揺が起きた。

広島平和記念公園の周辺では、式場へ向かうデモ隊の数々があった。相生橋、元安橋、本川橋、平和大橋、西平和大橋と、要路の5つの橋を警備する機動隊が進行を阻もうとし、小競り合いが繰り返えされた。


佐藤首相・平和記念式典


【終戦27年目にして初めて両陛下が原爆慰霊碑ご参拝】
この年の4月26日、天皇、皇后両陛下が初めて広島市の原爆慰霊碑に参拝され、黙とうを捧げて犠牲者の冥福を祈られた。続いて原爆養護ホームを尋ねられ、身寄りのない被爆者の老人にいたわりのお言葉をかけられた。

一瞬にして、20万人余の生命が失われた広島への原爆投下は、天皇陛下の「終戦の聖断」に決定的な影響をもったと言われ、慰霊碑への参拝は陛下の念願でもあった。それがようやく実現した。

広島平和記念公園には、被爆者を含む約3万3000人の市民が天皇・皇后両陛下を迎えた。


天皇・平和記念公園


【天皇ご訪問に反対の集会】
天皇、皇后両陛下の広島訪問をめぐり、「被爆者青年同盟」「広島部落解放研究会連合」「広島青年アジア研究会」の3団体連絡会議(土屋稔代表)が計画していた「天皇来広糾弾広島県民集会」を、広島平和記念会館で開く問題をめぐって、糾弾デモを一部認めた広島地裁の決定について、佐藤首相(当時)は異議申し立てをした。これは、広島県公安委員会の要請によるもので、「デモが認められると奉迎者との間に混乱が予想され、公共の秩序に大きな影響がある」とした。これにより広島地裁はさきの決定を取り消し、糾弾デモは出来なくなった。


【天皇ご訪問で広島大学学生らが批判集会】
天皇皇后両陛下が広島入りされた15日、「被爆者青年同盟」「広島部落研究会連合」「広島青年アジア研究会」の三団体連絡会議や広大全共闘学生は早朝から広島駅前、紙屋町交差点、広大本部正門前などでビラをまき、「天皇来広糾弾闘争」参加を呼びかけた。

同日午後、広大大学会館で全共闘主催の「天皇来広全学大公演集会」が開かれ、学生約250人が参加した。革共同の陶山健一政治局員は、「70年代と天皇制」について講演、「天皇の慰霊碑参拝」は、被爆者問題を圧殺し、アジア再侵略へ向ける国家総動員体制をもくろむものだ」と言った。