カテゴリ広島・昭和の事件史 1/2

広島市民球場のバックネットに登った忍者男(1990年)

1990年5月12日、広島市民球場(現在は解体済)で、巨人対広島戦が行われた中での出来事。5回の裏(午後7時過ぎ)、一人の忍者の格好をした男がバックネットによじ登り、3本の垂れ幕を掛けた。垂れ幕には「巨人は永遠に不ケツです!」「悪は必ず滅びる!」などとあった。忍者男はこの後、ネットから飛び降りた際に左足首を骨折し、全治2ヵ月と診断された。忍者男は東広島市出身、子供の頃から熱狂的なカープファンで、年...

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広島パチンコ店経営者甥っ子誘拐事件(1986年)

昭和61年(1986年)、資産家の兄たちを逆恨みし、あげくに自分の甥を誘拐して身代金を要求した事件8月6日夕方、広島市西区草津東一丁目、パチンコ店経営・大時観光専務の大湊孝治さん(45)宅で、留守番をしていた次男・孝之君(10)を、叔父の一弘が「ファミコンを買ってやるから一緒に来い」といって強引に連れ出した。一弘は、午後7時過ぎ、孝治さんの兄で大時観光社長の忠治(48)のところに、「財産分けと思って二億...

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広島の中華料理店「万来軒」店主殺人未遂事件(昭和35年)

昭和35年、広島駅前の中華料理店「万来軒」の店主、丁老麿さん(41)が何者かによって殺害されそうになった。犯人は平塚町のテキ屋、徳田三郎(=朴明辰29)であるが、依頼主は店主の内妻である住吉幸子(34)だった。幸子は店主を殺害するために、朴の出所を5年間も待ったという。丁さんは台湾出身で戦前に広島大学工学部(市立高等工業=当時)へ入学した。当時はほとんどの人間が工科系に進んだ。丁さんはエンジニアとして新兵...

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【広島・昭和の事件史~死刑】

【広島の死刑史】~10万アクセス記念特集シリーズ2第2弾は、広島の死刑囚である。近年、広島で死刑を執行された例が以外と少ないことがわかる。被害者遺族が抱く殺人犯罪者への死に対しては、昔も今も衰えることはない。死刑か無期懲役かがいつも裁判で争われる。日本では個人による復讐権がない代わりに、国家が法の番人として裁くわけだが、これが万能でないのが現実である。死刑反対論者は、「死刑によって新たな死者を出す...

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【広島・昭和の事件史~自殺】

【広島の自殺史】~10万アクセス記念特集シリーズ1広島では過去どんな自殺があったのだろうか。記事は公に報道されたものだけであるため、実際には報道されていないもっと多くの広島県民が自殺しているのだ。知人も数人、問題を抱えて自殺している。自殺記事を見渡すと、ここには広島特有の問題があることも見えてくる。この記事の内容を見て、もっと詳しい内容を知っている人がいたら、コメントをしてほしい。参考までに、平成...

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【広島・昭和の事件史~殺人・自殺・死体遺棄関連】

広島では、昭和時代にいったいどんな事件があったのだろうか。すでに他のサイトでも見ることができるが、改めてここで事件種別にまとめてみた。「広島昭和の事件史」の記事内容については全て他サイトからの転載である。山本老事件昭和3年11月24日、広島県比婆郡下高野山村(現在の庄原市高野町)で、農業の主婦(当時56)が、飯櫃に頭から突っ込んだ状態で死亡しているのを発見された。彼女の主治医は脳溢血による事故死であると...

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【広島・昭和の事件史~「仁義なき戦い」やくざ関連】

山上光治が自殺昭和23年3月23日、病気療養のため刑務所を出て行方不明となっていた無期刑囚、山上光治(当時26)が広島市猿猴橋町の日劇で映画を観ているのを警官2人が発見、山上は映画館を出て10m先の酒類配給所の好川義兌(当時57)方に侵入して風呂釜に立て篭もり、武装警官二十数人に包囲された。映画終了と退勤時間が重なって数千人の人だかりとなり、逃走不可能と知った山上は拳銃で自ら額を撃って自殺した。山上は呉で徴用...

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【広島・昭和の事件史~ボクシング】

「協栄ジム」金平会長の薬物オレンジ疑惑昭和57年3月4日発売の「週刊文春」3月11日号は「金平会長は薬物投入の仕掛人!」「カンムリワシ具志堅用高は『汚れた英雄』だった」と、ボクシングの協栄ジムの金平正紀会長(広島出身、当時48)が協栄ジムのWBAJフライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男の対戦相手に試合前、薬物入りオレンジを贈ったとの疑惑を報じた。渡嘉敷の世界初挑戦へのステップとなる昭和56年6月2日の東京の後楽園ホ...

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【広島・昭和の事件史~政治】

池田勇人蔵相「貧乏人は麦を食え」 昭和25年12月7日、池田勇人蔵相(広島出身)は参院予算委で「御承知の通りに戦争前は、米100に対しまして麦は64%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85ということになっております。そうして日本の国民全体の、上から下と言っては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやっております。これは完全な統制であります。私は所得に...

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【広島・昭和の事件史~競輪場】

宇品の競輪場で暴動昭和54年2月12日、広島市宇品海岸3丁目の広島市営競輪場でレースの着順を誤って発表して1万人が暴動を起こす騒ぎがあった。広島市主催の第11回広島競輪最終日の6レースは4-6の本命で払戻金250円のところを間違って2-6の大穴で払戻金4050円とアナウンスしてしまい、5分後に訂正したもののすでに払い戻しが始まっていたために観客が騒いで十数人が本部席に乱入した。さらに第1投票所の机の上の売上金1000万円...

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