広島県安浦町の教師が教え子の小学校6年生女子を絞殺(1990年)

1990年3月26日 広島県豊田郡安浦町の小学校の教師(38)が、6年生女子を自宅から車で連れ出し絞殺した。1989年9月からこの生徒に猥褻行為を繰り返しており、他の生徒がえこひいきを非難するため、猥褻行為最中の声を録音したテープを持っていたため、教育委員会に追及されて1990年3月24日に辞表を出していた。「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」と自供。妻と2人の子供がいる。広島地裁で懲役13年が確定している。県と町は2千3百4万円の損害賠償判決。


【ワイセツ行為を繰り返したハレンチとヒイキ教師】
「私は音楽という科目だけは、苦手科目」「こんな私に楽器をいろいろと教えて下さったのは河内先生でした」「私が音楽好きになったのは、担任の河内先生が好きだったからだと、思いました」と、3月23日、町立安登小学校を卒業した川畑宏美さん(12)は、卒業文集の中でこう書いている。

だが、3月26日、彼女は絞殺死体となって発見された。犯人は宏美さんが慕っていた担任の河内武志教諭(38)だった。河内容疑者が安登小学校に赴任したのは昭和62年。それ以来、彼は3年間、宏美さんの小4から小6の担任だった。そして「やる気満々の熱血先生」として、学校、PTAの受けも良かったという。

しかし、生徒たちの間では次第に評判が悪くなるのである。「突然怒りだす、怖い先生」「女の子にはかなり優しい。ひいきばかりする」など。その女生徒に優しい河内容疑者が特に目をかけていたのが、宏美さんだった。「宏美ちゃんが休むと機嫌が悪くなる」と児童から言われるほどだった。

宏美さんは、背が高い可愛い少女で、学級委員を務めスポーツも得意というクラスの人気者だった。その彼女に河内容疑者はタダならぬ思いを寄せていたのである。昨年(1989年)9月頃から、河内容疑者が宏美さんにワイセツ行為を繰り返しているとう噂が広まった。この噂が広島県教育委員会に伝わったのが3月22日。翌23日の卒業式の当日、安浦町教育委員会はやっと河内容疑者から事情聴取をした。

彼は、「数回、胸に触ったりキスしたりした」と自分のハレンチ行為を認めた。このため町教委は、河内容疑者に翌日からの自宅謹慎を言い渡した。しかし26日、彼はワゴン車で宏美ちゃんの家に乗りつけ、彼女を連れ出すと、無残にも車の中で首を絞めて殺したのである。

「イタズラがバレたので彼女を殺し自分も死のうと思った」(河内容疑者の供述)

渡辺恒久校長は、宏美さんの両親に河内容疑者の悪癖を何も話していなかった。「学校からは何の連絡もなかった。事件当日の朝、宏美から勤め先に『河内先生に呼び出されている』という電話が何度かかかってきた。そんな先生だと知っていれば・・」と、母親のせい子さん(39)は怒りを通り越して半ば放心状態だ。校長は「本当に申し訳ありません」と、ただ頭を下げるばかり。一方、町教委の山根昭三教育長も、「何度か校長が連絡したがお留守だった」と、言い訳めいたことを言っていた。(FRIDAY)


安登小学校


安登小学校6年生 川畑さん 
川畑さん


安登小学校教諭 河内容疑者
河内容疑者

広島マツダ社員 自殺していた(2007年)

2007年4月 自動車大手マツダの本社(広島県府中町)で勤務していた男性社員(25)が、うつ病になって自殺したのは過労が原因として、広島中央労働基準監督署が労災認定していた。男性の両親の代理人弁護士によると、男性はエンジン用フィルターのバイヤーだったが、07年3月にうつ病を発症し、翌4月に首をつって自殺した。弁護士によると、両親は「労災が認められたことはよかったが(それによって)息子がそれだけつらい仕事をしていたと分かり、息子のつらさをあらためて感じている」と話したという。兵庫県に住む両親は昨年5月、マツダが安全配慮義務を怠ったとして約1億1000万円の損害賠償を求め神戸地裁姫路支部に提訴した。マツダは「訴訟中の案件なのでコメントは差し控える」としている。(共同通信)


