カープ緒方監督人生初退場は山路塁審の策略か?

広島カープ・緒方監督プロ初退場となった4月19日の「広島0-4DeNA」(マツダスタジアム)は異様な雰囲気だった。それは山路塁審による2度の誤審だった。

この誤審で広島の緒方孝市監督(48)が、現役時代を通じても初の退場処分を受けたというもの。試合では、3点を追う七回、2死一、二塁で小窪選手が遊撃へゴロを打った。全力疾走し、一塁へヘッドスライディングしたが際どいタイミングに判定は「アウト」だった。その瞬間、緒方監督がベンチから鬼の形相で飛び出した。

一塁・山路塁審の元に詰め寄り激しい口調で猛抗議したが暴言があったとして、現役時代も通じて初の退場を命じられた。

これには伏線があり、直前の六回1死の攻撃の場面で田中選手が遊撃へゴロを打ち、一塁を駆け抜けた場面も「アウト」にされた。「どう見てもセーフ。僕らは一生懸命やっている。審判の人も人間だし間違いはある。でも誰が見てもセーフ。試合時間が長くなっても一塁もビデオ判定をすべき」と田中選手。このプレーも微妙な判定だったことで、指揮官が山路塁審に抗議していた。“誤審”が繰り返されたことに、黙っていられなかったという。

翌日の中国新聞には、山路塁審についての批評は一切なかった。広島球団は試合後、六、七回の判定に対してセ・リーグ事務局に意見書を提出した。


誤審は山路塁審の策略か?視力と聴覚、頭は大丈夫か?

誰が見てもセーフなのにアウトと判定される。高齢者でも分かる内容だった。しかし、なぜ山路塁審はアウトに見えたのだろうか。ちょっと心配になってきたので、山路塁審がなぜ誤審をするのか冷静に考察してみたい。

山路哲生審判は広島県瀬戸内高校を卒業して広島県高野連審判員を経て2004年にプロ野球の審判部に入局している。それなりの資格審査を経て合格していると思われる。しかし人間は年齢とともに視力が低下し、反射神経も衰える。場合によっては難聴にもなってしまう。ベースを踏む方が早いか、グラブに収まる球の方が早いかの判断は、審判は目と耳の機能を同時に使う。しかし、山路塁審は自分の視覚聴覚に衰えがあったとしても、失職するから絶対に口が裂けても言わないだろう。

また、個人特有のこだわりも芽生え、意固地な性格に変化していく。山路塁審は、きわどい判断の時は、自分なりの思考のもとに脳がパターン化して判断しているのだろう。また、強いカープが面白くないからとか、カープ球団に根に持つ人間がいれば、塁審の特権でカープに不利な判定をすることは容易だ。




山路塁審 緒方監督

プロ野球四球ワーストタイ達成!広島カープ対阪神タイガース

4月1日にマツダスタジアムで行われた広島カープ対阪神2回戦で、両チームで計26四球(広島13、阪神13)が記録され、1937年9月12日の金鯱(15)-ライオン(11)に並び、プロ野球最多タイ(9回まで)となった。延長10回にも阪神が14個目を選び、計27四球となった。 結局、両チーム合わせて28四死球という大乱戦の末に、広島が9対8でサヨナラ勝ちした。試合時間は5時間24分に及んだという。



広島カープ対阪神タイガース 2回戦

カープチケット争奪戦で購入制限を検討

連覇を目指すカープを見ようと、マツダスタジアムのチケットは激しい争奪戦となっていて、「見に行きたくても行けない」という人が多いという。この状況を改善するため、カープの松田オーナーがチケットの購入に制限を設けることを検討しているという。これは3月24日午後開かれた、球場運営協議会の後、明らかにしたもの。

昨シーズン25年ぶりにリーグ優勝するなどカープ人気が高まる中、年々、入場券が手に入りにくくなっているという。今シーズンも発売開始早々に指定席がほぼ完売したという。

これについて松田オーナーは「最大の課題と受け止めている」としたうえで、来シーズンは1人が購入可能な試合数に上限を設けることを検討していると明らかにした。

一方運営協議会では、昨シーズンのマツダスタジアムの公式戦の入場者数がおよそ213万人と過去最多を更新したことが報告された。また、コンコースの一般開放など施設の見学に訪れた人の数が、オープン初年度を除くと最も多かったことも報告された。球団は、「優勝記念のグッズなどを買い求めに訪れる客が増えたことが要因の1つ」としている。(RCC)



カープチケット

黒田投手の永久欠番と元広島の北別府氏の比較はタブーか?