【パワハラと残業が自殺要因でマツダに賠償命令】
2011年2月28日読売新聞

2007年に大手自動車メーカー「マツダ」(広島県府中町)の社員だった男性(当時25歳)がうつ病になり、自殺したのは、長時間労働や上司のパワーハラスメント(職権による人権侵害)が原因として、兵庫県内に住む男性の両親が同社に慰謝料など約1億1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2月28日、神戸地裁姫路支部であった。中村隆次裁判長は「会社は、男性が心身の健康を損なう原因となった過重な労働実態について認識できたのに、適切なサポートをするなどの対応を怠った。自殺は業務に起因するものだ」として、同社に約6400万円の支払いを命じた。判決によると、男性は2006年11月~07年4月、エンジン用部品の購買業務を担当。上司からは「残業は業務効率が悪いからだ」と叱責され、仕事を持ち帰ることもあった。男性はうつ病になり、07年4月に社宅で自殺した。自宅での仕事も含めると、残業時間は月80時間を超えていた。広島中央労働基準監督署は09年1月、業務に基づく強いストレスなどで発病、自殺したとして労災を認定した。原告側は、自宅での時間外労働も加えると基準を超え、男性が発病しても、マツダ側は業務への支援をせずに過重な労働を強いており、自殺は予見できたと主張。マツダ側は、男性を支援しており、自殺は業務と無関係と主張していたという。


福山市内の中学校の生徒がスーパーやコンビニ店などから店への立ち入りを拒否される

福山市内の公立中学校の生徒が学区内にあるスーパーやコンビニ店などから店への立ち入りを拒否されていることが判明。この学校の生徒による万引きが主な原因らしい。生徒への入店や、販売を拒否している店舗は中学校の学区内にあるスーパーやコンビニ店、ドラッグストアなど7店。このうち、3つの店は制服で来店した生徒への販売を拒否している。万引き被害にあった店長の話しによると、4、5人で店を訪れた生徒が、万引きする生徒を囲んで店員や防犯カメラから見えないように犯行に及ぶこともあったという。また、別の店では万引きを注意したところ、反抗的な態度をとる生徒もいて恐怖感を感じることもあったという。昨年度、1年間で10件の万引きの報告があったこの中学校では今年度は4月からのおよそ2ヵ月半ですでに8件、万引きの報告を受けているようだ。

教え子に強姦46件!竹原市立中通小学校の元教諭に対し懲役30年(2009年)

2009年9月 教え子の多数の女児に性的暴行を繰り返していたなどとして、強姦(ごうかん)、同未遂、強制わいせつ、児童福祉法違反の罪に問われた広島県三原市中之町3丁目、広島県の元竹原市立中通小学校教諭、森田直樹被告(43)の判決が広島地裁であり、奥田哲也裁判長は求刑通り懲役30年を言い渡した事件。

森田被告は、2001年11月~06年7月の間、勤務先の小学校舎内や自家用車内で、教え子の女児計10人に対し、性的暴行を加えたり、女児に服を脱がせ、その様子をビデオカメラで撮影したりするなどのわいせつ行為を繰り返したとして、強姦罪46件、強姦未遂罪11件、強制わいせつ罪13、児童福祉法違反罪13件で起訴されていた。

検察側はこれまでの公判で、森田被告は女児に、行為を口外すれば「勉強やスポーツを教えない」「写真をばらまく」などと脅迫したと指摘していた。さらに、行動を不審に思った校長や市教委から指導を受けた後も、犯行を繰り返した点を挙げ、再犯可能性の高さも主張。「教師という立場を最大限利用した前代未聞の犯行」として、各罪の併合罪で最高刑に当たる懲役30年を求刑していた。

公判ではこのほか、森田被告が検察の調べに「教諭になってから27人の女児にわいせつな行為をした」と供述したことや、被害女児の母親の意見陳述で、女児が事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、リストカットするようになった被害状況も明らかにされた。


森田は妻の実家で妻の両親と小学生の子どもと暮していた。奥さんは中学教師、その両親も教師で義父は小学校校長を務め人権運動にも熱心に参加している。森田はふだんは愛想がよく子煩悩。

森田は授業中、頻繁にデジカメで女児たちの写真を撮影したり、ひいきの女子にはベッタリ。休み時間に膝の上に座らせて話したりしていたという。

「女児はよくひざの上に甘えて乗ってきた。体に手が当たっても嫌がらず、触っていいかと聞くといいと言われた」それが教諭になって2年目からわいせつ行為を始めた。

森田被告は被害女児に「言うとおりにせんかったら、勉強を教えない、無視する」などと口止めし、実際に授業中に無視する態度をとったという。

三原市内の小学校舎で教え子の女児の服を脱がせるなどし その様子をビデオカメラで撮影したり 校舎内で同じ女児に性的暴行を加えようとし 約10分後には 別の女児に性的暴行を加え、その様子を撮影した。

森田被告は被害女児に「ばらしたら写真をばらまく」などと口止めしたり、強姦現場を別の女児2人に撮影させたりしていたようだ。家宅捜索で自宅のパソコンから女児の裸を写した画像を多数押収されている。


竹原市立中通小学校



広島 森田



広島 森田

 

広島マツダ宇品工場、元派遣社員が車で暴走

平成22年6月22日 マツダ宇品工場(広島市南区)で、自称派遣社員運転の車に従業員らが次々とはねられ、1人が死亡、10人が負傷したという。殺人未遂などの容疑で現行犯逮捕されたのは、広島市安佐南区上安2丁目の引寺(ひきじ)利明容疑者(42)。広島県警によると、引寺利明容疑者は逃走した府中町の山中で、自ら110番し、駆け付けた警察官に逮捕された。引寺利明容疑者は「精神的にむしゃくしゃして人をはねた。殺すつもりだった」「工場で車を止めて包丁を振り回してやろうと思った」「4月に解雇された。会社に恨みがあった」と供述している。マツダによると、引寺利明容疑者は同社の元期間社員。今年3月25日に入社し、4月1日にプラスチック課に配属、同14日に退社した。実質勤務は8日で、退職理由は一身上の都合。実働したのはわずか8日間で、職場でトラブルを起こすこともなかったという。

マツダによると、同社の国内工場に勤務する非正規従業員は「期間社員」として、昨年7月以降、6カ月契約で直接雇用。その後は会社の業績や本人の能力に合わせ、半年ごとに契約を見直し、最長3年間働くことができるという。非正規従業員は、4月時点で約260人。平成20年11月には約2200人いたが、業績悪化に伴い21年7月には90人に激減。その後、業績の持ち直しなどから採用数を増やしていた。

一方、元派遣社員らが地位確認訴訟を起こすなど、労使関係をめぐるトラブルが相次いでいた。昨年6月には、同社が直接雇用義務が生じる法定期間(連続3年)を超えないよう派遣労働者を期間社員として一時的に直接雇用し、再び派遣として受け入れる方法を繰り返したとして、広島労働局が労働者派遣法違反の疑いがあるとして文書指導したことも明らかになった。

20年秋のリーマン・ショックに端を発した世界的な自動車不況の影響により、マツダの業績は競合他社以上に厳しい状況に置かれているようだ。宇品工場の看板車種である「RX-8」は、売れ行きが伸びず、欧州での販売終了が決まっている。

マツダ宇品工場1

広島マツダ宇品工場

マツダ本社

マツダ宇品工場3

マツダ宇品工場4


【関連記事】
広島マツダ社員自殺していた(2007年)

広島世羅高校の校長自殺事件(1999年)

全国的に有名な学校教育界の事件といえば、広島県立世羅高校の石川敏浩校長(当時58)が、県教職員組合から卒業式における国旗・国歌の実施に激しく反対され、平成11年2月28日に自殺したことだろう。そして、この事件が契機となり、同年8月、国旗・国歌法が成立した。

事件の背景には、「部落解放同盟」による偏向教育の教育現場への異常な押し付けと、その偏向教育是正の課題を「日の丸・君が代」の教育現場への権力的な押し付けにすり替えたものであった。