70~90年代に広島のエースとして活躍し、通算213勝、沢村賞も2回受賞した野球解説者の北別府学氏(59)が11月5日、今季限りで引退した後輩の黒田博樹投手(41)にブログで感謝の言葉をつづったという。前日に引退会見を行った黒田は、自身の背番号「15」が山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き球団3番目の永久欠番となったことについて言及した。

「話を聞いた時は自分の中で鳥肌が立ちましたし、北別府さんを始め、諸先輩がおられる中で、こうやって僕自身の背番号がそういうふうになるのは恐縮する気持ちがありました」と話した。

これに対し、現役時代に背番号「20」を背負っていた北別府氏は「実は現役引退してから、私の背番号は欠番にはしてもらえないのだろうかという思いを抱えていたのは事実です」と複雑な心境を吐露した。と同時に「しかし!昨日の黒田君の会見を聞き、喉にずっとつっかえていた小骨が取れたようなという表現しかできないのですが、広島カープで投手初の永久欠番は15番で良かったと心から思えた、私にとっても心に残る会見でした」と黒田に感謝したという。

北別府氏は以前もブログで「自分の付けていた背番号を欲しがってくれることも大変ありがたいことですが、永久欠番というのは選手にとっては何ともいいがたいような誉でもあります」と記していたという。

北別府氏は宮崎・都城農から1975年に広島にドラフト1位で入団。3年目の78年に初の10勝をマークすると、その年から11年連続で2ケタ勝利。79年には17勝をあげ、リーグ優勝に貢献した。82年には20勝をあげ最多勝と沢村賞に。86年も18勝でリーグ優勝に貢献し、最多勝、沢村賞に加えMVPにも輝いた。通算213勝をあげ、94年を最後にユニホームを脱いだ。(スポーツ報知)


まるでマシンのようなフォームだった北別府氏

北別府氏が現役当時、投球フォームが精密機械のようなマシンだと形容されていたという。特に18勝を挙げた86年(昭和61年)の負け数は4で、勝率は何と8割1分8厘だった。しかも18勝のうち、17勝までが完投だった。日米通算203勝を成し遂げた黒田投手の背番号と、213勝を成し遂げた北別府氏の背番号を比較することはタブーなんだろうか。それとも、それが広島東洋カープという球団のやり方なんだろうか。



北別府学カープ

広島カープ41年ぶり優勝パレード 平和大通りに31万3000人が詰めかける

11月5日、25年ぶりのリーグ優勝を達成した広島カープが、広島市内の平和大通りで優勝パレードを行った。広島の優勝パレードは初優勝した1975年(昭和50年)以来、実に41年ぶり2度目となる。選手や首脳陣が、オープンカー4台と、オープンデッキのバス5台に分乗。スタート地点の西観音電停東交差点付近を出発した。沿道にはあふれんばかりの人、人、人でごった返した。

ホームスタジアムが旧市民球場から、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島」に移転して初のリーグ優勝で、41年前と同じように、市内の中心部にある平和大通りを進んだ。初優勝時には約30万人のファンが詰め掛け、多くの人が歓喜し、涙した。当時の広島市の人口は85万人前後といわれ、「伝説のパレード」として人々の記憶に残っている。以降5度のリーグ優勝時に実施はなく、伝説復活となった。(デイリースポーツ)


時速5キロは早い?

テレビでは、オープンバスは時速5キロで走ると解説していたが、広島テレビの実況アナウンサーなどが、目の前を通り過ぎていく選手が、あっという間だったと。ちょっと早すぎると言っていた。また、普段は閑散として寂し~い東平塚町地区にも大勢の人が詰めかけて驚かされた。



カープパレード1


カープパレード3



仕事がテキトーで天狗な広島東洋カープが広島市民賞受賞

カープ選手への広島市民賞は許せるが、最近、天狗状態の広島東洋カープに賞を出すのはいかがなものか。以前、仕事で同事務所に電話をしたところ、スッとぼけた受付対応から始まり、担当者が電話中だというので折り返し連絡をするようにと告げたが、その後一切、担当者から電話は来なかった。これがマツダスタジアムで働く広島東洋カープだったというわけだ。


25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島東洋カープ(広島市南区)に対し、広島市は11月4日、市民に感動と希望を与えたとして広島市民賞を授与したという。広島市民賞が授与されたのは、25年ぶりのリーグ優勝を果たしたカープと、今シーズン、日米通算200勝をあげた黒田博樹投手、それに、2000本安打を達成した新井貴浩選手。4日は松井市長がマツダスタジアムに出向いて授与式が開かれた。広島市によると、広島市民賞は平成14年に創設されたが、カープへの授与ははじめてだという。(NHK広島)