当時の世羅高校に勤務していた教員の氏名・住所を是非公開したいもんだ。以下は日刊ゲンダイ(日教組の暗部)で分りやすくまとめてあったので、引用掲載した。


当時、遺書はなかったが、車の中から手書きのメモが発見された。「何が正しいのか判らない。管理能力がないことかもしれないが、自分の選ぶ道が何処にもない」

この悲劇をもたらしたのは、広島県の教育界を支配する異常な抑圧された空気だった。石川校長の自殺後、広島県教育委員会は、調査報告書を作成した。石川校長は、前任校時代から日本教職員組合(日教組)傘下の広島県教職員組合(広教祖)や他団体から圧力を受けていた。

石川校長は前任校で、ある教師を教頭に推薦した際、同校の組合分会の了解を得なかった。世羅高校に着任早々、この件を追求され、反省文を書くように要求された。

広島でいかに教職員組合が公教育を支配しているかが分かる。

石川校長は、「まず前任校の教職員に対して謝罪する」「97年度人事における人事推薦の反省のもとに、今後このようなことがないよう本校における人事推薦は、協定書に反しないように進めていく」などと、つるし上げのような状況で謝罪文を書かされた。

そして、さらに大きな問題が待ち受けることになる。98年12月17日、県教育委員会は文部省の指導に従い、「入学式、卒業式の国旗掲揚・国家斉唱を実施させるように」と、県内各校長に通達した。これに対し、広教祖は部落解放同盟広島連合会とともに通達撤回を求める闘争を始めた。

99年2月になると、解放同盟広島は、各地区で校長を招集し、広教祖と約100人にもおよぶ「大衆団交」を行った。2月25日から2月27日にかけて数時間の職員会議が連日行われたが、教職員らは断固反対のままだった。板ばさみになった石川校長はついに自殺に追い込まれた。

そして7年後の2006年、石川校長の自殺が公務災害と認定された。高校の職員らは誰一人として焼香に来なかった異常な日々を経て遺族の無念が晴らされた瞬間だった。


【広島世羅高校の校長自殺に労災認定】(2006年8月 朝日)
卒業式での「君が代」斉唱や「日の丸」掲揚をめぐり99年2月に自殺した広島県立世羅高校長(当時58)の遺族が、民間の「労災」にあたる公務災害の認定を求めていた問題で、地方公務員災害補償基金広島県支部は17日、自殺を公務災害と認定した。同支部は認定理由を明らかにしていないが、県教委は、卒業式の実施にあたって心労を重ねたことが背景にあると判断されたとみている。

卒業式での日の丸掲揚・君が代斉唱の実施を悩んだ校長が2月に自殺した広島県立世羅高校で、当時同校に勤務し、高校教職員組合の分会長だった教諭(44)に、「校長を殺したのはお前だ」などと脅迫する電話がかかったりしていたという。4月に別の高校に異動した後も続き、教諭は容疑者不詳のまま広島地検福山支部に脅迫容疑で告訴するという。

学校への脅迫電話は、校長自殺の直後から2週間だけで百数十本、教諭を名指ししたものもあったという。また「校長が天国で待っている」などと書いた手紙が届いたほか、同様の電話や手紙は自宅にもあった。転任した高校へも7~9月、同一人物と思われる男性から「先頭に立って追い詰めた」などという電話があったという。
 教諭は「精神的に疲れ、家族も不安な生活を余儀なくされている。県教委が、君が代斉唱に反対した高教組に自殺の責任があると一方的に表明したことが、脅迫につながった」としている。


世羅高校2
広島県立世羅高等学校

世羅高校の位置

世羅高校2



また、当時、宮沢元首相の広島県の教育現状の見解が出ている。

( 東京朝刊 より)
 
「実はこの問題はきのうきょうの話ではなく、四十年ほどの歴史がある。それも今、(岸元)校長の話にあったように、ほとんど(広島県)東部に限られた話だ。

私がまさに選ばれてきた地域で、四十年間たくさんの人が闘ってきた。今回、命を落とされた方があったが、(これまでも)たくさんの人が職を失い、あるいは失望して公職を辞めるということがあった。

なぜ、その闘いに勝てなかったかというと、基本的には、部落問題に関係があるために、これについて報道することが「差別発言」になるということを報道機関は常に恐れていて、このことを口にすることができない。共産党だけが実に勇敢に発言してきたが、それ以外はこれについて「差別発言」と批判されることを恐れ、世論の形成ができないということが一番の原因だったと思う。

私自身もそういう中にあって、このことについて今日までこの事態の解決に十分寄与できなかったことを恥ずかしく思っている。今度こういう不幸な事件があり、初めてそのような事件として広く取り上げることができるようになった。今度の痛ましい世羅(高校)校長の死で、この問題をようやく公に議論できるようになったというのが、私の郷里の雰囲気だ。

国会がこういう機会を設けていただいて、参考人もよく意を決してここにおいでいただいて、この問題が公に議論されるようになったことは、何十年うっ屈していた問題に初めて国民の目を集中させることになった。この点については国会の配慮に心から感謝するし、参考人としておいでになった岸元さんの勇気に心からの敬意を表したい。

率直な感じをいうと、自分がこの中にあって何十年も解決できなかった問題について国会がこうやって取り上げたことに勇気を感じる。また自分が今まで果たし得なかったことに渾身(こんしん)の努力を尽くしたい。」


1999年4月 公立高校入学式・君が代斉唱・広島県教委まとめ
「日の丸・君が代」の実施を求めて県教委から異例の職務命令や処分が出されている広島県で4月7日、公立高校の入学式があった。県教委のまとめによると、式での君が代斉唱率は98%で卒業式の88%を大幅に上回った。実施しなかったのは98校のうち2校。校長が自殺した県立世羅高校(田辺康嗣校長、595人)の入学式では、新一年生170人が並んだ。式次第に「国歌斉唱」が盛り込まれたが、テープの不調でメロディーが流れず、新任の校長と教頭、父母らの一部が君が代を歌った。生徒らは立ったままだったが、教職員は着席して歌わなかった。(朝日)

広島県立世羅高校入学式
世羅高校入学式の様子


■広島県における部落開放同盟糾弾による学校責任者自殺犠牲者

昭和40年代    福山葦陽高校校長が自殺

昭和45年 5月 1日 府中高校同和主任教諭(36)がナイフで手首を切り自殺

昭和49年 9月   新市町常金丸小学校同和主担者が会議の直後心臓麻痺で死亡

昭和51年 4月28日 新市町常金丸小学校同和主任教諭が遺書を残して失踪

昭和51年 4月   庄原市川北小学校校長が自殺未遂

昭和51年 5月16日 府中東高校同和推進教諭(25)が山中で首吊り自殺

昭和51年 5月24日 府中東高校同和主任教諭(40)が墓地裏松林で首吊り自殺

昭和51年 7月 1日 福山市教委社会教育課主事 遺書を書いて自殺未遂

昭和52年 3月26日 福山市大成館中学校教諭が自殺

昭和55年 9月   加計高校同和推進教諭(55)が自宅裏山で首吊り自殺

昭和56年 1月29日 福山市桜ヶ丘小学校校長(54)が包丁で頸動脈を切り自殺

昭和56年 1月31日 本郷町北方小学校校長(52)がカッターで頸動脈を切って自殺

昭和56年 4月 9日 廿日市町宮内小学校校長(55)が校内物置小屋で首吊り自殺

昭和56年11月26日 県教委学校管理課長(元同和教育課長)が自殺

昭和57年 4月11日 五日市町教委同和教育指導課長(51)がナイフで胸を突き自殺

昭和58年10月 5日 常石小学校校長がナイフで自殺

昭和60年 2月22日 庄原市山内小学校教諭(25)が山中で首吊り自殺

平成 8年 6月22日 千代田町教委社会教育課長(48)が山中で首吊り自殺

平成11年 2月28日 県立世羅高校校長(58)が自宅で首吊り自殺

平成14年 3月 1日 三原養護学校校長(55)が自宅で突然死

平成14年 6月   県立竹原小学校教諭(26)一家4人が謎の心中

平成15年 3月 9日 尾道市市立高須小学校校長(56)が校内で首吊り自殺

平成15年 3月11日 広島県甲奴町 小学校教頭(45)が自宅で首吊り自殺