マツダzoom zoomスタジアム

サカスタが出来ない「勝鯉の森」に25年ぶりに成績刻印

10月31日、旧広島市民球場跡地の一角にあるカープの優勝を称える記念碑に、今シーズンの成績が新たに刻まれた。記念碑とは、カープがセ・リーグ初優勝を果たした年に作られた「勝鯉の森(しょうりのもり」にあるカープの優勝を記念した石碑。31日午後、広島市から発注を受けた作業員たちが、石碑の余白部分に今年の成績を記したシートを貼り、機械を使って丁寧に掘り進めていった。

過去、優勝するたびにそのシーズンの成績が刻まれていたが、最後の優勝となった1991年を最後に新たな成績が刻まれることはなかった。作業開始からおよそ2時間半後、記念碑の前面には「89勝52敗2分」の新しい文字が刻み込まれた。広島市は11月にこの記念碑の除幕式を行いたいとしている。(RCC)



勝鯉の森


旧市民球場跡地にサッカースタジアムが出来ない理由はこれだった!


カープ第3戦でミスしなければ4連勝もあった サンデーモーニング里崎氏

10月30日のサンデーモーニングで野球解説者の里崎智也氏がゲスト出演し、張本氏と日本シリーズの内容についてコメントしていた。勝った栗山監督については、短期決戦に向けて選手をどんどん変えていったが、緒方監督は従来型ペナントレース通りの戦いをしていたという。

さらに広島カープが2連勝しながら第3戦から負け続けた原因として、10月25日に行われた第3戦で潮目が変わったという。この試合で日本ハムの中田選手が8回にレフト前に打った打球をカープの松山選手が取り損ねた。8回で2-1でカープが勝っていたから守備固めをしておかなければならなかった。

この潮目が変わった問題のシーンについては中国新聞でも取り上げられていた。

里崎氏は「もし取っていれはカープは4連勝していただろう」と言っていた。




広島カープ対日本ハム 第3線 中田~松山エラー

【広島カープ】地元マツダスタジアムで負けて対日本ハム4連敗 秋風が冷たい広島に変貌

日本シリーズ第6戦(マツダスタジアム)、広島カープ対日本ハムは4-10で日本ハムが圧倒的な強さで勝ち、日本シリーズを制した。それよりも、広島カープは地元マツダスタジアムで負けてしまった。ゲームは序盤からカープの守りにエラーが目立ち、主砲もバットをブルンブルンと振り回すが全て空を切った。こんなチームでは日本一など無理だと思っていたが、それでも中盤、4対4の同点に追いついた。

広島カープは野村投手の後、例の「勝利の方程式」(対日本ハムでは敗北の方程式か)として中継ぎ投手を送り出した。まず今村投手は何とか1回を抑えたので、そのまま次の回も投げると思ったが、ジャクソン投手を出してきた。しかし連投による疲れのせいか、連打を浴び、中田選手のところで何と痛恨の押し出しフォアボールで5-4と逆転された。

そしてジャクソン投手は焦りのためか、ついにレアード選手にホームランを打たれ、8回に一挙6点も取られた。これで広島4-10日ハム、となり、カープ陣営はぼう然とする中で最終回を終え、今年の広島カープ32年ぶりの日本一の夢は消え去った。まるで第5戦を彷彿とさせるような負け方だった。

試合終了後の栗山監督の勝利者インタビューでは、敵地広島マツダスタジアムということなのか、やけに気を使ったコメントだった。

これで広島の街は秋風が冷たく身にしみる寂しい日々を送ることになり、景気もズルズルと後退するのであった。



緒方監督

広島カープ 敵地札幌ドームで3連敗

日本シリーズ第5戦(札幌ドーム)は日本ハム5-1広島で、広島カープは敵地3連敗となった。ジョンソン投手が6回まで好投したが、なぜか緒方監督は勝利の方程式にこだわって、7回は今村投手に交代させたが同点に追いつかれ、その後、8回に交代したジャクソン投手は何とか抑えたが、9回に交代して投げた中崎投手は連日の連投で疲れていたのか、9回2死一、三塁で初球が、日本ハム岡選手に直撃。岡選手がエキサイトして一瞬、中崎投手へ詰め寄ると、両軍ベンチから選手が飛び出した。日本ハムの中田選手が帽子を取って謝れなどのジェスチャーをするなど、激高していた。グランド内は双方が入り乱れる前に収まったが、場内は騒然となった。

中崎投手はデッドボールで動揺したのか、直後の2死満塁から西川選手がサヨナラ満塁本塁打を放ち、広島東洋カープは「三タテ」を食らい、敵地・札幌ドームで1勝もすることが出来なかった。 




広島カープ 日本ハム デッドボール

広島カープ 日本ハム 満塁ホームラン

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